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みんなにお祝いしてもらって、無事に見習いも明けた。
もっとも、その前と後とで、特別変わったことなんて、なにもないけど。
あたしはまた、花守様の手伝いと、薬作りに追われる毎日だ。
それからひと月くらいしたころ。
花集めをしていると、突然スギナがやってきて言った。
「おい、ちょっと、・・・貸せ・・・」
スギナにしては珍しく言い方がぼそぼそしていて、よく聞き取れなかった。
「は?なに、貸せって?
ちゃんと返してね?」
そう言うと、怪訝な顔をされた。
「十日後。一日、休みをもらってくれ。
花守様には俺から話しておく。」
「は?休み?
この忙しいのに・・・」
それで、何貸してほしいの?と尋ねると、顔だよ、顔、と言われた。
「顔?
顔貸せって、あたしに、なにさせたいの?」
「なにも。
ただ、一日付き合え。」
分かったな、と念を押すと、あたしの返事も聞かずに、スギナはそそくさと行ってしまった。
戻ってから花守様に言うと、ああ、聞いてますよ~、と返された。
「スギナ、あたしになんの用でしょう?」
「さあ。
見習い明けのお祝いをしたいんだ、って言ってましたよ?」
見習い明けのお祝い?
それはこないだみんなにしてもらったし。
スギナだって、あのとき大きな花束をくれたはずだ。
「あ。もしかして、これは、秘密だったのかな?」
花守様は言ってしまってから、慌てて口を押えた。
「すみません。聞かなかったことにしてもらえませんか?」
ものすごくすまなさそうにそう言うもんだから、あたしも笑ってしまう。
花守様って、妖狐なのに、誤魔化すのとか、ものすごく下手くそだ。
「お祝いなんて、もういいのに。」
もしかして、あのときあたしがスギナの花束けなしたりしたから、そのやり直しのつもりかな。
けど、わざわざそのために一日あけるとか、非常に面倒臭い。
「まあまあ。
たまには若いヒトたちふたりで、お出かけするのもいいじゃないですか。」
そういうこと言うと、花守様がすっごくお年寄りに見える。
「お出かけなんてしてる暇があったら、片付けたい仕事、いっぱいあるのに。」
「まあ、そうおっしゃらずに。
一日くらい、羽を伸ばしていらっしゃい。」
にこにこと花守様はそう言うけど。
なんでかな、どうしてかな、そんな花守様のこと、恨めしく思った。
それでも、忙しくしていると、十日なんてあっという間で。
スギナとの約束の日はすぐにやってきた。
その間にスギナはもう一仕事、どこかへ行って戻ってきた。
そうして約束の日。
花守様と朝餉をとっていると、スギナがやってきて、早く食べろと急かした。
「ご飯くらい、ゆっくり食べさせてよ。」
「あまり遅くなりたくないんだ。
飯くらいはあっちで食わせてやるから、さっさと行く支度をしろ。」
あんまりうるさいもんだから、あたしは朝食もそこそこに出かけることにした。
いってらっしゃい、と花守様はにこにこ手を振る。
その笑顔にまた恨めしい気持ちになったけど、あたしはとりあえずスギナと一緒に森を出た。
郷の出口で、スギナはあたしに一枚の札を手渡した。
札に描かれた模様を見て、あたしは首を傾げた。
「高速移動?
それなら自分でできるよ?」
「いいから。
その札使えば、ちゃんと目的地まで、道に迷うこともなく行けるから。」
へえ。
札にそんな効果つけられるんだ。
札術に関しては、スギナはちょっといろいろすごい。
「俺のと同時に発動させるから。
もうちょっとこっちこい。」
「ああ、はいはい。」
一歩近づくと、もっと、こっち、と怒ったように言って、ぐいと肩を引き寄せられた。
「え?ちょっ・・・」
文句を言おうとした瞬間、スギナは札を発動させた。
その途端に、辺りの景色が飛ぶように流れ始めた。
「う。わっ!」
思わず叫んでしゃがみ込みそうになるあたしを、スギナはぐいとつかまえた。
「大丈夫だから。
怖かったら俺につかまってろ。」
怖くてスギナにつかまるなんて、屈辱だ。
だいたい、自分は全然走ってないのに、回りの景色だけ流れていくなんて、どういうこと?
「お前、走るのと飛ぶのはできるようになったんだろ?」
スギナがちょっと笑って言う。
くそくそくそ。スギナに笑われるなんて。
「走るも飛ぶも、自分のからだを動かすでしょうが。
突っ立ってるだけで動くとか、気持ち悪いのよ!」
力いっぱい言い返したら、スギナは何も言わずに、ただ、ふふっと笑った。
な、なによ、そのふふっ、は!
なんか、余計に腹立つ。
とはいえ。
まともに立ってられないあたしは、結局、スギナに頼るしかなくて。
ずっと頭のなかで、ハラタツハラタツハラタツと繰り返しながら、スギナにしがみついていた。
多分、そんなに長い時間ではなかったのだと思う。
いつの間にか術は解けていた。
「おい、いつまでそうしてるつもりだ?」
スギナに言われて、あたしははっとして辺りを見回した。
それはどこか見知らぬ森だった。
「どこ、ここ?」
「森。」
いや、それは、見りゃ分かるよ。
「歩けないなら、抱えてやろうか?」
いつまでもあたしがしがみついていたからか、スギナはちょっと心配そうに言った。
あたしは慌ててスギナから手を離した。
「あ、歩ける!歩けるから。」
スギナは、そうか、とだけ言って、先に歩き出した。
ちょっとまだ足元がふらついていたけど、頑張って踏ん張る。
スギナに抱っこされるとか、絶対に嫌だ。
歩いているうちにだんだんと感覚も戻ってくる。
スギナって、普段、かなり歩くの速いんだけど。
このときは、何故か、置いていかれはしなかった。
もしかしたら、あれは、あたしに合わせてくれたのかもしれない。
少し歩くと街道に出た。
ちらほらと人間の姿もある。
あたしはちょっと警戒する。
変化を見破られたことはないけど。
妖狐だとばれたら酷い目に合わされるって、小さい頃からずっと言い聞かせられている。
人間を見ると緊張するのは仕方ない。
市に行けば人間も大勢いるし、市には何度も行ったことあるけど。
そんなに怖いと思ったことなかったのは、隣にいつもスズ姉がいてくれたおかげかな。
今も、スギナはいるんだけど。
「大丈夫だから、堂々としてろ。」
スギナはぼそっとそんなことを言う。
普段から人間相手に商売をしているスギナは、人間にも慣れているんだろう。
「あいつら、そう簡単には気づかねえ。
むしろ、おどおどしてるほうが、注意をひく。」
なるほどねえ。そういうものか。
「どうしても怖かったら、術で見えなくしてやろうか?」
そんなこともできるの?
あたしは目を見張ったけど、その申し出は断った。
「あ。けど、スギナ、もしかして、その術、悪用、とか・・・」
「してねえ!」
いきなりスギナが叫んだので、周りの人間たちが、なんだなんだとこっちを見る。
青ざめるあたしを、スギナは自分の陰に隠しながら、声をひそめて言った。
「妙な想像すんな。
だいたい、その術は、妖狐に対しては効かねえ。
人間には見えなくなっても、妖狐には見える。」
「へえ。中途半端なんだね?」
「うるさい。」
どうしてかぷりぷり怒ってスギナは言った。
「お熱いねえ、兄さん姉さん。」
「若夫婦の新婚道中かい?夫婦喧嘩は犬も食わねえよ?」
あたしたちを見て、周りにいた人間がそんなことを言った。
「は?夫婦?」
思わず飛び出して訂正しようとするあたしを、スギナがぐいとつかまえる。
そのまま自分の胸の下に押し込めるようにして、へらへらと笑った。
「いやあ、お恥ずかしい。」
「かみさんは大事にしなよ?」
「仲良くな。」
人間たちはにこにことそう言うと手を振って去って行った。
「やれやれ。いちいち相手すんな。
適当に受け流しておきゃあいい。」
「・・・分かった。」
とにかく、ここではスギナのいうことをきいたほうがよさそうだ。
少し歩くと森を抜けて、原っぱのむこうに聳え立つのは、大きな大きな門だった。
門の左右には果ての見えないほど長く、立派な塀が続いている。
「都だ。」
スギナは短く言った。




