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花恋物語  作者: 村野夜市
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施療院に戻ると、何故か、誰もいなかった。


施療院は広いから、同じ場所に大勢がぞろぞろいるなんてことは、あんまりない。

けど、歩いていれば、ひとり、ふたりは、誰かかしらに会うものだ。

なのに、甕をしまっておく場所に行くまで誰とも出会わなかった。


こんなこともあるものかな。

いや、それにしても、おかしい。

草の上で寝ている患者さんもいない。


まさか、なにかあったとか?


不安になって走り出そうとしたときだった。

突然、辺りの明かりが、一斉に消えた。


え?うそ?どうした?


不安と恐怖に立ち竦むあたしの耳に、誰かの歌う声が聞こえてきた。


おめでとう

今日のこの日におめでとう

君の新たな旅立ちに

心の底からおめでとう


これって道場で習った歌?


ぼうっと、大きな青い狐火に照らされて、歌っていたヒトの姿が見える。

え?先生?


朗々とした先生の独唱の後に、今度は大勢が声を合わせてもう一度歌う。

そこには聞きおぼえのある声もたくさん混じっていた。

柊さん、スギナ、花守様もみんなと一緒に歌っている。


皆の手元に一斉に狐火が灯る。

よく見ると、少しずつ火の色が違う。

実は狐火の色って、個性がある。

みんな、ひとつずつ、自分の火を灯してくれているんだ。


歌の終わりに、みんな、自分の火を投げる。

火はひゅん、ひゅん、と音を立てて飛びながら、一か所に集まっていく。

大きな大きな青い篝火になったかと思ったら、そのままぐるぐる回り、それから、はじけた。


世界は一瞬のうちに明るくなった。

あ、っても、施療院のなかなんだけどね。

でも、それは確かに、世界が明るく照らしだされるようだった。


弥栄 楓姫 弥栄

姫の前途に幸おおからんや 弥栄


面白おかしいふりをしながら踊りだしたのは、弟たち。

お揃いの紫の衣裳も鮮やかだ。


それに合わせて、ぽんっ、と鼓を打つ奥方の姿もある。

奥方も今日はよそ行きの綺麗な衣に身を包んでいた。


「あ。その。おめでとう。」


そう言って、いきなり、どさり、と大きな花束が渡された。

というか、これって、花束?

それは、どこの野っぱらで引っこ抜いてきたんだかって感じの、巨大な菜の花の束だった。


「両手いっぱいの花束っつったって、桜はまだだし、梅も花ってより枝だよな?

 小っこい草じゃ束にしにくいし、んで、結局、こうなった。」


言い訳なんだか説明なんだか、スギナはそっぽをむいたまま、たらたらと言った。


菜の花はあたしの背くらいもあって、とにかく、でかい。

それを束にしてあるもんだから、支えきれずに、ふらふらする。

ぁぁ・・・と柊さんが小さく呟くのが聞こえた。


花は見事に満開だったけど、あたしはちょっと残念だった。


「なんだ、全部咲いてるのか。

 咲いてないうちのほうが美味しいのに。」


「って、おかずにすんのかよ?」


「根っこついてたら、植えなおして種取ってもよかったんだけど。

 残念。根っこ、切っちゃったんだね?」


「根っこつきの花束なんて、どこにあるんだ!」


「だって、ただ切っちゃうだけなんて、可哀そうじゃない。」


「花束ってのは、そういうもんだろ?」


ああ、はいはい、と花守様があたしたちの間に入る。


「ならせっかくですから、今日は施療院のなかをこの花でいっぱいにしましょう。」


そう言うと、花束からいっせいに黄色い花が浮かび上がった。


「ふふふ。綺麗ですねえ。」


花は施療院のなかを吹くやわらかい風にのって、ふわりふわりと飛んでいく。

あっという間に施療院のなかは、飛び回る黄色い花でいっぱいになった。


風に乗って、じゅうじゅういう音と、いい匂いもしてきた。


「今日はお祝いの石焼肉です。

 たくさん召し上がってください。」


つい最近、専属料理人になった独活さんがそう言うのが聞こえた。


「あ。俺、手伝います。」

「あ、あたしも。」


スギナと一緒に手伝いに行こうとすると、ひょい、と後ろ首を捕まれた。


「お前様は今日の主役だ。

 今日は座って食え。」


あたしは襟首を掴んでいる柊さんを見上げた。


「え?主役?」


「今日はあなたの見習いの明けたお祝いなんですよ。」


花守様はあたしににこにこと言った。


ああ、そうだっけ。

だから、先生までいるんだ!


「忘れてました・・・」


「そんなことだろうと思った。」


柊さんはぱちんと床几を出すと、ここへ座れ、と言った。


「せめてその髪、結いなおしてやる。」


「楓、おめでとう。

 あのお前さんもとうとう一人前かと思うと、涙が出てくるよ。」


そう言って現れたのは、先生だった。

先生は花守様にも丁寧に頭を下げた。


「花守様も、結局、まるまる二年、楓がお世話になりました。」


「本当は一年でお返しするつもりだったのに、ごめんなさい。」


花守様は、少し申し訳なさそうに言った。


「あなたの大事な後継者を横取りするようなことになってしまって。」


「まったくです。

 楓なら、いい師範になると思っていたんですが。

 もっとも、確かに、ここのお役目のほうが、楓の能力をより活かせるかもしれませんしね。」


先生はため息を吐いて、ぱしり、と、あたしの頭を軽くはたいた。


「あいた、先生、なんでいきなり叩くんですか?」


あたしが抗議すると、先生はにやりと笑った。


「すまないね。久しぶりにお前さんを見ると、こう、手がうずうずしちまって。

 なんだい、立派に一人前になっちまって。

 わたしの洗い立ての衣に鼻水つけてた仔狐だとは思えないね。」


う。それを言われると弱い。


「・・・その節は、どうもご迷惑を・・・」


もごもご言いつつ頭を下げると、先生は大笑いした。


「か~え~で~~~!!!」


そこへぽむぽむと跳ねるように駆けてきたのはスズ姉だった。

スズ姉はあたしの胸に飛び込んですりすりと頬ずりをしてから、あたしの顔を見上げた。


「それにしても、成長しないね?君は。」


あたしは毬を放り投げるようにスズ姉を放り出す。

これがいつものあたしたちのお決まりの挨拶だ。


厨を整えたり、なんのかのとスズ姉にはしょっちゅうお世話になってる。

だから、全然、久しぶりじゃないんだけど。

それでも、会えて嬉しかった。


「兄さん、そういつまでもグチグチ言うもんじゃないよ?

 いいじゃないか、施療院なんて、そう遠いわけでもないし。

 いつだって会えるんだから。」


スズ姉に言われて先生は、まあねえ、とため息をついた。


「それにしたって、ここへやってから、一度も宿下がりしてこないし。

 まさか、施療院は見習いに宿下がりも許さないくらい、こき使ってるわけじゃないでしょうね?」


「ああ、宿下がりなら、こないだ・・・」


「こないだ?」


先生がそう聞き返したときだった。


「あ~ね~う~え~さ~ま~!」

「あ~ね~う~え~さ~ま~!」


声を揃えてあたしを呼びながら、弟たちが駆けてきた。


「僕らの踊り、見てくれた?」

「この間とは少し違っていたでしょう?」


「いっぱいいっぱい、練習したんだよ?」

「姉さまに見てもらえると思ったら、頑張れたよ?」


「どう、この衣裳もいいでしょう?」

「今日は特別な日だからって、母上が縫ってくれたんだ。」


「花婿様みたいだよね?」

「このまま祝言できそうだよね?」


両方から手を取って一斉に喋る。

うんうん。いつ見ても可愛い仔らだ。


「姉さまは普段着なんだね。」

「大丈夫。僕らは全然気にしないよ。」


「祝言は衣でするもんじゃないからね?」

「だから、このまま祝言、してしまおう?」


それはまた今度ね。


その後ろから、奥方も追いついてきた。


「楓様。今日はまた、おめでとうございます。」


丁寧にお辞儀をしてくれる。

そんな仕草ひとつとっても優雅だ。

このヒトって、ちょっと変なところもあるけど、つくづく、良家のお嬢様なんだよな。


「あ。どうもわざわざ来ていただいて、有難うございます。」


あたしはぺこりと頭を下げた。


「まあ、お礼なんて。大切な娘の大事な節目なのですから。

 来るなと言われてもまいりましてよ。」


奥方と親し気に話すあたしを、先生は不思議そうに見た。


「あの。失礼。その、いつのまに、そんなに仲良く・・・」


そっか。

先生は、会うのを拒んでたあたししか知らないんだ。


「こないだ宿下がりしたんです。

 そのとき、いろいろとお話しして。」


「楓様とは意気投合いたしまして。

 枕を並べて、あれこれと一晩中おしゃべりいたしました。」


うふふ、と奥方は楽しそうに笑った。


「ほう。

 それはまた、なんと、まあ。」


先生は、目を丸くしたまま、なんとまあ、なんとまあ、と繰り返した。


それから、こっちを見て、嬉しそうにあたしの頭をぐりぐりした。

せっかく柊さんに結ってもらったのに。

けどなんか、先生ってば、あんまり嬉しそうなもんだから、文句も言えなかった。


「はいはーい、みんな、飲み物だよ?」


そこへ盃をたくさんお盆に乗せたスギナが割り込んできた。

お盆の上にはもちろん、あたしの大好きな野葡萄の汁も、ちゃあんとあった。


「それではみなさん、楓さんのために乾杯しましょう。

 さあ、準備はいいですか?」


花守様の掛け声で、みんな一斉に盃を上げる。

乾杯の声は施療院の洞窟中にこだましていた。







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