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どうしても、試したいことがあった。
あのとき、夢の中で、あたしは、風になって飛んでいた。
あれって、もしかしたら、本当に、できるんじゃないかな?
柊さんの幻術が素晴らしいって言われるのは、それが、夢や希望を叶えてくれるから。
それって、その本人も気づいてない、夢や希望だったりすることもあるらしい。
柊さんの幻術の夢を見て、生き方すら変わってしまったヒトは、大勢いるんだって。
母さんに会いたいってのは、間違いなく、あたしの願望だと思う。
父親までにこにこ出てきたのは、ちょっと、納得いかない気もするけど。
まあ、あたしも、心の隅っこでは、父親とも仲直りしたい、って思ってんのかも。
それはさておき。
術を使いたいってのは、間違いなく、あたしの望みだ。
からだの内側をのたうち回る、この厄介な力を、自分の思い通りに使えるようになりたい。
あの夢を見てから、あたしは日に日に、そう思うようになっていった。
道場ではもちろん、妖術もちゃんと習った。
けど、あたしはことごとく、それに挫折した。
なにをやっても、うまくいかない。
狐火はもちろん、速歩、飛行、念話・・・
基本的なところからもう、躓きっぱなしだった。
術ってのは、基本ができなければ、それより難しいところには進ませてもらえない。
さくさくと術を習得し次の段階に進んでいく朋輩たちを、横目で眺めつつ。
あたしは、延々、狐火をやらされていた。
狐火って、全部の術の基礎中の基礎。
まずはこれができなければ、お話しにならない。
それは、嫌になるくらい分かってるんだけど。
どんなに練習しても、あたしは、狐火はうまくならなかった。
幼いころ、あたしは、狐火の練習をしていて、妖力を暴走させた。
その火からあたしを庇って、母さんは命を落とした。
その記憶は、あたしの有り余る妖力と一緒に、花守様に封印されてたんだけど。
何も覚えてなくても、あたしはずっと、狐火が苦手で、嫌いだった。
最初の最初のやつが、嫌いな上に苦手なんだから、そりゃあ、上達なんてするわけがない。
けど、あの夢のなか。
あたしは楽々と飛行術を習得していた。
あんなふうに自由に飛べたことなど、ただの一度もないんだけど。
夢のなかのあたしは、この厄介な妖力も、すごく上手く使いこなせていた。
あれって、もしかして、やってみたら、本当に、できるんじゃないかな?
いやもう、柊さんの幻術の見せる夢って、あまりにも鮮やか過ぎて。
もしかしたら、って思わせてしまうのがすごいんだろうけど。
もしかしたら、とも思わなければ、やってみることもないだろうし。
きっと、それで、心の奥底の夢を叶えちゃったりするヒト、続出するから。
だから、柊さんの術はすごいって、評判になるんじゃないかな?
というわけで。
ある朝。
日の出を見に行ったとき。
あたしは、思い切って、花守様にそれを切り出してみた。
あたしの話しを真剣に聞いてくれた花守様は、ふむ、とひとつ頷いた。
「なら、今ここで、やってみましょうか?」
「え?いきなり、ですか?」
流石にそこまで心の準備をしてなかったあたしは、かなり焦った。
また今度、時間のあるときにね、って言われるくらいだろうって、高を括っていたもんだから。
けど、花守様は、にっこり、はい、と頷いた。
飛行術は狐火の次くらいの基本的な術だから、一応、やり方くらいは習っていた。
仕方ない。
他ならぬ導師様がおっしゃるんだから、やってみよう。
とりあえず、姿勢を正して、呪言を唱えようとすると、花守様は、きょとん、と首を傾げた。
「飛行術って、そんなに難しいものでしたっけ?」
いやそら、導師様には、このくらい簡単でしょうけど。
あたしは、初心者中の初心者ですから。
上級者は飛行に呪言なんて使わないでしょうけど。
あたしは、これ、唱えないと、飛べません。
と言い返そうとしたら、花守様は、ほい、とこっちに手を差し出した。
「この手を、取ってください。」
反射的に言われた通りにすると、ひゅうと耳元で風の唸るのが聞こえた。
「え?」
「ああ、まだ、手は離さないで。」
気が付くと、森の木々を突き抜けて、はるか上空を飛んでいた。
足元には、ずぅっと遠くの方まで、森の梢の続いているのが見える。
「えええっ?」
「じゃあ、やってみましょう。」
言うなり、花守様は、いきなりあたしの手を離した。
え?
ちょ、ま、
呪・・・
あ、いや・・・
う、うわーーーーーっ!!!
あたしのからだは真っ逆さまに落下し始めた。
「大丈夫。大丈夫。」
落ちるあたしの隣を、にこにこと飛びながら花守様が言う。
いや、全然、大丈夫じゃないです、これ。
「大丈夫。大丈夫。」
みるみる、視界に、森の木々が近づいてくる。
助けてください、花守様っ!!!
「風を、感じて。」
はあ?
風だあ?
こんなときに、なにを呑気な。
と、思った瞬間、びゅう~っとすごい風が吹いて、あたしのからだは、くるくるくる・・・
風に弄ばれるように、持ち上げられた。
ひょえ~~~~~
「風に、乗りなさい。」
乗るったって、形も姿もないものに、どうやって乗ればいいんだか・・・
「あ。よいしょ。」
気が付くと、花守様に抱きかかえられていた。
涙と鼻水でべしょべしょのあたしに、花守様は、にぃーっこり、笑いかけた。
「ごめんなさい。
ちょっといきなり過ぎましたね?」
「いきなり過ぎです、花守様!!!」
あたしは涙を振り飛ばして抗議した。
花守様は、ごめんごめん、とあたしの頭を撫でてくれた。
「え?」
頭を・・・、撫で・・・て・・・って・・・
手?
手!
手、離してます?花守様!
「ほら、落ちないでしょ?」
「あ。本当だ。」
確かに、あたしから花守様が手を離しても、あたしは落ちていなかった。
「落ちると思うから、落ちる。
落ちないと思えば、落ちない。
これが極意です。」
ええっ?そんなもん、ですか?
目をむくあたしに、花守様は、あはは、と笑った。
「わたしも、最初にできたのって、飛行術だったんです。
妖狐として生まれたわけではないので、火はそもそも苦手だったんですね。
けど、高いところには上ってみたくて。
毎日、木の梢を見上げては、あそこに行けば、家族を探せるんじゃないか、って。
そんなことを思っているうちに、いつの間にか。」
いつの間にか、で、術って習得できるもんだろうか。
「やりたい、やりたい、って思い続けていれば、いつの間にか、できるもんですよ。」
花守様は、そう言ってくすっと笑った。
「それにしても、ふむ・・・」
花守様は、あたしをしげしげと眺めながら、なにか考え込んだ。
山吹色の瞳に見つめられて、あたしはちょっと、どきどきする。
あの何もかも見通すような瞳は、いまだに、ちょっと、慣れない。
「そうですね・・・やっぱり・・・ちょっと・・・ですかねえ・・・」
あの。
何やらひとりで納得されても、よく分かんないんですけど。
と思ったら、いきなり、こっちに手を伸ばしながら、あはははは、と飛び始めた。
「楓さん?
ほぉら、わたしを、捕まえてごらんなさい~~~。」
あの。
それ、なんの真似、ですか?
思い切り尋ねたかったけど。
傍に花守様がいないまま飛んでる、いや、正確には浮いてる?のも怖かったので。
あたしは、仕方なく、花守様の鬼ごっこに付き合うことにした。
んだけど。
「あ、あれ?」
どびゅん!
花守様を追いかけようとしたあたしは、一瞬でそれを追い越し、そのまま上空に突き抜けた。
くそっ。
まあ、まだ、飛行術、さっき初めてできたばっかだし。
慣れてないんだから仕方ない。
引き返そう、として、その次の瞬間。
目の前に迫る木の幹に、息が止まりそうになった。
ぼ、よ~ん。
なんとも奇妙な感触と共に、あたしは、まあるい空気の塊に閉じ込められていた。
斜め上のところで、花守様が、刀印を構えて、直立不動の立ち姿をしていた。
「ふぅ。
危ない危ない。」
印を解いて、花守様はため息を吐く。
さっきの、ぼよ~ん、は花守様の術だったみたいだ。
とりあえず、巫山戯てんのかと思ったら、ちゃんと見ていてくれたらしい。
「なるほどねえ。」
花守様はもう一度あたしを見て、納得したように頷いた。
それから、こっちに手を差し出した。
「わたしの手を取ってください。
安全に下に下ろしますから。」
有難く、あたしは助けていただくことにする。
もっぺん、あの、どぴゅん、ぼよ~ん、は避けたいところだ。
花守様はあたしと一緒に、しずしずと、ゆっくり地面に降り立った。
なんかちょっと、天女かなにかのようだ。
いいなあ、これ。
できるようになりたい。
それにしても、足の下に地面の感触があるってのは、なんか安心するもんだなと思った。
「少し、遅くなってしまいましたね。
帰りましょうか。」
花守様はにっこりと言う。
「あ。朝餉の支度、しなくっちゃ。」
あたしは急いで駆けだした。
やっぱ、地面を蹴って、足で走るのって、いいよな、って、ちょっとだけ、思った。




