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花恋物語  作者: 村野夜市
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ふぁああああ。

頭の上で、花守様は突然、大きな欠伸をした。


「あ、ごめんなさい。

 ほっとしたら、なんだか、眠くなってしまって・・・」


そのまま花守様は、なにかもにゃもにゃ言いながら、ずるずると横になる。

気づいたら、庵の床に丸くなって、すやすやと寝息を立てていた。


突然寝てしまった花守様にあたしはびっくりしたんだけど。

なんだか幸せそうな寝顔だったから、起こすのも悪いような気がした。


まったく、本当に、どこででも寝られるヒトだ。


患者さんたちはもちろん、治療師さんたちも、施療院で寝泊りしているヒトは、割と、多い。

けどみんな、なんとなく、お気に入りの寝床は決まっている。


療養中の患者さんたちにはもちろん、ふかふかに草を積み上げた寝床が用意されている。

治療師さんたちは、みんな自分の寝床は自分で用意している。

草の種類にこだわりのあるヒトもいれば、花を混ぜて、香りにこだわるヒトもいる。

それでも、だいたいいつも、同じところで寝ている。


ところが、花守様だけは、同じ寝床を使わない。

患者さんのいないあいている寝床で寝ているのはまだましなほう。

その辺の草の上で寝ていることも、しょっちゅうだ。

うっかり花守様を蹴とばさないように、みんな足元には注意して歩くようにしている。


寝起きの花守様は、顔に変な痕をつけてることも多い。

それを見るとみんな、また変なところで寝てたんだなと思う。

柊さんとか蕗さんだと、寝てる花守様を発見したら、術で運んだりするんだけど。

花守様ってば、寝起きは恐ろしくいいから、ちょっとでも、何かの気配を感じると起きてしまう。

だから他のヒトには、起こさずに運ぶのは難しい。


もちろん、あたしにも、起こさずに花守様を運ぶなんて芸当はできない。

だから、仕方なく、そのまま床に寝かせておく。

花守様の綺麗な顔に、板敷の床の筋の痕がつきそうだけど。

頭の下に布を敷くだけでも、起こしてしまいそうだ。


と。そのとき。

眠っている花守様が、するするする、と小さくなっていった。

え?と驚いている間に、花守様は、狐の姿になっていた。


これ、幼い仔狐とかだと、よくあるんだけど。

だいたい、道場に入るくらいの年になったら、もう、やらなくなる。

寝ている間に変化が解けて本性を現してしまうことは、ものすごく無様なこととされているからだ。


けど、大怪我をしたり、重い病にかかった狐は、変化を解いて眠るほうがいい。

そのほうが、格段によく休めるからだ。

だから、施療院で療養している患者さんたちは、狐の姿で寝ているヒトも多い。


もっとも、ある程度回復すると、みんなやっぱり、変化して眠るようになる。

本性を晒すって、そのくらい気まずいことだ。


草の上で寝ていても、花守様が狐に戻ってしまったことなんて、一度もない。

これは、よっぽど疲れていたのかな。

どこか具合でも悪いんじゃないかと、ちょっと心配だけど。

あたしには、治療師さんたちみたいに、からだの具合を調べる術は使えないし。

それにさっきまでの花守様は、あたしに意地悪をするくらい元気だった。


とりあえず、しばらく様子をみるか、と思った。

花守様は病に罹ったことがないらしい。

大抵の不調は、寝るか食べるかすると治ってしまうって、前に言ってた。

寝て治るんだったら、今、花守様は、せっせと自分を治している最中なわけだから。

むしろ、静かに寝かせておくのがいいかもしれない。


狐姿になった花守様は、とても小さかった。

これって、仔狐といってもいいくらいだ。

若く見えるなあとは思ってたけど。

狐姿だと、若いを通り越して、いっそ、幼い。


それにしても、花守様の本性は、綺麗な狐だった。

すべすべの純白の毛色は、郷の誰より白い。

白妖狐は、妖力の高いヒトほど、白い毛をしているという。

混じりけのない純白の花守様は、妖力も飛びぬけて高いのだろう。


背中を撫でてみようかと、思わず手を出しかけたけど、起こしてしまいそうだから、ぐっと堪えた。

その代わり、寝顔をしげしげと観察した。

細い流線形の目鼻立ちは、狐になっても、とびきりの美人だ。

うちの父親も、美形だとよく言われるけど、あれとはまた違った種類の美人だと思う。

花守様は綺麗だけど、冷たさを感じない。

もっと優しくて、春の野原みたいな、温かい感じ。


起きてるときに、じっと顔を見たりしたら、どうかしましたか?って尋ねられちゃうけど。

寝てるときなら、見放題。

せっかくだし、この寝顔をもっと見ていようと思った。


「お~い、あの、食器、下げに来たんだけど?」


戸口から声がして、スギナがこっちを覗いた。


あたしは急いでスギナの視線から花守様を隠すように動いた。


「あ。有難う。」


手早く食器をまとめてお盆に載せると、スギナのところへ持って行く。

そのままぐいぐいとお盆でスギナを外に押し出した。


「うん?どうした?」


不思議そうに尋ねるスギナに、しーっ、と指を唇に当てる。


「花守様、寝ちゃったの。

 疲れてるみたいだから、少し寝かせておこうと思って。」


「そっか。

 花守様、大変だったからなあ。」


スギナはすぐに納得して、静かに庵から離れた。


「もう、三日以上、寝てないんじゃないかな。」


スギナはあたしからお盆を受け取ってくれながら言った。


「三日以上?」


あたしは目を丸くした。

スギナはあっさり頷いた。


「お前、そのくらい、寝てたんだろ?」


「三日三晩、って花守様、言ってた。」


「花守様、その間、一睡もしないで、お前の看病、してたからな。」


スギナはあたしの顔を覗き込むようにして見た。


「お前、具合は?

 もう、大丈夫なのか?」


「うん。もうどっこも悪くないよ。

 たくさん寝たら、治った。」


「まあ、柊さんも、そう言ってたけどなあ。」


スギナはちょっとため息を吐いた。


「花守様は、大変だったんだぜ?

 そりゃあもう、お前のこと、心配してさ。

 泉の傍で倒れてるの、見つけたのも、花守様らしいんだけど。

 お前のこと、こう、抱きかかえて、目、見開いて、瞬きすら、してなかった、って。」


スギナはそのときの花守様の姿を再現してみせた。


「俺はそれは直接は見てないんだけどさ。

 花守様の妖気に中てられたやつら、何人か倒れたんだって。

 ちょっと触っただけでびりっとするくらいすごい妖気だった、って。

 その力、全開で、お前のこと診てたらしんだけど、それでも、原因が見つからないもんだから。

 もっと、もっと、って、妖力、強くして。

 これ以上やったら施療院が崩壊する、ってなって、力づくで止められたらしい。

 それもさ、柊さんと蕗さんふたりがかりで、やっとだったんだって。」


まさか、あの花守様が?

穏やかで、ちょっとぼんやりで、どこでも寝ちゃう、のんびりしたヒトが?

それはちょっと、あたしには想像もつかない姿だった。


「悪いところはなくても、眠り続けているなら、寝かせておくしかない、って、柊さんが言ってさ。

 それなら、って、花守様は、柊さんに、幻術をかけてほしいって頼んだんだ。

 自分が治してやれないのは悔しいけど、幻術はやっぱり、柊さんのほうが上手いから、って。

 だけど、それ以外は、誰にも手出しさせなかった。

 お前の枕許に、ずぅっと、正座してさ。

 ずぅっと、看病、してた。

 それで、柊さんと蕗さんが、花守様の抱えてた患者を、治療師全員に振り分けたんだ。

 どうしても花守様でないとダメな施術以外は、花守様が、ずっとお前の傍にいられるように、って。

 助かったのは、この三日間、施術の必要な患者のなかったことだな。

 だから、結局、花守様は、一度もお前の傍から離れずにすんだんだ。」


花守様は、代わってもらった、って軽く言ってたけど。

それは、みんなにもずいぶん、迷惑をかけてしまった。

後でちゃんとひとりひとりに謝りにいっとこう。


「花守様ってさ、普段は、いっつも、あわわ、とか、おわわ、とか、言ってるだろ?

 それがさ、この三日間、一っ言も口をきかなかったんだ。

 俺も、それは見てたから、間違いない。

 鬼気迫る顔ってのは、こういうのを言うんだなって、俺、初めて納得した。

 なんか、ずっと、思いつめたような目をしてさ。

 柊さんは、大丈夫だ、って言ってたけど。

 俺は、ちょっと、心配になった。

 っても、何が心配かって聞かれると困るんだけど。」


さっきの花守様はいつも通り、あわわ、な花守様だった。

スギナからこんな話しを聞いても、なんだか、信じられない気持ちだ。

もっとも、スギナがこんなこと、嘘つくわけないって、ちゃんと分かってるけど。


そっか。

狐に戻っちゃうくらい疲れてるのも、仕方ないな、って思った。

そんなに、心配、かけちゃってたんだ。


「花守様、ご飯は?食べてた?」


「食べるわけないだろ?

 ほんの少しの間でも、お前から目を離したら、お前が消えてしまうって思ってたみたいだからな。

 水だけは、柊さんが飲ませてたけどな。」


「・・・そっか。」


スギナはあたしの頭をぽんぽんと叩いた。


「まあ、お前も、あんまり無理するな?

 お前になんかあったら、先に、花守様が壊れちまう。」


まったくだ。

あたしはため息を吐いた。


さっき、目が覚めたときの花守様は、ちょっと疲れては見えたけど、いつもの花守様だった。

あわわ、もちゃんと言ってたし。にっこり笑ってた。

あたしに意地悪する元気もあった。


「花守様、ご飯も食べてなかったんだ。」


「だから、さっき、お粥もふたり分、届けただろ?

 一緒に食べたんじゃないのか?」


「え?」


あたしは目を見張った。

そういや、さっきお椀を重ねたとき、ふたつ、あったような・・・

急いでたから、あんまり気にしてなかったけど。


ほら、とスギナは手に持ったお盆を見せる。

確かにそこには、ふたり分の食器が載っていた。


だけど、花守様、自分は何も、食べてなかった・・・


「まさか、花守様、全部、あたしに食べさせたんだ?」


「え?お前、あれ全部、ひとりで食ったのか?」


恥ずかしくて、あんまりよく見てなかったし。

ぎゅって目、つぶってたから。

それにしたって、時間かかるな、って思ったんだ。

ふたり分あったんなら、そりゃそうだ。


「まあ、お前も、三日ぶりだもんなあ。

 けど、そんなに腹、減ってんなら、念話で言ってくれりゃ、もっと持ってきてやったのに。

 花守様の分まで全部、食わなくったって。」


「そんなの分かってるよ!

 てか、あたしだって、分かっててふたり分食べたわけじゃ!」


「う、ん???

 じゃあ、なんで、花守様の分まで食っちまったんだ?」


ううう。

そんな食い意地張ってるみたいに言われるのは、ものすごーく、心外だけど。

あの状況を説明するのはもっと嫌だから。

あたしは、唸ることしかできなかった。


「まあ、花守様、今寝てんだろ?

 目、覚ましたら、また持ってきてやるよ。

 あ。

 お前も、また食う?」


「・・・いや、いい。」


あたしのこと、どんな大食いだと思ってる?


「そうだ、スギナ!」


あたしは、スギナにもお礼を言わないといけないのを思い出した。


「戻って、ご飯、作ってくれてたんだって?

 ごめんね?

 有難う。」


「おう。」


スギナはそう言ってから、ちょっと、何か思い出したみたいな顔をした。


「俺もさ、お前が倒れたって聞いたときは、心臓がつぶれるかと思った。

 荷物も何も放り出して、一気に走って帰った。

 その間中さ、ずっと、お前のこと、心配で。

 ずっと、ずっと、後悔してた。

 俺、なんで、薬売りなんて引き受けたんだろう、って。

 なんで、ずっと、お前の傍にいなかったんだろう、って。

 傍にいて、お前のこと、守ってればよかった、って。

 お前の顔見るまで、生きた心地、しなかった。」


へへっ、とちょっと笑って、スギナは続けた。


「だから、花守様の気持ち、俺もちょっとは、分かるかな。

 けど、眠ってるお前は、そんな俺たちの気持ちなんか知らん顔で、すっごく幸せそうだった。

 柊さんの幻術の効果は、俺もよく知ってるけどね。

 なんかちょっと、ヒトの気も知らずに、って、思った。」


ったく、心配させやがって、と言って、スギナはあたしの頭を軽く小突いた。


「けどさ、花守様は、俺の何倍も、お前のこと、心配してた。

 多分、俺よりずっと、後悔してた。

 だからさ、せめて、目を覚ますまで、ついててやれよ。

 お前の大事な導師様なんだしさ。

 その間、お前の仕事は、俺が代わっといてやる。」


じゃあな、とにかっと笑って、スギナは仕事に戻っていった。

あたしは、有難う、って手を振って、花守様の寝ている庵に戻っていった。








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