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花守様は、あたしに動かないようにと命じてから、スギナの置いて行ったお盆を取ってきた。
お盆の上には、お粥と山菜を甘辛く煮たおかずが載っていた。
「おやおや。
ちゃんとお粥にしてくださるとは。
スギナさんも、気がききますね。」
花守様は脇にお盆を置くと、お椀とお匙を手に取った。
「あ。
もしかして花守様、お腹、すいてたんですか?」
それなら、そのお粥はどうぞどうぞと言おうとしたら、花守様はあたしの顔を見てにこっと笑った。
何も言わないけど、何か企んでいるその顔に、あたしは思わず、口を閉じる。
すると、花守様は、一匙お粥をすくって、ふうふうと吹いて冷まし始めた。
「はい。あ~ん。」
ほどよく冷ましたお粥を口元に差し出されて、あたしは、思わず固まった。
「あ。
いや。
自分で食べられます。」
お匙をもらおうと手を伸ばしたら、届かないところに引っ込められた。
「花守様?」
「この間、スギナさんには、あ~ん、されてたくせに。」
「は?
あ、見てたんですか?」
それって、この間の石焼肉のときのことだ。
花守様はスギナのおじいちゃんといい感じに盛り上がってたんだけど。
こっちを見てたなんて気づかなかった。
「あれは、焼いたり配ったりが忙しくて、なかなか食べられないから、って、スギナが・・・」
「スギナさんならいいのに、わたしならダメだというのは、どうしてなんです?」
「え?」
あ。本当だ。
あたしも、スギナならここまで恥ずかしくないのに、花守様だと恥ずかしいのはどうしてだろう?
「今日はわたしの言うことは何でも聞くって、お約束でしたよね?」
花守様は勝ち誇ったような笑みを浮かべて、もう一度、お匙を差し出した。
「はい。あ~ん。」
「・・・・・・。」
あたしはぎゅっと目をつぶって、大きく口を開けた。
これは、恥ずかしい。ものすごく、恥ずかしい。
スギナにお肉食べさせられたときより、恥ずかしいぞ。
花守様はお箸で山菜の煮つけを少し取ると、器用にお粥に混ぜて、お匙に取る。
それからまた、ふうふうふう・・・
「はい。あ~ん。」
導師様、これは、拷問ですか?
確かに、あたしは罪を犯しました。犯しましたけども。
「はい。あ~ん。」
わざと丁寧に、ゆっくりやってますよね?
あ、いや。花守様ってば、患者さんたちに治療するときも、いっつも丁寧だけどさ。
いやでも、今はその丁寧さ、要りません、よ?
「はい。あ~ん。」
そんな、ちょびっとずつお匙に掬わなくても。
あたしの一口なんて、もっとおっきいですし。
いや、もういっそ、そんなお粥くらい、だーっと一気に掻っ込んでしまいたいっ!
切実にそう思います、とも。
「はい。あ~ん。」
なんなんでしょう、その笑顔。
あたしがご飯食べてるの、そんなに嬉しいですか?
う。あまりにも眩しすぎて、まともに見られません・・・
「え?」
いきなり花守様はお匙を置いて、あたしのほうへ手を伸ばした。
「失礼。少し、ついてしまったので。」
何事かと固まったあたしの口元を、さっと指で撫でると、ぺろっとその指を舐めた。
「え?
えええ~っ?!」
思わずのけ反るあたしに、こくん、と小首を傾げて笑う。
「すみません。お行儀が悪かったですね?」
い、いやいやいや。
お行儀の悪いのは、むしろこぼしたあたしです。
「楓さんのお口って、小さいのですね?
もう少し、一匙にのせる量を加減しなくては。」
い、いやいやいやいや!
もっと一口分を減らすとか、やめてください。
ますます長引くじゃないですか!
「はい。あ~ん。」
これは、あんまりだあ・・・
結局、お椀が空になるまで、花守様は赦してくれなかった。
「ところで、お世話係の件なのですけれど。」
ようやく拷問が終わると、花守様はそう切り出した。
「念の為、言っておきますけど、これは、さっきの冗談とは、関係ありません。
だから、嫌なら、嫌と言ってくださいね?」
花守様は丁寧にそう前置きをする。
けど、あたしはそれに引っかかった。
「冗談?冗談だったんですか?」
花守様は、は?と聞き返してから、にんまりと微笑んだ。
「あなたの困った顔がなんとも可愛らしくて。
すみません。年甲斐もなく、意地悪をしてしまいました。」
けどもう、あれでおしまいにしますから、とぺこりと頭を下げてみせた。
「というわけで、今度はちゃんと嫌なら断ってください。」
さっきのも、断りたかったです。
べつに、嫌じゃなかったですけど。
花守様はひとつ咳払いをすると、真面目な顔になって言った。
「最近、わたしは、どうかすると、あなたが見習いであることを忘れていました。
あなたはもう立派に一人前だったから。
わたしは一応、あなたの導師ということになっておりましたが。
最初から、あなたを導けることなど、皆無に等しいですし。
そもそも、それ自体、あなたにここにいて頂くための口実に過ぎなかったものですから。」
それでも、あたしにとって、花守様はずっと、導師だった。
確かに、治療師としての技は、ほとんど習うことはできなかったけど。
この施療院にいて、いろんなことを、あたしは学んだんだと思う。
「見習いは、短くとも、二年はするのが通例だと聞いております。
となると、あなたの見習い期間は、あと半年もないことになります。
ならば、如何でしょう?
このままここにいて、わたしに、あなたが一人前になるのを、見届けさせていただけませんか?」
花守様の言ってくれたことは、半分、嬉しかった。
だけど、半分は、がっかりだった。
「半年したら、やっぱりあたしは、ここを出て行かないといけませんか?」
ずっと、聞くのは怖くて逃げてきたことを、口に出したら、同時に、ぼろっと涙も出た。
「あの!
なんでもします!
術も、練習します!
下手でも、諦めないで、します!
だから、ここに置いてもらえませんか?」
あたしは手をついて頭を下げた。
「お願いします、花守様。この通りです。
花集めとか、食事の支度とか、あたしにもできることはあると思うんです。
もちろん、それって、あたしじゃなくても、できるんでしょうけど。」
花守様の傍にいられる幸運を、いつまでも、独り占めしてるわけにはいかないって、分かってる。
あたしみたいにがさつなのは、施療院にはむいてないって、自覚もある。
けど、それでも、あたしは、ここにいたい。
「手を、上げてくださいな。」
花守様は、あたしの手を取って、そっと起こそうとした。
優しい花守様に、涙なんて見せるのは卑怯だと思う。
泣いてる顔なんて見たら、きっと、ダメだなんて言えなくなるから。
だから、あたしは、必死で花守様に抵抗した。
「あ。あの・・・。っと・・・。
あの、楓さん?」
困惑した花守様があたしの名前を呼ぶけど。
あたしはそれでも、顔を上げられなかった。
「顔を上げてください。」
とうとう、花守様は、きっぱりとそう言った。
こんなふうにきっぱりと言われると、抵抗できない。
あたしは、渋々、ぐちゃぐちゃになった顔を上げた。
「まあまあ。」
花守様はあたしの顔を見ると、懐から手拭を出して、そっと拭いてくれた。
それから、にこっと微笑んだ。
「あと半年引き延ばして、その間に、あなたを引き留める策を練るつもりでしたけど。」
「策、って・・・?」
「ええ、むいてないですよね?わたし。
策を練る、とか。
自覚はあります。
柊殿や、スギナさんのほうが、多分、よほど、上手だと思いますよ?」
花守様は、わざとらしいため息を吐いた。
「それでもね?むいてなくてもね?やらざるを得ないことも、あるでしょう?
ことに、どうしても、叶えたいことのあるときには。」
「叶えたい、こと?」
期待を込めて見つめるあたしから、花守様はそっと視線を逸らせた。
「施療院に残ってくださいって、どう説得したものかな、と。
いっそ、まだ一人前とは言えないから、見習い期間を延長します、と言ってみようかな、とか。
けれど、わたしは導師としては、まったくもって、失格ですし。
あなたのことは、とっくに、一人前としてどころか、それ以上に働かせているのに。
これでは、説得力がなさ過ぎますよね?」
へへっ、と花守様は頼りなく笑う。
「なら、薬作りをお見せしたのはあなただけです、なんて、脅してみようかな、とか。
見てしまったからにはここで一生、働きなさい・・・なんて。
ふふ・・・これでは、悪徳治療師になってしまいますね?」
花守様は肩を竦めるようにして小さく笑った。
「それでもね、たとえ悪に堕ちてでも、あなたをここに引き留めたくて。
どうしても、諦められなくて。
でも、脅すも騙すも、むいてない、って、分かってますから。」
だから、素直にお願いします。
花守様はそう言って、床に手をついた。
「あの。
このまま、ずっと。
できれば、その、ずっとずっと先まで、ずっと。
施療院に、ここに、残って頂けませんか?」
あたしは、びっくりして、即座に何も答えられなかった。
え?花守様ってば、あたしに一体、何を頼んでるの?
けど、すぐに、状況に頭が追いついて、慌てて、導師様の手を引っ張った。
「ちょ、え?うそ?」
「嘘、では、ありませんねえ?」
顔を上げた花守様は、困ったように笑った。
「施療院のお役目は、なかなかな暗黒任務だとは思いますけど。
どうかこれも縁だと諦めて、ここにいてくれませんか?」
「もちろんです!」
あたしは思わず花守様の首に抱きついていた。
あ~、ららら、と花守様はまた押し倒されそうになったけど。
今度はなんとかギリギリのところで持ちこたえて、あたしを受け止めてくれた。
「有難うございます!花守様!」
「こちらこそ、有難うございます。」
花守様はそう言って、あたしの背中にそっと手を置いた。




