50
目の前に見えたのは、綺麗な綺麗な山吹の花の色。
はっとして、目を開くと、花守様の目と目が合った。
「あ。」
「あ?」
花守様は、視界いっぱいになるくらい近くにいて、あたしはぎょっとした。
「あああ、ごめんなさい。
驚かせてしまいました。
少し、様子を診ようとしただけなのです。」
花守様はひどく取り乱した様子で、慌てて離れた。
「ごめんなさい。
寝顔が可愛い、とか、今、ちょっと笑った、なんて・・・
あああああああ!!!い、いえ、なんでも、ありませんっ!!!!!」
あたしはぼんやりした目で辺りを見回した。
見慣れた景色・・・
そこは、いつも寝起きしている庵だった。
お気に入りのふかふかの寝具に包まれて、あたしはぐっすり眠っていたらしかった。
あたふたしている花守様に、あたしは話しかけた。
「・・・あたし、笑って、ました?」
声がかすれている。
なんだか自分の声じゃないみたい。
「え?
あ、ああ・・・ええ、とっても。
いいお顔で笑ってました。」
花守様はうんうんと何回も頷いた。
それから、お水、飲みますか?と聞いてくれた。
あたしが頷くと、枕許にあった水差しで、水を飲ませてくれた。
水を飲むと口のなかがちょっとすっきりして、格段に口をききやすくなった。
「・・・そっか。」
笑ってたのか、あたし。
「いい夢を、見てたんです。」
「そうでしょうとも。
柊殿が、あなたに術をかけてくれてたんです。
柊殿の幻術は、それはそれはいい夢を見られると、評判ですから。」
そっか。
なるほど。
これが、柊さんの術というやつか。
そら、評判になるだろうな。
「・・・柊さんは?」
「ああ、もうじきあなたは目を覚ますだろうから、後はわたしに任せたと言って。
柊殿も、大勢、患者さんを抱えておられますからね?」
ですよね。
一言お礼を言っておかなくちゃと思ったけど、それはまあ、後にしよう。
「花守様は、お仕事は・・・?」
「他の治療師さんたちが、代わってくださいました。
だから、よほどのことがない限りは、あなたの傍にいます。
どうか、安心して、ゆっくり休んでくださいね。」
花守様は、にっこり笑ってそう言った。
あたしは慌ててからだを起こした。
「それなら、花守様が休んでください。
あたしはもう、たっぷり寝たし。
よかったら、ここで・・・」
「あらあら。それはいけません。」
花守様は起きようとするあたしを寝具に押し戻した。
「あなたはまだ休まないと。
覚えていませんか?
泉の傍で倒れていたのですよ?」
「あ・・・ちょっと、くらっ、として・・・
そうだ、突然、日食になって!」
「日食ではなくて、恐らく、そのとき気を失ったのです。」
「ああ!そうだ!
甕は?
あたし、甕、壊してなかったですか?」
急いで尋ねたら、花守様は少し気が抜けたような顔をして微笑んだ。
「心配しなくても、甕は無事ですよ。
けれど、あなたは無理をし過ぎです。
いいえ。
あなたをこんな目に合わせたのは、わたしに責任があります。
わたしは、ずっと、あなたの一番傍にいたというのに。
こんなになるまで、無理をさせるなんて。
本当に、申し訳ありません。」
そう言って、丁寧に頭を下げた。
それから、しょんぼりと付け足した。
「本当に、わたしは導師失格です。
いいえ、それ以前に、治療師も失格です。
つくづく、自分の未熟さを思い知ります。」
「花守様は悪くないです。
ちょっと昨夜、眠れなくて・・・」
「三日三晩、あなたは眠り続けていたのですよ。」
「そりゃあ、また、よく寝たなあ。」
うーん、と寝床で背伸びをすると、花守様は困ったような顔をしながら、ちょっと笑った。
「ご気分は、如何ですか?
痛いところや、苦しいところはありませんか?」
「すっごくいい気分です!
どっこも痛くないし、苦しくもないし。
あ。ちょっとお腹すいたかな。」
「では、お食事をお持ちしましょう。
少し、お待ちいただけますか?」
「あ、いえ、自分で食堂に行きます。
てか、食堂にご飯、あるかな?
あたし、三日も寝てたんですよね?」
「食事の支度なら、スギナさんがしてくださってます。
あなたが倒れたと聞いて、すぐに駆け付けてくださったんですよ。」
そっかあ。
それは、後でスギナにもお礼を言っておこう。
花守様はまだ心配そうにあたしを見て尋ねた。
「わたしの知り得る限りの方法であなたのことは診てみました。
これといって悪いところは見つかりませんでしたけれど、わたしも万能ではありません。
なにかおかしいな、と感じるところはありませんか?」
「なんにもないです。
すっごく元気!
多分、よく寝たからだと思います。
なんか、最近、よく眠れなくて・・・」
「ここのところ、とても忙しかったですからね。
わたしがもっと気を付けているべきでした。
本当に、ごめんなさい。」
花守様はしょんぼりと下をむいた。
「あなたには言おう言おうと、ずっと、思っていたんです。
お世話係は一年のお約束だったのに、ずるずると引き延ばしてしまっていて。
あなたが何も言わないのをいいことに、そのまま居続けてもらってました。」
「それは!
あたしこそ、言わなくちゃ、言わなくちゃ、って思ってたんですけど・・・」
施療院に残らせてほしいって言い訳、いくつもいくつも考えてた。
いざ、花守様に何か言われたら、それ全部並べようと思って。
けど、どれもどこか何か弱い気がして・・・
まあ、弱くても、たくさん並べりゃ、なんとかなるかも、とかも思ったりしつつ・・・
自分から言わなくていいなら、わざわざ言いたくはない、感じではあった。
「とうとう倒れるまで無理をさせるなんて、本当に、わたしは謝っても謝りきれません。」
「あたしなんかより、花守様のほうがずっと大変だったんだし。
あたしは、お世話係、って言いながら、むしろいつも、花守様に治してもらってて。」
「そんなことは、当たり前のことです。」
「当たり前じゃないです、花守様。」
あたしは花守様の顔をじっと見つめた。
花守様はいつもどこか飄々としていて、辛いとか、しんどいとか、顔に出さないヒトだけど。
なんだかちょっと、いつもよりやつれている感じがした。
「疲れてますね、花守様?」
「そりゃあ、まあ・・・多少は?」
「やっぱり、ここで寝てください!」
あたしは花守様を寝具に押し倒した。
非力な花守様はいともたやすく、押し倒されてしまった。
「え?あ、あれ?あ、あの・・・これは、ちょっと、その・・・」
起き上がろうとする花守様を、あたしは力づくで組み敷いた。
山吹色の瞳を見開いて、花守様はただじっとあたしの顔を見上げていた。
目と目が合ったまま、あたしは自分のやらかしたことに、まだ自分で気づいていなかった。
そのとき、また間の悪いことに、いきなり庵の戸が引き開けられた。
「花守様!
柊さんが、楓もそろそろ目を覚ますだろうから、食事を持って行ってやれ、って・・・
って?
っとととととと・・・ご、ごめんっ!」
花守様なら、いつも戸を開ける前には声をかけてくれるんだけど。
スギナは、まあ、そんなこと、しないわな。
大慌てで戸の向こう側に隠れた、っても隠れてなかったけど、スギナは、恐る恐る言った。
「あのう・・・お取込み中、すいません。
ご飯、持ってきたんっすけど・・・」
「ああ、どうもすみません。
わたし、滑って転んでしまって・・・」
花守様が妙な言い訳をする。
「あ、ああ、そうなんっすか?」
けど、スギナはそれで納得する。
「とりあえず、お盆は、ここに置いておきます、ね。」
そのまま逃げていった。
「どうも、すみませんっ!」
ようやく状況に気づいたあたしは、慌てて花守様から手を放しながら、平謝りに謝った。
どこの世界に、導師を押し倒す見習いがいるってんだ。
花守様は寝転んだ姿勢のまま、あはは、と笑いだした。
「うら若いお嬢さんに押し倒していただけるなんて、雄狐の夢の極み。
今生の思い出に、墓まで持って行きますよ。」
それから起き上がって、肘を何度も曲げたり伸ばしたりした。
「それにしても、わたしの非力にも困ったものです。
せめて、あなたにくらいは抵抗できるようになっておかないと。」
「どうも、本当に、本当に、すみませんっ!!」
あたしは謝るしかなかった。
花守様は、なにやら企むような目をして、ふむ、とあたしを見た。
「ならば、今日は一日、わたしの言うことを聞いていただきましょうか?」
「え?」
なにを言われるんだろう?
まあ、花守様だし、そんなに困らせるようなことはしない、よね?
目の合った花守様は、にっこり、否、にんまりと微笑んだ。




