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背中に背負った大きな行李に、薬を詰め込めるだけ詰め込んで、スギナは出発した。
スギナのおじいさんの重い病が、花守様に診てもらって治ったらしい。
そんな噂がじわじわと広がったのは、その後すぐだった。
最初は少しずつ。それから、じわじわと。
施療院には、病の狐が訪れ始めた。
花守様はどの狐も丁寧に診た。
そして、その狐に合った薬を作った。
けれど、それは、ただでさえ忙しい花守様を、ますます忙しくした。
スギナの薬売りのほうも順調で、薬は飛ぶように売れた。
売値はそう安くはしてないみたいだけど、それでも、次から次へと注文されるらしかった。
スギナは何度も何度も郷と往復して、行李にいっぱいの薬を運んだ。
そのうち、薬は、作っても作っても、追いつかなくなった。
薬を作る甕の数は、どんどん増えた。
毎日何往復もして、あたしは甕に花と水を詰めた。
どんなに使っても、花も水も少しもなくならないのは、不思議だけど有難かった。
花守様は居眠りをしそうになりながら、薬作りの歌を歌っていた。
あたしは花守様のからだが心配だった。
一応、これでもお世話係なんだから、花守様が倒れたりしたら、あたしの責任だ。
せめて寝る時間と食事だけはなんとかしよう。
花守様は、施療院のどこでも、ころんと横になってすぐ寝てしまう。
それって、忙しかった昔の名残だったんだなと思った。
昼間でも、少しでもあいた時間があれば、そうやって、花守様には休んでもらった。
食事も、なるべく手っ取り早く、かつ、いろんなものを食べられるように。
あれこれ工夫をした。
前みたいにのんびりと時間をかけて料理をすることはあまりできなかったけど。
その代わり、あたしの手はどんどん早く動くようになった。
最近は、花守様とゆっくり話す暇もあまりなかった。
花守様は、患者さんの相手や、施術や、薬作りで手一杯だった。
それでも、不満はなかった。
あたしはそんな花守様に一日中ついて回って、そのすごい技をずっと一番傍で見ていた。
そんなに忙しい日々でも、朝の散歩だけは、まだ行っていた。
もう封印も解けたんだし、朝日を浴びる必要もなかったんだけど。
何故かこれだけは、花守様もあたしも、やめようとは言い出さなかった。
朝のその時間だけは、花守様を独り占めできる。
あたしにとっても、その時間はとても大切だった。
花守様は、自分も疲れているのに、いつも、あたしのことを気遣ってくれた。
回復術は、いつもこっそりかけてくれてたけど、ふわりと漂う花の匂いに、あたしは気づいていた。
そうして、この時間さえあれば十分だ、って思っていた。
けど。
その日は、朝からなんだかからだが重かった。
昨夜、あんまり寝られなかったせいだ。
最近、変な夢を見ては、夜中に目が覚める。
二度寝をすると、決まって、朝はからだが辛かった。
こんなときは何も考えずにからだを動かして疲れ果てるに限る。
そうすれば、今夜はきっと、よく眠れるはず。
そう思って、あたしはせっせと花集めに精を出していた。
今日、三回目の甕を、いっぱいにして持ち上げた瞬間だった。
突然、目の前が真っ暗になった。
あれ?
おかしい。
今日、日食だっけ?
いや、日食でも、そんないきなり真っ暗にはならないよなあ・・・
あたしは光を探して、あちこちきょろきょろした。
狐火を灯せばよさそうなものだけど、とっさのときに術を使おうと思いつかないのはいつもの癖だ。
とりあえず、甕は地面の安定していそうなところに下ろす。
せっかく集めたのにひっくり返したくはないし。
甕を割ったりしたら、また作ってもらうのも大変だ。
そそっかしいあたしには、甕を割った前科なら、数えきれないくらいある。
落としたり、不安定なところに置いて倒したり、振り返った途端に蹴倒したり。
甕を割っても、花守様は叱ったりはしない。
それどころか、怪我はなかったかと、心配してくれる。
これが柊さんだと、叱りはしないけれど、ときどき、ため息を吐かれる。
それでも、怪我はしなかったか、とぶっきらぼうに聞いてはくれる。
郷の焼き窯の小父さんはすっごく優しくて、大きな甕も嫌な顔せずに作ってくれるけど。
それでも、大きな甕を作るのは大変なんだから、大事にしないと。
それにしても、つくづく、あたしって、ヒトに恵まれているんだと思う。
先生にスズ姉に、道場の朋輩たち。
花守様に、柊さん、蕗さん、スギナ・・・施療院のヒトたちにも。
みんな、みんな、いいヒトばっかりだ。
あ。
ぼんやりしている場合じゃなかった。
早く施療院に帰らないと。
そろそろ花守様の施術も終わるころだ。
お昼には少し早いけど、今のうちに、軽く食事をしてもらって・・・
だけど、辺りは真っ暗で、どっちに行けばいいのか分からない。
通い慣れた道なのに、方角すら分からない。
鼻をつままれても分からない闇。
夜ですらここまで暗いことなんて滅多にないと思う。
困った、困った、どうしよう?
途方に暮れていたときだった。
「楓?」
あたしの名を呼んだその声に、あたしは、どきりとした。
「母、さ、ん・・・?」
振り返るとそこに、母さんがいた。




