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夏が過ぎ、秋風の吹き始めるころ。
施療院を訪れたスギナに、花守様は大事なご相談があるのです、と切り出した。
施療院に花守様の居室はない。
寝るときは、いつもその辺でごろりと寝てしまう。
誰かと話すときにも、ぺったりと草の上に座って、そのまま話し出す。
前は、食事も、いつも持ち歩いているあの巾着から、適当にその辺で食べてたらしいんだけど。
今は一応、特別な用のない限りは、決まった時間に、食堂でみんなと食べている。
先に草に座る花守様につられるように、スギナもそこへ座った。
あたしも花守様の隣に座る。
花守様の隣は、いつの間にか、あたしの定位置になっていた。
施療院の草は柔らかくて、どこに座っても座り心地はいい。
どこからか長閑な風が吹いてきた。
「ところで、おじいさまの具合は如何ですか?」
花守様に尋ねられて、スギナは明るく答えた。
「おかげさまで、すっかり元気っす。
今じゃ、おいらより早起きで、おいらより動き回ってます。
こないだは熊狩りに行くと言ってきかなくて、引き留めるのに苦労しました。」
「ほう?熊狩り?」
「じっちゃんはもともと、熊撃ちだったんです。
熊と一対一の勝負は胸がどきどきして、わくわくして、すっげえ楽しいって。
俺には何が楽しいのかよく分からないっすけど。」
「ふふふ。
勝負師なのは、血筋ですかね。」
花守様は肩を竦めて笑った。
「ならもう、おひとりにしても問題ないでしょうか?」
「もともと、自分の面倒は自分でみられるヒトです。
薬も忘れずにきちんと飲んでるし。
今は、おいらが世話することなんて、まったくないです。」
「ならば、スギナさん。
あなたにお願いしたいことがあるんですよ。」
スギナは、いったい何を言われるのかと、花守様のにこにこ顔を見つめた。
「実はね、わたしの作っている例の薬なんですけど。
あれを、正式に売り出そうかと考えていまして。」
花守様というヒトは、およそ、金儲け、には縁のなさそうなヒトだ。
そのヒトの口から、商売、の話しが出たことに、スギナは驚いたようだった。
「正式に売り出す?」
「ええ。
これまではね、外に行く方たちに頼まれればお分けしていましてね。
常備薬として持って行く方も、ちらほら、あったものですから。
そんな方たちが、外で、誰かにその薬を使う機会もあったりして。
すると、それを売ってほしい、という依頼もきたりして。
なんだか、いつの間にか、結構、お高い値がついていたんですよ。」
その金子のおかげで、釜やら鍋やら、厨の道具やらも揃えられたんだった。
「わたしは、以前は、人間の世界の金子など、必要ないと思っていました。
だから、いただいた代金も、適当につづらに放り込んで、放りっぱなしだったのですけれど。
最近は金子も、ある程度は必要だ、と思うようになりまして。」
「すいません。
あたしがいっぱい使ったから・・・」
思わずそう頭を下げたら、ああ、いえいえいえ、と花守様は手を振った。
「わたしもその恩恵はたっぷり受けていますから。
いけないことだなんて思ってないんですよ?
けれど、稼ぐなら、もう少し、ちゃんと稼ごうと思いましてね?」
「すいません。
だいぶ、目減りさせてしまって・・・」
あれだけの厨を作るのに、つづらの金子をだいぶつぎ込んでしまった。
花守様は、何も言わなかったから、あたしも結構、好き放題してた自覚はある。
「ああ。いえいえいえ。
・・・そう、ではなくてね?」
花守様は、ちょっと考えてから、スギナに言った。
「薬の値段なんですけど、薬の重さ分の金、というのは、高過ぎやしませんか?」
「あれだけの薬なんですから、妥当な値かと。
おいらも、じっちゃんにもらった薬の対価は、少しずつでも、ちゃんと返します。」
「いやいやいや。それは、いいんですよ?
施療院の治療に対価はいただいておりませんし。
おじいさまにお薬を差し上げるのも、施療院の治療のようなものですから。」
花守様はいったんは両手を振って断った。
けどすぐに、口元に指を当ててなにか考えるようにした。
それから、スギナを見て、にっこりと微笑んだ。
「いえ、やっぱり、対価はいただきましょう。
それも、いずれ、などとあてにならない話しではなく、今すぐに。
決してお安くはないと思いますけれど、覚悟はよろしいですか?」
「はい・・・もちろん、です。」
スギナはちょっと緊張した顔をして、けど、殊勝に頭を下げた。
花守様は手を伸ばして、そのスギナの頭を、よしよし、と撫でた。
「じっちゃんの命の値段だと思えば、いくら払っても、高いとは思いません。
それで、具体的に、おいくら、ですか?」
顔を上げて尋ねるスギナに、花守様は、なにか企むような目をして微笑んだ。
「そんな簡単に了承してもいいんですか?
まだあなたには、蓄えもそう、ないでしょう?」
「確かに、蓄えはありませんけど・・・代わりにこのからだで払います。
生涯、ただ働きでも、構いません。」
そう言い切ったスギナの声は固くなっていた。
「ふふふ。
では、そうしていただきましょう。」
にっこり満足そうに笑う花守様に、あたしは思わず口を出していた。
「花守様?
いくらなんでも、それは酷いと思います。
それじゃあ、花守様も、悪徳祈祷師と同じになってしまいます。」
そのあたしに、スギナが言った。
「いいや。花守様は悪徳じゃねえ。
ちゃんと、じっちゃんのからだを治してくれたんだから。」
あたしはスギナに言い返した。
「祈祷師だって、治せるときもある!
だけど、その対価があんまり高すぎるから、悪徳って、言われるんじゃない。
花守様だって、それじゃあ、悪徳治療師だよ!」
「お前、自分の導師つかまえて、よくもまあ、悪徳だなんて、言うよな?」
「悪徳を悪徳と言って、何が悪い!」
「・・・あのう・・・」
喧嘩を始めたあたしたちの間に、花守様は恐る恐る、と言った感じで割って入った。
「そんな大声で、悪徳、悪徳って、みなさん、何事かと見ていらっしゃいますよ?」
「あ。」
あたしたちは同時に口を押えて黙った。
近くに寝ている患者さんこそいなかったものの、通るヒトはいっぱいいる場所だ。
みんな、なんだなんだと、足を止めて、こっちを見ている。
そのヒトたちに、花守様は、なんでもありませ~ん、と軽く手を振った。
やれやれ、というみんなの視線が痛い。
花守様は、あたしたちの顔を順番に眺めて、へらっと笑った。
「ごめんなさい。
今のはわたしが悪かったんです。
スギナさんがあんまり健気なものだから、少し揶揄いたくなってしまって。
わたしがスギナさんにお願いしたいのは、からだで払っていただく、というところです。
生涯ただ働きをしろ、とは言いません。」
「ええっ?ただ働きでなく、からだで払う、って・・・?」
目を丸くして口が半開きになったスギナに、花守様は、あー、と困った顔をした。
「ただで、とは言いません。
けど、働いていただきたい。
と、言えば、分かっていただけますか?」
「・・・まさか、施療院で働け、ってことですか?」
今度はあたしが愕然としてそう尋ねていた。
悪い予感が当たったと思った。
ずっと恐れていたときが来たかと思った。
スギナは有能だし、あたしなんかより、ずっと役に立つ。
いつかこんなことになるんじゃないかと、思っていた。
「まあ、広い意味では、施療院で、ということに、なりますかねえ?
もっとも、ここで働いていただくわけではありませんけど。」
???
スギナとあたしは顔を見合わせた。
花守様はいったい何が言いたいんだ?
「おふたりとも、せっかちですねえ?」
花守様はほけほけと笑った。
それから、改めてスギナを見て言った。
「スギナさんにはね、薬を、売っていただきたいのです。」
花守様の台詞に、スギナとあたしは同じ言葉で聞き返した。
「薬を、売る?」
「そう。
郷の外でね、場合によっては、人間を相手に。
というか、ほとんど人間相手になるのではないかと思いますけど。
もちろん、異種族のみなさんにも、必要とあらば、売っていただいて構いません。
ただね、そのときに、きちんと、この薬のことを説明してほしいんです。
曖昧な噂話ではなくてね。」
なるほど、と今度もスギナとあたしは同時に頷いた。
「秘薬、とか言うと、どうにもね、噂話が先行してしまっているようで。
それが過剰な期待や偽りの希望を喚んでいるのなら、それは忌々しき事態かと。
今度のことで、スギナさんには、この薬のことも、よく分かっていただけたでしょうし。
それをね、きちんと説明して、その上で、必要だ、という方に、分けてあげてほしいんです。」
花守様は真面目な顔になって続けた。
「あれは決して、万能薬、ではありません。
服用しても、再生する元になる部分がなくなっていれば、再生はできません。
それに、再生には、それ相応の時間もかかるのです。
どんな病も怪我も、たちどころに治る、というわけではありません。
治療の間は、薬を飲み続ける必要もあります。
一度飲めば完治、というわけにはいきません。」
スギナは、ふんふん、とひとつひとつ頷きながら、花守様の話しを聞いていた。
「それに、人間や、異種族には、妖狐族に使うほどの効果は見込めないかもしれません。
病や怪我を治すのは、あくまでも、患者さん自身の力なのです。
薬はそれを助けるのであって、薬がそれを治すわけではありません。
妖狐族の生命力であれば治る怪我や病も、異種族であれば、治らないかもしれない。
そういうときには、あなた自身も患者さんも、辛い思いをするかもしれません。」
スギナはまたひとつ、重く頷いた。
「それでも、あの薬がなにかの役に立つ、あの薬を必要としているヒトがいるというなら。
わたしは、届けて差し上げたい、と思うのです。
けれど、それは今までのような曖昧な方法ではなくて。
ちゃんと、正式に、施療院の薬として売りたいと思うのです。」
スギナはまた、頷いた。
「大切なのは、その薬を使う本人に、治りたいという気持ちがあるかどうかです。
その気持ちがなければ、残念ながら、薬は効きません。
それを、あなたに見極めていただきたい。
見極めてそうして、薬を分けるかどうか、判断していただきたい。
そのために、施療院の専属薬売りになっていただけないでしょうか。」
スギナは力を込めてひとつ、頷いた。
花守様はにっこりとスギナに笑いかけた。
「薬の売値はスギナさんに決めていただいて構いませんよ。
生涯ただ働きをさせたり、子どもを差し出させたり、あなたなら、そんな真似はなさらないでしょう。
必要とあれば、ただで差し上げても構いません。
必要でもないのに、己の欲のために欲しいと言う方には、高い対価を払っていただきましょう。
それを、その都度その都度、スギナさんに見分けていただきたい。
相手の方とよく話し、事情を聞いて、そうして対価は決めてください。
そこで得た金子は、わたしと半分に分ける、ということで、如何でしょう?」
「半分で、いいんっすか?」
驚いたようにスギナは尋ねた。
「わたし、いただき過ぎですか?」
すみません、と花守様は笑った。
「けど、うちの楓さんは、いろいろと楽しいことを思いついてくださる方で。
それを叶えるために、わたしにも、多少は金子を分けていただきたくて。」
「いや、もちろんです。
けど、俺、じっちゃんの薬代の代わりに働くんだし。
それって、もらいすぎじゃないっすか?」
「金子は、あって困るものじゃないですよ。
って、わたしも昔、誰かに言われたんですけど。
そう言われてとっておいたら、とっても役に立ちましたから。
スギナさんも、すぐに必要でなくとも、とっておかれたらよいのではありませんか?」
「あ。いや。
けど、それじゃあ、俺、生涯かかっても、薬代を返せる気、しません。」
「なら、生涯、この仕事をやってください。
そうなると、残念ながら、戦師としてはもう、お役目を果たせなくなるかもしれませんけど。
スギナさんさえ、それでよければ。」
「おい、お前、どう思う?」
突然尋ねられて、あたしはきょとんとスギナを見た。
あたしの頭のなかは、さっき花守様の言った、うちの楓さん、がこだましてて、何も聞いてなかった。
「な、なに?」
「お前、狩師でなくても、薬売りなら嫁に来るか?」
「は?」
「おう。はい、か?」
「は?
あ、いや、はい、じゃなくて、は?って、聞き返したんだけど?」
「まあいいや。
お前、戦師じゃなきゃ、なんでもいいんだろ?」
「は?」
「とりあえず、戦師が嫌だ、ってのは分かった。
その理由も聞いた。
なら、薬売りなら、問題ないな?」
なに、その理屈。
スギナはなにやら勝手に納得して、花守様に両手をついて丁寧に頭を下げた。
その仕草は、なんだかちょっと、一人前、っぽかった。
「そのお役目、お引き受けいたします。」
「ああ、よかった。」
花守様はほっとしたように笑った。
こうしてスギナは施療院の薬売りとして働くことになった。




