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天幕に行くと、ちょうど施術を終えた花守様が出てきたところだった。
「おや、いい匂いがすると思ったら、楓さんのお料理だったんですね?」
花守様は鼻をひくひくさせながら、あたしの持ったお盆を横目でちらりと見た。
「そういえば、今朝は朝餉をいただきそこねてしまいました。
楓さんのご飯を一度でも食べ損ねるなんて、とても残念です。」
それから、お盆から目を逸らせてため息を吐いた。
「これ、花守様の朝餉ですよ。」
あたしはそう言ってお盆ごと花守様に押し付けた。
すると花守様は、途端に、ぱあっと笑顔になった。
「そうだったんですか。それはそれは。有難うございます。
わざわざ持ってきていただけるなんて、恐悦至極。
では、早速。」
そう言っていきなり草の上に座ると、そのままぱくぱくと食べ始めた。
そんな花守様を、スギナは呆気にとられたように見ていた。
花守様は、突っ立ったままのスギナにきょとんと首を傾げた。
「スギナさん、お食事は?
よかったら、これ、ご一緒に召し上がりますか?」
そう言ってお盆をスギナのほうに押しやる。
スギナは苦笑して首を振った。
「いや、俺は、自分のがあります。」
そう言って、頭に載せてきたのを花守様に見せた。
「それはよかった。」
花守様はにこにこ笑顔で、朝餉の続きを食べ始めた。
ふたりして呑気に朝ご飯を食べている。
なんだか、長閑な光景だ。
「やっぱ、楓の作る飯はうめえな。」
「ええ、ええ。わたしもそう思いますとも。
もう、これがなくては、生きていけない気すらするんですよ?」
「あ。なんか、分かります、それ。」
「でしょうとも。」
なんかふたりとも喜んでくれてるみたいでよかった。
一通り食べ終えて、ごちそうさま、と手を合わせた花守様は、ふいに顔をあげてスギナを見た。
「そういえば、スギナさん、おかえりなさい。」
「今頃、ですか?」
スギナは苦笑して箸を置いた。
こっちもちょうど食べ終わったみたいだ。
「食器返してきますよ。」
あたしが手を出すと、ああ、いえいえ、と花守様はお盆をふたつ手に持った。
「このくらいは、自分で。あ、よいしょ、と。」
にこっと笑った瞬間に、手に持ったお盆がふたつとも消える。
あたしはわざとらしいため息を吐いた。
「あー、また、手抜きして。」
花守様はくすくすと肩を竦めた。
「ちゃんときれいにして、棚にしまいましたよ?」
「へえ~、今の、花守様の術っすか?」
興味津々、という感じで尋ねるスギナに、花守様はにっこり頷く。
「分解と召喚と転移を適当に組み合わせるのです。」
「そんな複雑な術だったんっすか?」
目を丸くするスギナに、花守様は軽く首を傾げた。
「複雑、というほどのことも、ありませんかね?
わたしはいつも楓さんに手抜きだと叱られます。」
「いやそれ、滅茶苦茶、高度でしょう?」
「高度だろうとなんだろうと、片付けくらい、手と足を動かせばいいんです。」
めっ、と睨んだら、はい、ごもっとも、と花守様はにっこり頭を下げた。
スギナはそんなあたしたちのやり取りを、不思議そうに見ていた。
「花守様を・・・あの花守様を?楓が叱っている?」
「もう、しょっちゅうですよ?」
花守様は告げ口をする仔狐みたいに声を潜めてみせる。
けどそれでも、ずぅっとにこにこと、ご機嫌だ。
朝餉を食べられたのが嬉しかったのかも。
花守様は、前よりちょっと食いしん坊になった。
「その甕は、薬の仕込みに行ってきてくれたんですね?」
花守様は脇に置いてあった甕を指さして尋ねた。
「ああ、そうなんです。
スギナが手伝ってくれたから、いつもより早く済んで・・・」
そうだ、とあたしは大事なことを思い出した。
「花守様、この薬って、病にも効くんですか?」
「さあ・・・どうでしょう?」
やっぱり花守様も首を傾げた。
「効く場合もある、かもしれません。」
えっ、とスギナは短く叫んで、いきなり花守様に飛びついた。
けど今は花守様よりずっと大きくなってしまってるから、なんだか上から抑え込んだみたいになった。
「う。あの、えっと・・・」
困惑したように花守様はスギナを見上げる。
「ああ、すいません、花守様。」
スギナは慌てて花守様から手を離すと、その前に平伏した。
「御願いです、花守様、この薬を、どうか分けていただけませんか?」
「ええ、いいですよ?」
あっさり頷いた花守様に、スギナは目を丸くする。
その瞳にみるみる涙が浮かんだ。
「あああ、っと、え?いったい、どうなさったんです?」
今度は花守様が慌てた。
けど、スギナは感動にむせび泣いていて、口もきけなくなっていた。
仕方ないから、あたしが代わって説明した。
「スギナのおじいちゃんの胸の病に、花守様の薬が効くって、スギナが人間に聞いたらしくて。」
「ほう。胸の病に?
それは、わたしも知りませんでした。」
けろっと返した花守様に、スギナの涙はぴたりと止まってしまった。
「え?効かないんっすか?」
「さて。どうでしょうね・・・
その人間は、胸の病にあの薬を使ってみたのですか?」
逆に花守様のほうから尋ねる。
スギナは首を振った。
「使うどころか、実物を見たこともない、って言ってました。
けど、あれはなんにでも効く、すごい薬だ、って。」
「傷ついたところを修復することにかけては、効果のある薬です。
ほんのわずかでも正常な部分が残っていれば、ほぼ完全に元の姿に戻してくれます。
それが、あの山吹の木の力なのですよ。」
ゆっくりと丁寧に花守様は説明した。
「怪我の治療の場合、傷ついたり毒に侵された部分を取り除き、残ったところから再生させます。
病についても、もしかしたら、共通する部分もあるのかもしれません。
施療院の治療師たちは、風邪や腹痛等、体調の悪いときには、あの薬を飲みます。
そうすれば、悪化せずに早く治せるそうです。
わたし自身は、風邪にも腹痛にもならないので、試したことはないのですけれど。」
そういえば、花守様は、風邪をひいたことも、お腹痛を起こしたこともないなと思った。
あたしの来る前はよく倒れていたそうだけど、それって、寝不足かお腹がすいたか、だったようだ。
寝るか食べるかすればけろりと治るもんだから、また無理のし放題だったらしい。
わたしは、病にはあまり詳しくはないのですけれど、と挟んでから、花守様は続けた。
「病というものは、木につく悪い虫のようなものではないかと、わたしは考えています。
その悪い虫の傷つけたところを、あの薬は修復するのではないかと。
しかし、その虫自体を退治できるのは、治療師ではなく、祈祷師です。
弱い虫であれば、退治ずとも、からだが修復されれば、いつの間にか逃げてしまいますけれど。
強い虫と闘う方法は、わたしには分かりません。」
スギナは残念そうに首を振った。
「祈祷師にかかるのは絶対に嫌だ、ってじいさまは言いはるんです。」
「祈祷師嫌いのヒトもいますからねぇ・・・」
ふたりは同時にため息を吐いた。
祈祷師にかかるには、それこそ、とんでもない謝礼がいる。
生涯ただ働きを約束させられる狐もいる。
わが仔を差し出すことを強いられる狐もいる。
そんな思いをして祈祷をしてもらっても、治るかどうかは、五分五分といったところ。
だから、同じ妖狐でも、そもそも祈祷師なんて信じない、というヒトも結構、いる。
だからこそ、スギナは、人間の世界にあるその秘薬を手に入れようと思ったんだろう。
そのために金子を稼ごうと思ったんだろう。
もっとも、それって、実は、花守様の薬だったんだけど。
「・・・それでも、もしかしたら、効くかもしれない。
だから、あの薬を、分けてもらえませんか?」
縋りつくような目をして、スギナは言った。
それに花守様は小さく頷いた。
「分かりました。
薬なら、必要なだけ持って行きなさい。
楓さん、出してあげてください。」
あたしは頷いた。最近は薬の管理もあたしの仕事だ。
「・・・そう、でも、それなら・・・」
花守様は、なにか考えるようにしながら、続けた。
「よければ、一度、おじいさまに会わせていただけませんか?
おじいさまの様子を直接見れば、薬に有効な術を付け加えることもできるかもしれません。」
「本当っすか?」
スギナは今にも飛びつきそうに花守様を見た。
花守様はちょっと困ったような顔をしながら、首を傾げた。
「すみません。かもしれない、の話しです。
できる、と確約はできません。
でも、可能なら、できるだけのことをしたいと思います。」
「有難うございます!」
スギナはそう言って額を地面にこすりつけた。
あらあら、やめてください、と花守様はおろおろした。
「じっちゃんは、何かあると、もう自分は年だから、って言うんっすよ。
けど、俺には身内はじっちゃんしかいねえから。
だから、なるべく、長生きしてほしくて。」
いつもじいさまと言っているのに、じっちゃんになっている。
ずっとスギナはそう呼んできたんだろう。
花守様はスギナの前に膝をつくと、その背中をゆっくりと撫でた。
「なにをおっしゃいます。
スギナさんのおじいさまは、わたしよりずっと若いじゃないですか。」
「あ。そうっすよね?」
スギナは泣き笑いのようなくしゃくしゃの顔になった。
そうですよ?と花守様は笑いかけた。
他ならぬ始祖様なんだから。説得力は抜群だ。
スギナは近いうちにおじいさんを連れてくると約束して、家に帰っていった。




