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花と水を満たした甕を持って施療院に帰ると、たまたま降りたところで柊さんと出くわした。
柊さんは甕を抱えたスギナを見て、おう、と一声あげた。
「スギナじゃないか。
立派になって、見違えたぞ。」
すごい。柊さん。
一目見ただけで、スギナのこと、分かったんだ。
「お久しぶりっす。柊さん。
俺も、一人前のお墨付きを頂いたんで、ご挨拶に来ました。」
スギナはもう今は柊さんよりも背が高くなっていた。
けど、うっそりと背中を丸めて頭を下げる様子は、やっぱり柊さんのこと、苦手なようだった。
「鹿一頭はどうした?」
柊さんはスギナの後ろを回り込むようにしながら尋ねた。
「それじゃだめだ、って言ったのは、柊さんっすよ?」
スギナはちょっと顔をしかめてから、ああ、そうだ、忘れてた、と何やら懐から取り出した。
「俺の初めてもらった給金で買ったんだぞ?」
もったいぶってそう言うと、何やらいきなり、ぐさり、とあたしの髪に突き刺す。
「え、ちょっ、なに?」
「うん。馬子にも衣裳だ。」
スギナはからだをちょっと斜めにしてあたしを見ると、満足そうに笑った。
それを横で見ていた柊さんは、盛大なため息を吐いて、首を振った。
「まだまだだ、スギナ。
それじゃ、楓は、喜ばんだろう?」
柊さんは、ぱちんと指を鳴らした。
するとその前に小さな床几が現れた。
「楓。ちょっとここに座れ。」
言われるままにあたしが座ると、ちょっと触るぞ、と言ってからあたしの髪をほどいた。
柊さんはどこからか取り出した櫛で丁寧にあたしの髪を梳った。
ヒトに髪を触られるなんて、ずいぶんやってなくて、ちょっとくすぐったい。
ましてや、あの、柊さんに、髪を触られるなんて、ものすごく緊張した。
柊さんは予想外に器用な手つきで、すいすいと、あたしの髪を結ってしまった。
それから仕上げに、さっきスギナがさしたのをすっと差し込んだ。
「まあ、こんなところか。」
もう一度、ぱちんと指を鳴らすと、あたしの目の前に、よく磨かれた鏡が現れた。
「うわあ。すごい。」
あたしは鏡に映った姿に思わず歓声をあげていた。
こんな複雑な形に髪を結ったのは初めてだ。
まとめたお団子の根本には、楓の葉っぱの形をした彫金細工の簪がキラリと光る。
簪の先には小さな鈴もついていて、あたしが動くと、チリ、チリリ、と小さな音を立てた。
「すごいっすね、柊さん、勉強になります。」
スギナも素直に感動している。
それから、もう一度あたしを見て、うん、似合ってるぜ、と嬉しそうに笑った。
柊さんはぱんぱんと手を払うようにしながら、昔、よくやらされただけだ、とぼそりと言った。
「恋人にっすか?」
あっけらかんと尋ねるスギナに、思い切り嫌そうな顔をする。
「姉に、だ。」
へえ。柊さんって、お姉さんいるんだ。
なんだかちょっと、意外に感じる。
「小さい頃から、さんざんこき使われて、女心、とやらを、骨の髄まで、叩きこまれたからな。
おかげで、わたしは、女は懲り懲りだ。」
「あ。だから、恋人、作んないんっすね?
俺はまた、てっきり、モテないのかと・・・」
じろり、と睨まれて、スギナは慌てて自分の口を抑えた。
バカだねえ。その余計な口は、あんまり成長していないらしい。
「おや、スギナ?
楓とはちゃんと会えたようだね?」
そこへ通りかかったのは蕗さんだった。
「ああ、蕗さん、さっきはどうも、っす。」
スギナはぺこっと頭を下げた。
「よかったね。楓が変わらずここにいて。
おや?楓、なんか今日はちょっと、いつもと雰囲気が違わないかい?」
こっちを向いた蕗さんは、おやおや、とあたしの髪を感心したように眺めた。
「それは、柊にやってもらったのかい?」
「え?・・・ええ・・・」
どうして分かったんだろうって不思議に思っていると、蕗さんは、ふふっと笑った。
「柊は髪結い師をしていたこともあるんだ。」
へえ、とスギナとあたしは同時に言って、柊さんに注目した。
柊さんは、ほんの少し赤くなって、ぷい、とそっぽを向いた。
「昔の話しだ。大昔の。」
それから、余計なことは言うな、と蕗さんを睨んだ。
蕗さんは悪びれた様子もなく、軽く肩を竦めて、あたしたちに言った。
「こう見えて、柊は、いろんなことをやってきているんだよ?
また酒でも飲ませて聞いてみるといい。」
柊さんと蕗さんは、施療院に来る前からの知り合いらしい、ということは知っていたけど。
なんだか、こんなふうに話していると、仲のいい友だちみたいだ。
「忙しいんだ。もう行く。」
柊さんはぶっきらぼうにそう言うと、さっさと行ってしまった。
その後ろ姿を見送って、蕗さんは、やれやれ、と呟いた。
「もうちょっと、ヒトに心を開けるといいんだけど。
あれで、根はいいやつなんだよ?」
悪いヒトじゃない、ってのは、あたしも分かってるけど。
それにしても、やっぱり柊さんは、ちょっと苦手だ。
前に比べたら、だいぶ、ましにはなったけど。
いまだに話すのはものすごく緊張する。
「ああ、そうだ。
花守様も、もうそろそろ、朝の急患の施術が終わるころだろう。
楓、悪いけど、朝餉を持って行ってもらえないか。
放っておくと、また、食べるのをお忘れになるから。」
「ああ!そうでした。」
あたしは大急ぎで厨にむかった。
スギナも甕を抱えながらついてきた。
食堂として使われていた広場の脇に、初めて、スギナと竈を作ったのって、もう一年前だ。
あれから、少しずつ少しずつ、いろんな設備を作って、今や、かなり立派な厨になっている。
スギナは厨を見て、目を丸くした。
「なんだこれは?料理宿でも始める気か?」
「まさか。人間じゃあるまいし。」
料理宿。
人間の世界にはそういうものもあるらしいけど。
狐の郷にはそんなものはない。
「いろいろ、増えてんなあ。
俺にも使い方の分からないやつもあるぞ?」
スギナは物珍しそうに厨を見て回った。
「これは、なんだ?」
「天火用の炉だよ。」
「こっちは?」
「蒸し焼きをする窯。」
「これは?」
「せいろ。」
次々と質問をしては、へえ、へえ、と頷いた。
「すげえな。これ、全部、お前ひとりで作ったのか?」
「まさか。スズ姉が手伝ってくれたんだよ。」
スズ姉にはあれからもしょっちゅうお世話になっている。
「姉さんが?
あのヒトって、何してるヒトなんだ?」
「ああ。言ってなかったっけ。からくり師だよ。
こんな小さな玩具から、家一軒まるごとのからくり屋敷まで、なんでも作るんだ。」
へえ、とスギナはもう一度感心したように唸った。
「お前って、最強だな?」
「べつに、あたしにはなにも特別なところはないよ。」
あたしはさっきスギナにそのうち仕事を取られるかも、って思ったのを思い出してむすっと返した。
最強ってのはスギナみたいになんでもできるヒトのことだろう。
「一年でこんな厨、作っちまうんだから、最強だろ?」
だから、あたしひとりで作ったんじゃないってば。
そもそも、最初はスギナと作ったんだし。
「おう。これ、懐かしいな。
まだこれ、使ってんだ?」
スギナは石板を引っ張り出して嬉しそうにこっちを見た。
「ああ。石焼肉はみんな喜ぶからよくやるよ。
貯蔵庫の鹿や猪もだいぶ減ったって、花守様も喜んでた。」
「へえ?
そんじゃ、ちょっくら俺、狩に行ってきてやろうか?」
「いや、いい。
定期的に花守様が狩はするしさ。」
「へえ。あのヒト、狩もするんだ?」
「ああ・・・狩には連れて行ってくれないから、よく分かんないんだけどさ。
あんまり森を荒らされると困るから、って言って、ときどき行くんだよ。
いっつも帰ってくるときには、お肉を詰めた箱、連れて帰ってくる。」
何故か、花守様は狩の様子は見せてくれない。
まあ、あたしも、どうしても見たい、ってほどのこともないし、無理やりはついていかない。
「退院したヒトたちも、獲物、持ってきてくれるし。」
遠くに遠征するヒトは、わざわざ珍しい獲物を、転移で送ってくれたりもする。
「食べたことないモノをもらうと、ちょっと困ることもあるけどさ。
戦師って物知りなヒト、多いでしょ?
だから、誰かに聞けば、大抵のことは、なんとかなるんだよね。」
まあ、そのために、厨に道具が増えていく、ってのもあるけどね。
「ますます料理宿やれそうだな、ここ?」
「宿じゃないよ、施療院。
けど、美味しいもの食べてみんな早く怪我が治ったら、そのほうがいいじゃない。」
花守様もずいぶん、いろんなものを食べてくれるようになったし。
あたしはてきぱきと花守様の朝餉を用意してお盆に並べた。
といっても、作ってあったのを器に入れるだけだから簡単だ。
「スズ姉のからくりで、竈で炊いた穀物は、いつもほかほかのままなんだ。」
これは妖術じゃなくて、ちゃんと仕掛けのあるからくりらしいんだけど。
あたしには妖術にしか思えない。
けど、すっごく助かっている。
「最強ってのはさ、花守様とか、スズ姉とか、あんたとか、そういうヒトたちだよ。」
あたしもそうだったらよかったんだけどさ。
「なぁに言ってんだ。バカだなあ?」
「バカにバカ呼ばわりされた。」
むっとして睨むと、スギナは、はははっ、と笑った。
「あんた、朝餉は?」
一応、スギナにも聞いておく。
「ああ、食ってきた。
けど、美味そうだな・・・」
お盆に並んだ花守様の朝餉を、スギナは羨ましそうに見ている。
「食べる?」
「食べる。」
そう言うから、あたしは手早くもう一組用意した。
「ああ、自分のは自分で持つ。」
あたしの用意した朝餉を、スギナは器用にお盆ごと頭に載せた。
「え?落っことさないの?それ?」
「大丈夫。大丈夫。」
そう言って、肩には甕を担いだ。
やっぱり、最強ってのは、スギナのことだろう。
あたしはとりあえずお盆を持つと、天幕へと急いだ。




