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山吹堂の狐の秘薬って、それ、花守様の薬が人間の世界で売られているときの名前だ。
「狐の秘薬って、今作ってる、この薬のことだよ?
乾燥させて丸薬にしたのを、そういう名前で売ってる、って前に花守様に聞いたことある。」
あたしがそう言うと、スギナは目を真ん丸にした。
「本当に?
けど、これって、怪我の薬だろう?
俺も、前に怪我したとき、この薬、毎日飲んでたぜ?」
あたしはうんうんうなずいた。
「スギナのおじいちゃんって、なんの病なの?」
「胸の病だ。
もう、長患いしてる。
前は、西方渡来の人参をすりつぶして飲ましてたんだけど。
それよりもっと効く薬がある、って聞いたもんだから。」
この薬は胸の病にも効くんだろうか。
施療院には病のヒトはいないし、よく分からない。
「誰に聞いたの、それ?」
「人間の、海人族のヤツだ。
導師のお役目について行った先で友だちになったんだ。」
「人間?
その人間は、胸の病にその薬を飲んだって言ったの?」
「いいや。そいつも、薬の実物は見たことねえ、って言ってた。
なにせ、高っかい薬だからな。
けど、効く、って。」
「効くのは効くよ?
だけど、胸の病に効くかどうかは、分からない。
それは、花守様に聞いてみないと、だけど。
今、花守様、施術中だから。」
本当にこの薬でいいなら、たくさんあるし、金子なんかなくても、花守様はいくらでも分けてくれる。
そしたら、スギナは、戦師にならなくてもいいんじゃ?
淡い期待が胸のなかに持ち上がった。
いやべつに、スギナが戦師になろうとなるまいと、どっちでもいいんだけど。
それにあたし、前ほど戦師のこと嫌いってわけでもないし。
いや、だからって、戦師になってもいいって思ってるわけでもなくて。
ならないなら、ならないに、こしたことはない?
・・・ことも、ない、っか?
ならなかったら、ならなかったで、早く嫁になれって、うるさそうだし。
いやだから、あたし、戦師だろうと、狩師だろうと、スギナの嫁になるつもりなんて、ないし!
「だあああああっ!もうっ!!」
なんだかひどく混乱してきて、頭を抱えて突然叫んだら、スギナはぎょっとしたようにこっちを見た。
「どうした?おい?」
あたしは、きっ、とスギナを見て、言い聞かせるように言った。
「とにかく、花守様に、相談しよう。うん。
けど、今はまだ、無理だし。
とりあえずは、あたしの、仕事をしよう。うん。」
スギナはきょとんとして、ただあたしを見ている。
あたしは、言うだけ言うと、あとは黙々とまた花を拾い始めた。
「なんだ?なんだ?」
スギナはしばらくおろおろしてたけど、あたしのやっていることを見て、おう、と言った。
「花、集めたらいいのか?」
「ただ集めるんじゃないよ?
ちゃんと虫食いとか枯れたりとかしてない、きれいな花びらだけ集めるの。
それに、シベやガクはちゃんと取らないとだめなんだ。」
あたしはちょっと偉そうに説明した。
スギナは、ふーん、と言ってから、傍に置いてあった甕を顎で差した。
「そんで、そこに入れるんだな?」
「そうだよ。
でも、やるんだったら、まずちゃんと手をきれいにしてから・・・」
「大丈夫だ。手は使わねえ。」
スギナは胸元から取り出した札を投げると、小さく呪言を唱えた。
すると、辺りの花びらが、一斉に宙に舞い上がった。
花びらは宙でくるくると回りながら、シベとガクを落としていく。
虫食いや枯れたところのある花びらも、そのときに落ちていった。
「まあ、こんなもんかなあ。」
花の選別されていくのを眺めていたスギナは、適当なところで、ひょいと手を振った。
すると、取り分けられた花びらが、すいすいと、自分から甕のなかに入っていった。
「よし、と。
仕事はこんだけか?」
山盛りに花びらが入った甕をひょいと肩に担いで、スギナはあたしを見た。
あたしは呆然としてスギナのやることを見ていたけれど、はっと我に返って言った。
「違うよ。
まだ、水汲みもある。
その甕いっぱいになるまで、泉の水を入れないといけないんだよ。」
「そうか。
じゃあ、その水汲み場に案内しろよ。」
スギナは当然のように言う。
分かった、とあたしは歩き出した。
歩きながら、あたしは、なんだか悪い予感が的中したような気がしていた。
悔しいけど、やっぱりスギナって、できるやつ、だ。
スギナが狩師にならずに、施療院で働く、とか言い出したら、どうしよう?
あたし、いらなくなってしまう。
「おい、どうした?」
隣を歩くスギナは、あたしを見下ろして言った。
なんだよ、そんなに、おっきくなっちゃって。
前は、見上げなくったって、話せたのに。
「・・・なんでもない。」
自分でもびっくりするくらい不機嫌そうな声が出た。
スギナが目を丸くしているのが、見なくったって分かった。
「母上?どうなさった?」
「お母様、ご気分でもすぐれませんの?」
そう言って、突然、あたしの両手を、小さな手が握った。
スギナが、げーーーっ、と叫ぶのが聞こえた。
「お母様?
お前、いつの間に、子持ちになったんだ???」
・・・まあ、驚くか。
どう見ても幼子にしか見えない双子の大精霊が、あたしの両手をそれぞれ掴んでいた。
「違うよ。この方たちは、いっつもふざけてそう言うんだよ。」
あたしはしぶしぶ説明した。
「我らはいつでもそう呼ぶ覚悟はできているゆえ。」
「こんな好機、あなたを逃したら、次はいつ訪れるやら、分かりませんもの。」
ヒトの悪い大精霊は、しれっとそう言い切った。
「この方たちは、この森の旧い木の精霊だよ。
本当は他にもいっぱいいるんだけど、滅多に出てきてくれないんだ。」
「我らも本来ならば、父上と母上の他の者の前に姿を現すことなどない。」
「お母様がなにやら困っておられたので、これはお助けしなければと、参上したのですわ。」
双子はあたしを後ろに庇うようにしながら、スギナを見上げた。
「おぬし、狩師の小僧だな。」
「その顔に見覚えがありますわ。」
双子は自分たちの倍くらいはあるスギナを、臆することなく睨み据えた。
「母上はきっぱり断っておられるのに。」
「しつこい雄狐は嫌われましてよ?」
スギナはあっけにとられたように双子を見下ろしていたが、急いで膝をついて姿勢を低くした。
それから、双子にむかって、にかっと笑いかけた。
「これはこれは。大精霊にお目にかかれるとは、有難き幸せ。」
そう言って、スギナは胸に手を当てて、丁寧に頭を下げた。
これは、相手を敬う最上級の礼だ。
スギナの真意を測りかねて、双子は互いに顔を見合わせた。
「俺のことをお見知りおきとは、おみそれしました。
流石、長年、郷を護っておられる、守護の大精霊よ。
このような木っ端にもお心をお砕きくださるとは、なんとも有難きこと。
心より感謝し申し上げまする。」
「お、おだてても、なにも出んぞ!」
「っそ、そう、なにも出しませんわ!」
双子は焦ったように言い返した。
このふたり、実はおだてられると弱い。
それに、精霊は、感謝だとか、嬉しいだとか、そういう気持ちが大好物だ。
そういう気持ちをむけられると、途端に、精霊自身も嬉しくなってしまうものらしい。
スギナはにこにこと続けた。
「ご立派な守護精霊様の慈雨のごとき温情は、郷の誰彼にも等しく降り注ぎましょう。
その惜しみなき御心に感謝を捧げるのは当然のことと存じまする。」
「っも、もちろん、みな同じように可愛い。」
「どの仔もみな、大切な郷の仔です。」
「我もまた、この地に生まれしモノの端くれ。
この命もこのからだも、有難き守護の賜物。
これからもその変わらぬご加護を賜りますよう、御願い奉りまする。」
「・・・っそ、それは、もちろん。」
「見守っていますわ。」
「有難きお言葉に、身も震えんばかりの喜びでございます。
いずれこの心願の成就いたしました折には、くさぐさの物供え、嬉しきご報告を申し上げます。」
「うむ。あい分かった。励まれよ。」
「よい報告をお待ちしております。」
なんだかうまいこといいくるめられてしまった。
「すまぬ、楓。我らは帰る。」
「また今度、一緒に遊びましょう?」
ふたりとも手をふって、ぱっと姿を消す。
スギナは立ち上がると、にこにことあたしのほうを見て言った。
「あんな大精霊方にお会いできるとは。
やっぱり、お前といると、いいことあるな。」
スギナってやつは、根っからの善人なのか、それともとことん策略家なのか。
まあ、多分、根っからの善人のほうなんだろうけど。
泉に着いたあたしは、丁寧に柄杓で水を汲んで甕に満たしていく。
なるべく、湧いてくるところの傍から、そっとそっと。
かき混ぜて、濁らせたりしないように気を付けて。
今度はスギナも手出しはせずに、あたしのすることをただじっと見ていた。
「なあ、そうやって、泉の水を汲んでいるとさ。」
「うん?なに?」
「お前も、特別な精霊か何かのようだな?」
「は?」
聞き返すと、スギナは、しまった、って顔をして、真っ赤になって、そっぽをむいた。
「まあ、その、なんだ。
きれいだ、って言ってんだ。」
焦ったようにいらないことを付け加える。
「は?」
あたしはびっくりして、それから、一気に暑くなった。
「えっ、ちょっ、驚かさないでよ。
水、濁っちゃうでしょ?」
「あ。ああ・・・すまない。
まあ、なんだ、慌てずに、ゆっくりやれ。
俺は、そのお前なら、ずっと、見ててもいいから。」
「・・・・・・。」
スギナってば、どうしちゃったんだろう?
しばらく会わない間に、変になったみたいだ。




