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花恋物語  作者: 村野夜市
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どこかで、朝を告げる鳥が鳴いた。

その途端、精霊たちは一斉に姿を消した。


はっとして顔を上げると、いつの間にか辺りは白々と、夜明けが近づいていた。

両手を掴んでいた精霊だけ、まだそこに残っていた。

そうして、あたしを見上げて代わる代わる言った。


「祭りのあくる朝、陽の気の極まったお日様の光には、すべての真実が暴かれる。」

「嘘も幻も、その光のなかには存在できず、本当の姿が現れる。」


「今日は、一年で一番、影の短い日。」

「今日の日の出は、格別の力を宿す。」


そのときだった。

はじまりの山吹の木のむこうから、朝の最初の光が差した。


光に目を射抜かれて、あたしは思わず顔を逸らせた。

それ以外のことは、何もできなかった。

両手は掴まれていて動かせない。

こんな小さな精霊なのに、振り払うこともできない。

足もその場に根が生えたように、びくともしなかった。


目を開くと、青い光の残像が見えた。

ゆらゆらと、それはヒトの形を取った。


「花守様?」


眩しい光のなかに現れたのは、花守様の姿だった。

花守様は、とっておきのよそいきのような、純白の衣に身を包んでいた。


いつもとは何か様子が違う。

そう思ったのは、何故だろう。

ああ、そうか。

花守様が、笑っていないんだ。


いつも、どんなときも、その頬に浮かぶ微笑みが、今はまったくなかった。

怖いくらいの無表情で、花守様は、ゆっくりと、その瞳を開いた。


つっ、と花守様の瞳孔が縦にすぼまった。

初めて、花守様を怖いと感じた。


「わたしを、殺しなさい。」


山吹色の瞳であたしを見据えて、花守様は淡々と言った。

なんの悪い冗談だろうと、あたしは思った。

けれど、花守様の顔は、冗談を言っているようにはとても見えなかった。


「そのために、あなたをここへ連れてきたのだから。」


なにを言っているのか、さっぱり分からない。

言葉の意味は分かるのに、その内容はまったくあたしのなかには入ってこなかった。

あたしはただ、ゆっくりと瞬きをしながら、、花守様を見つめていた。


「わたしはどんな患者でも治せるというのは、嘘です。

 わたしにも、治せなかった患者がいた。

 この命に代えても治してみせると、わたしは約束しました。

 けれど、その約束は果たせなかった。

 だから、あなたには、この命を奪う、権利があります。」


その先を聞きたくない。

強く、そう思った。

耳を塞ぎたかったけれど、手は動かせない。

大声をあげて遮ろうとしたけれど、声も出せなかった。


「あのときは、あなたに命を差し出せなかったけれど。

 今はもう、違います。

 さあ、わたしを殺しなさい。」


花守様は、あたしの前で両腕を開いた。

いつの間にか両腕を捕らえていた精霊は姿を消していた。

あたしの両手は自由になって、小さな刀を一本、握っていた。


あたしは呆然として、手元の刀と目の前の花守様を見比べる。

花守様は、からだの急所をすべて晒して、あたしの前に立っていた。


そのとき、ゆっくりと上ってきたお日様が、その姿を全部、地上に現した。

眩しくて強くて温かな光に、あたしの全身が包まれる。


からだに・・・

熱が・・・

満ちる・・・


封じ込められていた何かは、あたしのなかで膨れ上がり、枷を吹き飛ばした。


ゆっくり、ゆっくりと、それは戻ってきた。


あたしを見下ろしている母さんの笑顔。

反対側に父さんも笑っている。

あたしはふたりに手を引っ張ってもらって、高く、高く、持ち上げられる。

楽しくて楽しくて、あたしも、全身で笑った・・・


そうそう、ゆっくりゆっくり。

父さんの声がする。

焦らなくていいの。ゆっくりでいいから。

母さんの声もする。

その瞬間、目の前で、ぼうっと立ち上る火柱。

危ない!と言う声がして誰かに抱きかかえられて。

あとはもう、分からない・・・


母さんはね、普通の狐だったの。

それが、あるとき、森で父さんを見かけてね。

こおんなに綺麗なヒトがいるんだ、って。

一目惚れよね。

それから、毎日毎日、ついてまわったの。

父さんは最初、母さんのこと、追い払おうとしたんだけど。

追い払われても追い払われても、母さんがついてくるもんだから。

そのうち、呆れて、ついてきても知らん顔をするようになったの。

それどころか、おいで、って、手を伸ばしてくれてね。

座った膝に乗ったら、よしよし、って背中、撫でてくれた。

そのとき、母さんは、このヒトのお嫁さんになる、って決めたのよ。


妖狐には、いつの間にか、なってた。

多分、父さんのお嫁さんになりたい、ってずっと強く、願ってたからかな。

毎晩、毎晩、お星様にお願いしたもの。


念願叶って、父さんのお嫁さんになって。

楓っていう可愛い娘も生まれて。

母さんは、幸せ。

とっても、幸せ。


でも、ごめんね。

楓には、ごめんね。

こんな母さんから生まれたから、楓はいらない苦労をしているのよね。


母さんは望んで妖狐になったけど。

楓は、望んで、母さんの娘に生まれてきたわけじゃないのに。


楓の妖力はね、強すぎるんだ、って。

本当なら、妖狐は生まれたときから、妖力の制御を母さん狐から習うんだけど。

けど、母さんは、楓にどう教えていいか分からない。


ごめんね。母さんは、普通の狐だったから。

生まれつきの妖狐じゃなかったから。


どうして妖力を封じておかなかったんだ。

こんな強い妖力、半妖の身には、堪えきれなかろう。

さっさと封じておけばよかったのに。


そうだ、封じればよかったんだ。

何もかも封じて、いっそ、普通の狐に戻してしまえばよかった。

あたしは、妖狐じゃなくてもいい。

ただの狐になってもいい。

ただの狐になって、毎日、野山を駆け回っていたらよかった。

そうすれば、あんなことにはならなかったのに。


ハナモリサマ、タスケテ!

カアサンヲ、タスケテ!

ハナモリサマナラ、ドンナヒドイケガデモ、ナオセルノデショウ?

カアサンハ、アタシノセイデ、コンナケガヲシタノ・・・

アタシノイノチトコウカンシテモイイカラ。

ダカラ、ドウカ、カアサンヲ、タスケテクダサイ・・・


無理だ、楓。

母さんはもう、息をしていない。

心の臓も、止まっているんだよ。


父さんの苦しそうな声。

あたしはもう、なにも見えない。聞こえない。

ただ、きーんという低い唸りだけ、あたしのなかから溢れそうになって・・・


そのときだった。


大丈夫、治します。

このわたしの、命に代えても。


その声が、あたしをそこに引き戻した。

世界に音が戻った。色も戻った。

あたしのなかに響く唸りは、もう聞こえてこなかった。


なのに。


「どうして?

 大丈夫だって、言ったのに・・・

 嘘つき!!!」


そうだ。あれは、あのときの、あたしの叫び。

辛くて悲しくて苦しくて。


カアサンヲコロシタノハアタシ・・・


甦る記憶を、あたしは何度も反芻する。

思い出したくないのに。

知りたくないのに。

けれど、残酷な事実は、何度も何度も、あたしのなかに繰り返し再生される。


抑えきれなかった力が暴走して、持ち主であるあたしに襲い掛かった。

母さんが庇ったのは、あたし。

ぐったりした母さんのからだを、父さんは抱えて走った。

ハナモリサマナラタスケテクレル・・・

だけど、森に着いたとき、母さんはもう、息をしていなかった。


あたしはハナモリサマに縋った。

ドウカドウカ、カアサンヲタスケテクダサイ。

ハナモリサマは、山吹色の瞳でじっとあたしを見て、それから頷いた。

大丈夫、治します。

このわたしの、命に代えても。

そう言って、あたしの背中をそっと撫でた。


けど、結局、母さんは、帰ってこなかった。


「あのとき、わたしは、あなたに本当のことが言えませんでした。

 いいえ、何とかしたいと本気で思っていた。

 あなたにお母さんを返してあげたかった。

 けれど、わたしの力は及ばなかった。」


ナンデ・・・ナンデ・・・

どう考えても分からなくて、その後、あたしの力は何度も暴走した。

暴走して、あたしを殺そうとした。


それで、とうとう、あたしの力は封じられた。

父さんがそれを、花守様にお願いした。

どうか、この娘を助けてやってください。

母親が、命を懸けて護ったこの仔を、助けてください。


母さんが庇ったのは、父さんということになった。

戦場で、父さんを庇って、死んだ、ということになった。

あたしの力は、母さんの記憶と一緒に封印された。

あたしは、母さんのことは、何一つ覚えていない、ことになった。


それから、父さんは、あたしを捨てた。

母さんを、殺した、あたしを、捨てた。

きっともう、顔も見たくなかったに違いない。


「千と一回、日の出の光を浴びれば、どんな幻術も解けてしまうものです。

 わたしがあなたにかけた術も、あと少しで解けかけていました。

 だから、最後の最後は、このわたしの手で、封印を解こうと思いました。」


だから、あたしの導師を引き受けたの?

だから、毎日毎日、日の出を見に行っていたの?


「もう一度、封じてくれれば、よかったのに・・・」


声を、絞りだすように、言った。

力なんかいらない。

記憶なんか、取り戻したくなかった。

どっちも封じられたまま、あのまま平和に暮らしていたかった。


「封印は、いつかは解かなければ、ならないのです。」


花守様は静かに言った。


「あなたに、お母さんを返してあげたかった。

 あなたに、お父さんも返してあげたかった。

 それを奪ったままでは、いられなかった。

 それに、この力は、あなたのもの。

 あなたが生まれ持ってきたものです。

 誰かに無理やり封じ込められていいものじゃない。」


花守様は、静かに胸を開く。


「あなたの怒りも苦しみも、全部わたしが受け止めましょう。

 わたしには、その責任があります。」


じっとあたしを見据えるその瞳に、ちらりと鋭い光が宿る。


「だけど、簡単には、殺されてあげません。

 あなたは、強くならないといけない。

 強くなって、わたしを殺せるくらい、強くなって、そうして、生きなさい。

 悔しさも、悲しさも、わたしにぶつければいい。

 あなたの、お母さんは、あなたを護りたかったのだから。

 あなたに生きていてほしいと、誰より願ったのは、あなたのお母さんなのだから。

 その母親への贖罪のために、あなたが自らを傷つけるというのは、間違っている。

 その怒りも、悲しみも、全部、わたしが引き受けてあげます。

 だから、あなたは、生きなければならないのです。」


花守様は厳しいヒトだ。

初めてそう思った。

笑顔も優しさも、全部見せかけだったんだ。


むしょうに腹が立って、怒りを誰かにぶつけたくなって。

でもなんか、だからって、それを花守様にぶつけるのも、違ってるような気がして。


やり場のない怒りに支配されそうなあたしを、花守様は、そっと引き寄せた。

あたしは思わず、手に持っていた刀を投げ捨てた。

こんなものを持っていたら、うっかり花守様を傷つけてしまいかねない。


花守様の腕は細くて、胸も薄くて、背だって、あたしよりちょっと高いくらいだ。

これ、本気でぶつかったら、ひょっとしたら勝ってしまうかも、ってちょっと思った。

まあ、もちろん、術で反撃を受けなかったら、っていう前提つきだけど。


花守様はあたしの顔を自分の胸に押し付けた。

ずるって音がして、あたしは、自分の顔が涙と鼻水でべしょべしょだったことに今更、気づいた。

やばっ、ととっさに顔を離そうとしたんだけど。

花守様の力が思ったより強くて、あたしはそのまま、花守様のよそいきに涙と鼻水をべったりつけた。


「今はまだ無理なら、急がなくてもかまいません。

 全部まとめて受けて立ちますから、いつでも、殺しにいらっしゃい。」


花守様はあたしの耳元で言った。

その声は、嫌になるくらい、優しかった。










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