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花恋物語  作者: 村野夜市
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花守様は逆さ井戸のところで水を汲んでいた。

よっこいしょ、と言って、指を振ると、水でいっぱいの甕が持ち上がる。

あたしは走って行って、その甕を持ち上げた。


「あらあら。そんな、無理しなくていいんですよ?」


花守様はあたしを見てびっくりしたように言った。

あたしはちょっと怒ってたから、即座に言い返した。


「無理してるのは、花守様でしょ?

 あたしは、昨日もちゃんとぐっすり寝ましたし。

 水汲みくらい、なんてことないです。」


花守様はあたしの怒っている理由が分からないようで、首を傾げた。


「お元気なのはなにより。

 けど、わたしも、手伝っていただかねばならないほど、具合悪くは・・・」


「昨日、ちゃんと寝ました?」


花守様の言うのを遮って、むっと睨むと、花守様は笑顔のまま固まった。


「え?・・・はあ、まあ・・・」


「嘘でしょ。」


「ええっ?・・・あーーー・・・」


花守様は困ったように視線を泳がせた。

それから、もう一度こっちを見ると、にこっと笑いかけた。


「体調に問題はありませんよ?」


「患者さんの様子を見に行くなら、あたし、柊さんに頼んで一緒に行ってもらいますから。

 花守様は、少し休んでください。」


あたしがそう言うと、花守様は、ええっ、とものすごい衝撃を受けたような顔をした。


「そんな、どうして?

 昨日からずっと、楽しみにしていたのに?」


「花守様がお仕事をとても大事にしていらっしゃるのは知っています。

 昨日の分も今日は、って思うのも分かります。

 けど、少しは休まないと、からだを壊してしまいます。」


花守様は、そのまましばらく何か考えてから、突然、満面の笑みを浮かべた。


「わたしのことを、心配してくださったんですか?」


その笑顔の眩しさに、何故かあたしが焦った。


「だ、だって、昨日、一日中、分身を出してた、って・・・」


花守様は合点がいったというように、ぽん、と手のひらを拳でたたいた。


「ああ!それはね。まあ、念のため、です。

 なにかあったときに、すぐに帰れるように、って。

 でも、昨日は急な患者さんもなかったですし、治療師さんたちもいつもより大勢いてくれましたし。

 ただ出してた、ってだけで、全然、働いてないんですよ?」


「花守様は、すっごく忙しいのに、あたしのために無理・・・」


今度は花守様があたしの台詞を遮った。


「無理なんて、していませんとも。

 いえ、あなたのためなら、どんな無理でも、してかまわないのですけれどね?

 昨日は無理をしたというより、むしろ、癒していただきましたから。」


花守様は肩を竦めてくすりと笑った。


「でも、帰ってからも、患者さんを回ったって・・・」


「ああ!それは!」


花守様は袂で口を隠して、ふふふ、と笑った。


「患者さんのお世話は、治療師のみなさんがちゃんとしてくださってましたから。

 必要があって回ったわけではないんです。

 ただ、わたしが、すぐには眠れそうになくて、みなさんの顔を見て、少し落ち着こうと。

 ええ、叶うなら、この幸せを、みなさんにもお分けして差し上げたくなって。」


幸せ?

一日中分身の術を使って、疲れ果ててたのに?


花守様はあたしを見て、嬉しそうに微笑んだ。


「本当に、わたしの預かり仔の愛らしさは、格別ですから。

 一緒にいて、わたしも喜ばしい発見の連続なのです。

 これは、是非とも、みなさんに、微に入り細を穿ってお話ししなければ、と思ったのです。」


花守様はじっとあたしの顔を覗き込んだ。

滅多に見られない山吹色の瞳は、うるうると潤んでいて、うっとりしそうなほどに綺麗だった。

その瞳に真っ直ぐに見つめられて、あたしはどうしてか、胸がどきどきし始めた。


「ただ、残念なことに、昨夜は患者さん方は、ほとんどみなさんお休みになっていて。

 起きていらっしゃった方も、何故か、少し話を聞いただけで、すぐにすやすやと寝息を立てて。

 話だけで癒しの効果があるなんて、流石だと思いましたけれど。」


花守様はあたしから視線をそらせて、小さくため息を吐いた。

あたしは、どうしてかちょっとほっとした。


「ですからね、今日は朝から、おひとりおひとりにお話しして回ろう、と。

 ええ、準備は万端、整っておりますとも。」


えっへん、と花守様は、力こぶをつくる真似をしてみせた。

もっとも、その細い腕に、筋肉なんて、申し訳程度にもついてなかったけど。


「柊殿にお願いなんてしないでください。

 どうか、今日はわたしと一緒に患者さんを回ってくださいね?」


花守様はあたしの腕をとりながら、前に回り込むようにして上目遣いにあたしを見た。

そして、目が合うと、この上なく幸せそうににっこり微笑んだ。

その途端、あたしの心臓はまた、壊れたのかと思うくらい、ばくばくと暴れだした。













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