36
日の出を見て戻ると、あたしは朝餉の支度を始めた。
花守様はなにか用事があると言って、どこかへ行ってしまった。
とはいえ、別に困ることもない。
食事の支度なら慣れたものだし、そもそも、花守様はいても、あんまり役に立たない。
むしろ余計な手出しをするヒトがいないほうが仕事はよく捗った。
竈で火の番をしていると、後ろから声をかけられた。
「おはよう。昨日はどこまで行ってきたんだ?」
驚いて振り向くと、柊さんが立っていた。
珍しいこともあるもんだと思った。
柊さんは朝は苦手で、朝餉には起きてこないことも多い。
もっとも、夜通し起きて患者さんの世話をしていたりするから、だらしないとかそういうわけじゃない。
蕗さんみたいに夜は家に帰るヒトの分も、余計に働いているんだ。
「森の泉に・・・」
なんでそんなことを聞くんだろうと思いながら、あたしは短く答えた。
「そうか。あそこはとてもいいところだからな。」
柊さんはあたしの警戒に気づいているのかいないのか、淡々と言った。
「お前様も、多少は息抜きになったろう。」
「はい。」
「それはよかった。
お前様の元気がないと花守様も心配しておられたからな。」
「花守様が?」
そうだったのか、と思った。
突然、森に行くなんて、なんの用事だったんだろうって思ってたけど。
あたしのためだったんだ。
「スギナが行ってしまってから、どうにもお前様の元気がない、とな。
同じ年頃の仔狐は施療院にはおらんし。
オトナばかりに囲まれていては、気づまりなのかもしれん、と。」
あたしは首を傾げた。
気づまり、なんてことはないんだけど?
「オトナばかり・・・?
あ。そっか。花守様って、一応、ちゃんとしたオトナでしたっけ。」
柊さんは思い切り苦笑いをした。
「あの方は、見た目はお若いが、我らよりよほどオトナだぞ?」
そうだった。
花守様は、郷のどの妖狐より長く生きているんだから。
「そういえば、森の精霊さんたちにも、お父様、って呼ばれてたっけ。」
木の精霊なんて百年単位で長生きしてるから、その、お父様、となれば、そりゃあもう!なはずだ。
「ほう。お前様、森の精霊にも遭ったのかい?」
柊さんはちょっと驚いた、というふうにあたしを見た。
「普通に。ぞろぞろ出てきましたよ?」
そうして花守様にまとわりついていた。
「へえ。ぞろぞろ?
あの精霊たちは、警戒心が強くて、滅多に姿を現さないのに。」
え?警戒心?
あの精霊に?
「いやいやいや。
一緒に泉まで駆けっこしたり、泉に直接口をつけて水を飲んだり。
あたしが泉に飛び込んだら、手を叩いて、やれやれ~、って言ってましたよ?」
話しを聞きながら、柊さんの目はどんどん丸くなっていった。
柊さんのこんな顔を見たのは初めてだ。
「なんとまあ。
お前様は精霊に愛されるほど、純真で無垢ということか。
いや、まだまだ仔狐だから、精霊に揶揄われたのか?」
どっちかってっと、揶揄われてた、んだろうな、あれは。
「いやね、昨日、夕餉に現れなかっただろう?
だから、どうしたんだろうって、まあ、少し、思っただけだ。」
柊さんはちょっと笑って付け足した。
「花守様もご一緒だったし、問題はなかろうとは思っていたけどね。」
あ。そっか。
あたしは泉で遊び疲れて眠ってしまって、そのまま朝まで眠ってたから。
「昨日は夕餉を作りそこねてすいません。
みんな、困ってました?」
ぺこりと頭を下げると、いやいや、と柊さんは手を振った。
「問題ない。食べるものがなかったわけではないから。
たまには、粗食も悪くなかろう。
お前様の有難みも身に染み渡るというものだ。」
柊さんは腕組みをして、うんうん、と頷いた。
「昨日は急患もなかったし。
花守様は分身を置いて行ってくださったし。
なにか問題だった、というわけではないんだ。」
「分身?・・・って、施療院の外までは行けなかったんじゃ・・・」
「ああ。森くらいまでは行けるようになったそうだ。
少しずつ、研鑽を積んでおられるんだと。」
研鑽?
花守様が?
「昨日はお帰りになってから患者のところを回ってくださったが。
お疲れではないかと心配したが、むしろいつもより生き生きしておられた。
あの泉の癒しの効果は、やはり、格別なのだろうな。」
泉の水に癒しの効果があるというのは、あたしも花守様に聞いたけど。
それにしたって、一日分身の術を使った上に、帰ってからも仕事だなんて。
それなのに、今朝も知らん顔をして起こしに来てくれて。
いろんな話をしてくれて、日の出も見て。
花守様、いったい、いつ寝てるんだろう。
いくら花守様だって、それは無理し過ぎだ。
「あの、柊さん、すいません。
ちょっとここ、お願いします。」
あたしは柊さんに火吹き竹を押し付けると、急いで花守様を探しに行った。




