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傷もすっかり回復して、夜も眠れるようになったスギナは、いよいよ施療院を出ることになった。
その前の晩は、スギナの全快祝いに、石焼肉にした。
ネズミの天ぷらよりこっちがいいとスギナが言ったからだ。
みんな満腹になって、満足して眠りに就いた。
花守様のふるまい酒もいい感じにみんなを幸せにした。
ぐっすり眠った翌朝早く、日の出と共に、スギナは出発した。
花守様とあたしは、いつもの朝の散歩のついでに、スギナを外まで見送りに行った。
朝はいつもゆっくり寝ている柊さんも、今朝は早起きして、一緒についてきた。
スギナはいつも通り陽気でおしゃべりで、長い階段を上る間も、ずっとしゃべっていた。
なにをしゃべっていたのかは、覚えていない。
あたしは、なんだか胸がずっと詰まるような気持ちで、階段の段数ばっかり数えていた。
扉を開けると、日の出にはまだ少し早くて、しんと冷たい森の空気のなか、全員、口を噤んだ。
スギナも、開きっぱなしだった口をいったん閉じて、じっと、山吹の木を見つめた。
春も夏も秋も冬も、ずっと花が咲く山吹は、今朝も、ちらちらと花を落としていた。
あんなに落としても、次から次へと咲く花で、山吹はいつも満開だった。
やがて、山吹の木のむこう側に、朝日が上る。
スギナはそのお日様にむかって手を合わせた。
「施療院のみんなの怪我が、早くよくなりますように。
柊さんが、もう少しよく眠りますように。
花守様の好き嫌いが治りますように。」
スギナは早口で唱えた。
「そんなにいっぱいお願い事したら、お日様が困るよ?」
思わずあたしは隣で言ってしまった。
「大丈夫。お日様はそんなけち臭いことは言わねえって。」
スギナはにかっと笑うと、あと一個だけ、と付け足した。
「おいらもまた無事にここに帰ってこられますように。」
それは言っとかなくちゃ。
思わずあたしも、スギナの隣で手を合わせた。
「おっちょこちょいのスギナが戦場で怪我をしませんように。
余計なことを言って、導師に叱られませんように。
大事なところで滑って転んだりしませんように。」
「・・・お前、おいらをなんだと思ってんだ?」
スギナはあたしを見て呆れたように呟いた。
お祈りを終えると、スギナはわざわざあたしのほうに向き直ってから、おもむろに言った。
「楓。おいらが一人前になったら、おいらの嫁になってくれ。」
「は?」
突然の台詞にあたしの目は真ん丸になった。
まあ、と花守様が両手で鼻と口を隠す。
柊さんも、ほう、とあたしたちを注目している。
「いや、戦師の嫁には、絶対にならない。」
あたしは即答した。
花守様はぽろりと両手を落とし、柊さんは、あちゃー、と小さくつぶやいた。
けど、スギナはけろっとしたまんまだった。
「そう言うと思ったぜ。」
分かってるなら、聞かなくてもいいのに、とちらっと思う。
「じゃあ、金稼いで、戦師をやめて、狩師になったら、嫁になってくれるか?」
「え?」
まあ、と花守様はもう一度鼻と口を手で覆った。
「いや、それは・・・」
急いで答えようとすると、スギナは自分の耳を両手で塞いで、あああああ、と大声を出した。
「聞こえない聞こえない。
返事は今しなくていい。
今度、帰ってきたときでいいから。」
一息にそう言ってから、あたしをもう一度じっと見た。
「返事を聞くために、おいら、ちゃんとここに帰ってくる。
お前の顔を見られなくならないように、約束もちゃんと守る。
だから、お前も、ちゃんとよく考えて、返事をくれ。」
ちゃんとちゃんとと繰り返して、スギナはにかっと笑った。
「土産は鹿一頭でいいか?」
「ああ、鹿なら、貯蔵庫にたくさんありますから。
できれば、違うものがいいですねえ。」
花守様は横からにこにこと言った。
柊さんは、呆れたように頭を抱えた。
「求婚の贈り物が鹿一頭って、お前様は熊かなにかか?」
それから、スギナの肩に手を置いて、言い聞かせるように言った。
「簪か櫛。そうでなければ、首に飾る石。
手首を飾る輪でもいい。
あるいは、両手いっぱいの花。
そういうものを、見繕ってこい。」
「あ、そっか。」
スギナはあっけらかんと言ってから、あたしたちに手を振って歩き出した。
「じゃ、いってきます。」
「いってらっしゃい。」
あたしたちは手を振って、スギナの姿が見えなくなるまで、見送っていた。




