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花恋物語  作者: 村野夜市
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スギナはあたしの反応には気づかなかったように話を続けた。


「ああ、長い名前だろ?これって、ふたつ名なんだ。

 優れた戦師には、たいてい、ふたつ名がつくんだよ。

 そのふたつ名のほうが本当の名前よりよく知られてるんだよね。」


・・・知ってる。


「そのヒトはさ、伝説の戦師って、言われてて。

 いや、なにがすごいって、そのヒトは、一度たりとも、その手を戦の血で濡らしていないんだよな。

 戦師には珍しい、雌狐だったんだけどさ。

 そのヒトの手にかかりゃあ、どんなにこじれた戦も、するするする~と、解けて終わる。

 戦を終わらせることにかけちゃ、そのヒトの右に出る者はなかった、って。」


知ってる。


「おいらさ、初めてその話を聞いたときに、すげぇ、ってなって。

 そんで、おいらもそんな戦師になれたら、って思ったんだ。

 もちろん、金を稼がなくちゃならねえってのもあるんだけどさ。

 どうせやるなら、クレナイイロハみたいな戦師になりたい、って。

 お前もさ、そういう戦師なら、嫌いじゃないんじゃないか?」


呑気にこっちを見てそう尋ねるスギナに、あたしは顔を伏せたまま、ぽつりと言った。


「紅彩葉の、本当の名前は、紅葉、っていうんだよ。」


「え?それ本当か?

 すげえな、お前。

 イロハのこと、よく知ってんだ?」


スギナはびっくりしたみたいに目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。


「もしかして、お前もイロハ贔屓なのか?

 いいよなあ。イロハ。ぞくぞくするよな。

 今は引退して、何してるか誰も知らないんだろ?

 けど、もっぺん復帰したら・・・」


「やめて!」


突然話を遮られて、スギナはまたびっくりした顔をした。


「え?」


「イロハのことなんか、知らない!

 全然、覚えてない!

 なんにも・・・顔も・・・声も・・・」


「・・・え?」


おろおろしているスギナを、あたしは睨みつけた。


「イロハは、伝説の戦師だったかもしれないけど、相棒を庇って死んだんだよ。

 その相棒はね、イロハの夫だったんだけど、イロハが死んだらすぐに次の妻を娶ったんだ。

 新しい奥方のお腹には、そのときもう、仔狐がいた。

 だからさ、もしかしたらイロハは、奥方に陥れられて、殺されたんじゃないか、って。

 そういうこと、陰でこそこそ言うやつらが・・・」


「ええっ?」


「知略?謀略?

 ただ、ずるくて、陰でこそこそやるのがうまいってだけでしょ?

 誰も信じられず、相棒にさえ裏切られる。

 戦師なんて、そういうやつらじゃない!」


スギナはもう、え、とも言わない。

あたしは悔しくて腹が立って、ただもくもくと竈に小枝を入れ続けた。

けど、竈の火は大きくなるどころか、かえってくすぶり始めて、そのうちに消えてしまった。


なんでこう、なんでもかんでも、思ったことと逆になるんだろう。

腹が立って、涙が出て、でも、泣くのも悔しくて、唇を噛んで必死に堪えた。


スギナは黙って、ぎっちりみちみちに詰め込まれた小枝をゆっくりと取り出した。

ときどき、あちっ、とか言う他は、なんにも言わなかった。


あたしは黙ったまま、スギナのやることを、ただじっと見ていた。

そうしていると、心はしんとなって、必死に堪えた涙も止まっていた。


スギナは、竈のなかの小枝を減らすと、そこにもう一度火をつけて、ふぅ、と息を吹き込んだ。

火はまた、ちょうどいい感じに、ちろちろと燃え始めた。


「その可哀そうなイロハはね、あたしの母さんなんだ。」


あたしは、すっごく残酷な気持ちになって、へへっ、と笑った。


「父親の奥さんになったのは、前の元締めの一人娘でさ。

 その娘婿になって、父親は元締めになったんだよ。

 そりゃあ、父親は元締めの地位に目が眩んだんだって、言われるよね?」


「まさか、それって、藤右衛門様か?」


黙っていたスギナは、黙っていられずに、そう聞いた。


「そうだよ。そのトウエモン。

 本当の名前は、藤、ってんだけどさ。

 へへっ。あのヒトには似合わない優し気な名前だよね。

 藤って、綺麗な花だって言うヒトもいるけど。

 他の木に絡んで苦しめる厄介な蔓だよ。」


「ええっ?じゃあ、お前は、藤右衛門様の娘なのか?」


「そうだよ。

 知らなかったでしょ?」


あたしはあの家が嫌で逃げ出した。

母さんを殺したかもしれないヒトを、お母さんなんて呼べないし。

地位に目が眩んで、母さんを殺されても黙っているのかもしれないヒトを、父親とも思えない。


「戦師の元締め藤右衛門は、奥方と双子の息子と一緒に大きなお屋敷に住んでいる。

 立派なお大尽だ、って、みんなには思われてるよね?

 だけど、藤右衛門には前妻がいて、その前妻との間の娘のことは、みんな知らないんだ。」


あたしの抜け出したあの家は、丸く収まって家族になった。


「だけどさ。そんなことまでしたのに、あのヒトたち、幸せじゃないんだよ。」


あたしは自分でもぞくっとするくらい冷たく笑った。


「藤右衛門は、あのお屋敷にはほとんど住んでない。

 年がら年中、花街に入り浸ってて、家には帰ってこないから。

 あのお屋敷にいるのは、奥方と息子だけ。」


「・・・まさか・・・」


「あたしのいたころから、父親はほとんど家に帰ってこなかった。

 戦師ってのはそういうもんだ、ってあのヒトは言ってたけどね。

 双子が生まれてからは、あのヒトもその世話で忙しくて。

 あのね、あのヒトは、あたしのこと、絶対に叱らないんだ。」


黙ってこっちを見ているスギナの目が嫌だった。

可哀そうなものを見るような目をしているのが、とてつもなく嫌だった。


「あのヒトとあたしの間には、見えない壁みたいなものがあってさ。

 あのヒトは、いっつもその壁越しに、話しかけるんだ。

 自分が殺したヒトの娘だったのが、嫌だったのかな。

 だったら、どうしてあのヒトは、あたしのことも、殺してくれなかったんだろう?

 あたしは、それでも、よかったのに。」


「バカやろう!」


いきなり肩を掴まれて、ぐいと振り向かされた。

それから、がばりと抱き寄せられた。

つん、と汗臭い匂いがした。


「・・・臭い。」


「はあ?そのくらい我慢しろ。」


「・・・・・・息苦しい。」


「あ。そりゃ、ごめん。」


スギナは焦ったようにあたしを離すと、目を逸らせたままで言った。


「殺されたがほうがよかったなんて、絶対に言うなよ。

 お前のことは、おいらが殺させない。」


それからあとは、ふたりして、何も言わずにせっせと朝餉の支度をした。

 



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