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施療院に帰ると、竈は釜がぴったり嵌るように作り変えてあった。
その隣には鍋をかけるための竈も新しくできている。
「おう、早かったな。」
スギナは泥だらけの手で鼻をこすりながら、帰ってきたあたしに手を振った。
それからあたしの背負ってきた大荷物を見て、ちょっと顔をしかめた。
「なんだ、その大きな甕は?
まだ荷物があるんだったら、言やあよかったのに。」
「いやあ、釜も鍋も、スギナが持って帰ってくれたからさ。
あたしの手があいたから、買ってきたんだ。」
あたしは背負ってきた大荷物を置くと、ふうと息をついた。
「スギナこそ。
帰ってから、もうこんなにしたんだ。」
「ああ。体調もよくなったしね。
このくらいは軽い軽い。」
だとしたら、前にあたしとふたりがかりでやってたときには、やっぱり本調子じゃなかったんだろう。
「姉さんは?
一緒に飯でも食ってくるかと思ったのに。」
「せっかく、新しい釜がきたんだからさ。
これで炊く最初のご飯は逃したくないじゃない。」
あたしがそう言うと、スギナはへへっ、と妙に嬉しそうに笑った。
「後で、貯蔵庫に穀物を取りに行こう。
鍋のほうは肉でも煮るかな。」
「あ、それはね、あたし、作りたいものがあるんだ。」
あたしはほくほくと甕の蓋を開けてみせた。
「なんだ、これ?油か?」
匂いを嗅いで、スギナが聞く。
「油菜の種を絞った油だよ。」
それはとっても高価な油で、それを甕いっぱい買うなんて、あたしの人生初の大冒険だった。
けど、花守様との約束を守るには、これは絶対に必要なものだったんだ。
あたしは、ふふん、と胸を張った。
「お年玉やら、お駄賃やら、あたしの全財産、はたいた。」
「ええっ?全財産?」
「うん。全財産。」
本当はそれじゃちょっと足りなかったんだけどね。
お店のおじさんが、お嬢ちゃんの全財産なら仕方ないなあ、とおまけしてくれたんだ。
あたしが甕の油を鍋に移そうとすると、スギナが慌てて手伝ってくれた。
「おい、落とすなよ?
全財産を落として割ったら大事だろ?」
「大丈夫だよ。」
とくとくと油を入れ続けるあたしを、スギナは不安そうに見る。
「まさか、この甕いっぱい、全部、鍋に入れるのか?」
「そうだよ?」
「何にするんだ?油でなんか煮るのか?」
「うーん、それに近い、かなあ・・・
揚げるんだよ。」
「アゲル?
おいらになんかくれるのか?」
「違うよ。天ぷらだよ。」
「テンプラ?」
そっか、スギナは天ぷら、知らないんだ。
いっつもあたしより物知りなスギナの知らないものを知ってたのが、ちょっとだけ嬉しかった。
「いいから、任しておいてよ。」
きょとんとしているスギナ相手に、あたしは、自信たっぷりに頷いてみせた。
穀物を炊く釜から、美味しそうな湯気が立ち上る。
貯蔵庫からとってきたネズミには、麦の粉を水でといてつける。
それをぐらぐらと煮え立った油のなかに放り込むと、しゅわ~、といい音がした。
「うぉおおお、なんだこれ、うまそうだな?」
スギナの目の色が変わる。
うんうん。そうだよね。
これ見て平気でいられる狐なんて、見たことないよ。
匂いと音に、わらわらと施療院のヒトたちも集まってきた。
「今度はなんのご馳走だ?」
「こりゃまた、いつの間に、立派な鍋と釜がある。」
「最近、食事の時間が待ち遠しくて仕方ないよ。」
みんな慣れたもので、にこにこと列に並んだ。
今日はあたしが揚げる係。
みんなに配るのはスギナの役目だ。
けど、今日は、この間とはちょっと事情が違っていた。
列に並んだヒトたちは、ひくひくと鼻を動かしている。
みんな目の色が少しずつ変わっていく。
揚がったのから順に配りだすと、我も我もとみんな押しかけてきた。
「なんだこのうまいものは!」
「こんなものは、食べたことがないぞ?」
「あ!こら、ちゃんと並べよ!」
押し寄せる狐たちに、スギナも困っている。
あたしも、揚げて揚げて揚げまくっているけど、追いつかない。
「おやおや、これはまた盛況ですねえ。」
そこに現れたのは花守様だった。
花守様がにこにこと指を振ると、種が自分から油に飛び込み、揚がったのから葉っぱに並ぶ。
すると次から次へと手が伸びてきて、それをかっさらっていった。
「おい、お前ら。
仔狐どもが困っているだろう?
一人前のオトナなら、少しは情けないと思え。」
柊さんもやってきて、みんなを列に並べてくれる。
種が足りなくなっても、貯蔵庫から箱ごと飛んできて、自分から粉をかぶる。
花守様がにこにこと振る指に合わせて、次から次へと、天ぷらは揚がっていった。
食べて食べて食べつくして。
ようやく、全員が満足すると、花守様は、ふう、とかいていない額の汗をぬぐった。
「ごめんなさい。
お料理に術を使ってはいけないと、以前言われましたのに。」
そう言ってあたしにぺこりと頭を下げる。
花守様の術に大いに助けられたあたしは、いえいえそんな、と両手を振った。
「今日は花守様に助けてもらえなかったら、とんでもないことになるところでした。」
ネズミの天ぷらの威力は、思った以上だった。
「いえいえ。
わたしも、貯蔵庫がずいぶんすっきりして助かりました。」
花守様はにこにこと言ってから、軽く首を傾げた。
「あなた方は、食べるどころか休む暇もありませんでしたね?
お腹もおすきでしょう?」
そのとき、見計らったように、ぐぅ~、と誰かのお腹が鳴った。
あたしは反射的にスギナを見ていた。
「え?いや、今のはおいらじゃないよ?」
スギナはばたばたと両手を振った。
「ふふふ・・・お恥ずかしい。わたし、です。」
笑いながらそう言ったのは花守様だった。
「柊殿も。いろいろお世話していただいて、ご自分が召し上がる暇はありませんでしたね?」
花守様が振り返ると、柊さんは、ああ、とか、いえ、とか、口のなかで呟いた。
「お疲れでしょうけど、楓さん、もう一働き、していただけませんか?」
「もちろんです!」
だってそもそもこれは、花守様との約束だったんだもの。
あたしは袖を捲って頷いた。
スギナはものも言わずに一心不乱に食べた。
耳と尻尾が出ていたのは、黙っていてあげよう。
柊さんも、もくもくと食べた。
いつにも増して、ひとっことも、口をきかなかった。
ネズミの天ぷらの威力は、花守様にも効果あった。
あの小食の花守様が、美味しい美味しいと、何回もおかわりした。
あたしもいっぱい食べた。
あたしたちだけで、貯蔵庫のネズミは一箱、はけてしまった。




