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柊さんは、スギナは完治したと言っていたけど、花守様は、まだだ、と首を振った。
「からだの傷は治っていますけれど、それ以外はまだこれから治さなければなりません。
ことに、スギナさんのような若い狐は、傷を治した後こそ、大事にしないとね。」
折角、どこでも行っていい、と言われたのを取り消されてしまった。
さぞかし、がっかりするだろうと思ったら、案外、スギナはけろっとしていた。
「花守様がそう言うんなら、仕方ねえ。
おいら、もうちょっとここでお世話になります。」
とはいえ、傷はもう、ちゃんと治っている。
だから、寝てばっかりもいられない、と言って、スギナは施療院の仕事を手伝うようになった。
ああ見えて、妖力札も作れるし、牡鹿だって捌ける。
あたしの知らないこともいろいろと知っている。
スギナはあたしより、ずっと役に立った。
ちょっと悔しい気もしたけど、仕方ない。
それに、スギナといると、いろんなことが楽しかった。
石で焼く肉は人気も上々で、あれから何回か繰り返した。
ほかにも、芋やら、木の実の粉で作った団子やら、土のなかに埋めて蒸したものも作った。
そうこうしているうちに、釜と鍋を受け取りにいく約束の日になった。
荷運びのヒトを頼まなくちゃと思っていたら、スギナが一緒に行くと言った。
「そのくらいならおいらひとりで大丈夫だ。」
「こーんな、おっきな釜と鍋だよ?
ひとりで運べるの?」
あたしは心配になったけど、スギナは大丈夫だと言い張るので、結局、言う通りにした。
道場へ行くと、スズ姉が待っていてくれた。
あたしがスギナを紹介すると、スズ姉は、へえ~、と楽しそうに笑った。
「君、スギナ、っていうの?
あたし、スズナ、っていうんだ。
一文字違うだけだね。」
あ、本当だ。
言われるまで気づかなかった。
「なんか、弟ができたみたいで嬉しいな。
よろしくね、スギナ。」
スズ姉はにこにこと言ったのに、スギナは、そっぽをむいたまま、うっす、とだけ返した。
なんだかいつものスギナらしくなくて、変だった。
市に入る手前で、スズ姉がオトナの姿に変化すると、スギナは目を丸くした。
「それって、どっちが本性なんっすか?」
さあ、どっちでしょう、とスズ姉が楽しそうに笑う。
そんなのどっちでもいいんじゃないのかな、とあたしは思うんだけど。
スギナはどうしてもそれが気になるらしくて、その後も何回も尋ねていた。
スズ姉の馴染みの店に行くと、大きな釜と鍋とが並べて置いてあった。
「おや、人足は?
三人じゃとても運べないだろう。」
「あ。今、来るっす。」
心配そうに眉を顰める店の主人に、スギナは軽く返す。
それから、こっそり口元に刀印を当てて、小さな声で呪を唱えた。
「・・・あれ?」
けど、何も起こらない。
スギナは知らん顔で、あの石を運ぶときに使った妖力札を懐から取り出した。
それを釜と鍋に一枚ずつ、ぺた、ぺた、と貼る。
そうしておいて、おもむろに、よっこいしょ、と片方の肩に釜、もう片方に鍋を担いだ。
「え?いや、あたしも一個持つよ。」
慌てて手を出したあたしには、軽く首を振る。
「ああ。いい、いい。
こっちのほうが妖力の節約になるから。」
「妖力?」
黙って様子を見ていたスズ姉は、へえ~、と感心したように言った。
「こっちおいで、楓。」
スズ姉に呼ばれて行くと、スズ姉は、くるっとあたしの肩を持って、スギナのほうへ振り向かせた。
「あ。」
すごい。
こんな人足、いつの間に揃えたんだろう。
目の前では、屈強な男たちがぞろぞろと釜と鍋を運んでいた。
「なかなかやるねえ、あの見習い君。」
スズ姉は笑いながらあたしの耳元でそう言った。
「本当に。いつの間にあんなに大勢集めてたんだか。」
あたしがそう返すと、スズ姉は、くくくっ、と肩をすくめて笑った。
「違うよ。あれは、幻術だ。」
「幻術?!」
大声で叫ぼうとしたあたしの口を、スズ姉は急いで塞いだ。
「それを言っちゃ、術が解けてしまうだろ。
市を出るまでは、しーっ。」
慌ててあたしも両方の手で自分の口を塞いだ。
よくよく見ると、屈強な男たちは、みんな同じ顔、同じ姿をしている。
みんな汚れた手ぬぐいで頬かむりしているけど、その下の顔は、スギナだった。
「うわー、スギナがいっぱい。」
「一定の距離にいる者にだけ幻術が効くようにしてあるんだろうね。
なかなか器用な見習い君だ。
彼の導師は何をしている狐なの?」
「・・・戦師だ、って言ってた。」
あたしがそう返すと、スズ姉は、ちょっと黙ってから、そう、と小さく返した。
それきり、スズ姉は、スギナのことについては何も言わなかった。
市を出るまで、スギナの幻術は続いていた。
けど、市を出たところで、こっちを振り返って、いきなり言った。
「おいら、これ持って先、帰ってるから。
楓は姉さんとゆっくり帰ってきな。」
「え?」
聞き返す間もなく、スギナはどろんと釜と鍋ごと姿を消した。
「うわー。あんなこともできるんだ。」
スズ姉は驚いたように目を丸くして、それから両手でぱちぱちと拍手をした。
「まだ見習いだってのにあの腕なら、そりゃあ、戦師もほっとかないわ。
どこの道場であれだけの技、習ったんだろうね?」
「スギナは、道場には行ってないって言ってた。
育ててくれた狩師のおじいちゃんに、全部教わった、って。」
「へえ~、狩師?
そんで、あの仔は、狩師は継がないの?」
「狩師は稼げないから、やらないんだって。」
「そっか。稼ぐなら確かに戦師のほうが稼げるか。」
スズ姉は小さくため息を吐いてから、いきなりあたしの頭をよしよしと撫でた。
「楓はあの仔と仲良さそうだけど。
あの仔には、楓のことは話したの?」
あたしは黙って首を振った。
そっか、とスズ姉は小さく言った。
「話したほうがいいかな?」
あたしはスズ姉を見上げて尋ねた。
スズ姉は、そうねえ、と軽く首を傾げた。
「あの仔はいずれ施療院を去る仔なんだろうし。
その間だけ仲良くしてられるならそれでいいってんなら、わざわざ言わなくてもいいかな。
ただ、いつか施療院を去っても、遠く離れていても、ずっと友だちってんなら。
言ってもいいかも、とは思う。」
それからもう一度あたしの頭をよしよしと撫でた。
「でもね、楓が言いたくなければ言わなくてもいいんだよ。
一番大事なのは、楓の気持ちだから。」
あたしは、むぅ、とうつむいた。
スギナのことは、友だちだと思う。
一緒にいるとすごく楽しい。
だけどこれからもずっと友だちかどうかは分からない。
だって、スギナは戦師になるんだから。
「戦師の友だちは、いらない。」
あたしがそう答えると、スズ姉は、そっか、とだけ言って、もうそれ以上は何も言わなかった。




