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花恋物語  作者: 村野夜市
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それから何日かして、スギナは目を覚ました。

目を覚ましたときには、ちょうどあたしもその傍にいて、スギナの背中を撫でていた。


「お前の手って、あったけえなあ。」


目を覚まして、スギナはいきなりそう言った。

あたしはびっくりして、思わずそこから飛び退いてしまった。


「なんだよ。そんなに驚かなくてもいいだろ?」


スギナはからだを起こすと、ゆっくりと人間の姿に変化した。

妖狐族は、よっぽどのことがなければ、普段は変化姿で過ごす。

仔狐の間なら、寝るときに狐に戻ってしまうことも多いけど。

大きくなってもそのままなのは、無作法なことだとされていた。


「だって、寝てると思ってたから・・・」


「もうずっと前から、目、覚めてるよ。

 お前が気づかなかっただけだ。」


目が覚めたなら、そう言やあいいのに。

あたしは、むぅ、と口を尖らせた。


「なんで目、覚めてるのに、寝たふりしてんのよ?

 狸寝入りとか、狐のくせに!」


「起きてたら、背中、撫でてくれないだろ!」


スギナは怒ったように言って、つん、とそっぽをむいた。

耳だけこっちに見えていたけど、なぜか、それが真っ赤だった。


「背中撫でてもらうのって、なんか、いいなって、思ってたんだ、チクショウめ!」


「背中くらい、小さいころ、いっぱい撫でてもらったでしょう?」


「おいらは撫でてもらってねえんだ。

 じいさまは、そういうことはあんまりしなかったからな。」


むこうをむいたまま、スギナは言った。

それはケンカ腰というより、ちょっと寂しそうにも聞こえた。


あたしは、むぅ、と黙った。

小さいころ、眠れないときには、スズ姉がよく背中を撫でてくれた。

熱を出して寝ていたら、先生とかスズ姉とか、朋輩たちとか、代わる代わる撫でてくれた。

あたしには、背中を撫でてくれるヒトはいっぱいいたけど。

スギナには、そういうヒトはいなかったんだ。


「・・・そっか。」


小さく言ったら、スギナはちょっと驚いたみたいにこっちを見た。


「なんだよ、もう、しまいか?」


「こんなの、ケンカするようなことじゃないよ。」


あたしはそう言ってから、スギナの背中に手を伸ばした。


「これからは、あたしが、いくらでも撫でてあげるよ。」


そう言って撫でようとしたら、今度はスギナが飛び退いた。


「ちょっ、やめろよ。

 変化して背中撫でるとか、やべえだろ!」


「なにがやばいのよ?」


「いろいろだよ!いろいろやばいんだから、気安く触るんじゃねえ!」


まったく、何を怒ってるんだか、さっぱり分からない。

撫でてほしいのかと思ったら、触るなとか怒り出すし。

前に、寝てるときのスギナを、ちょっと可愛い、とか思ったこともあったけど。

起きてるときのスギナは、ぜんっぜん、可愛くない。


まあいいや。

そんなことより、あたしには、スギナが目を覚ましたら、聞きたいことがあったんだった。


「あの、こないだ持って帰った石だけどさ。あれ、何に使うの?」


「ああ、なんだ、まだ食ってなかったのか。」


スギナはそう言ってから、ちょっと顔をしかめた。


「てことは、あの牡鹿、どうした?

 まさか、そのまま放置、なんてことは・・・」


「ないよ。

 花守様が捌いて、貯蔵庫にしまってある。」


「そっか。流石花守様だな。あのヒト、なんでもできるんだな。」


スギナは感心したように頷いた。


「まあ、あの腕がありゃ、牡鹿を捌くくらいは軽いか。

 けど、捌いてあるなら助かった。

 んじゃ、今夜、焼いて食うか。」


「焼いて、食う?」


焼くのに石を使うの?

スギナはふふんと楽し気に笑った。


「まあ、おいらに任せとけって。」


そこへ現れたのは、柊さんだった。

柊さんは、相変わらずのしかめっ面で、近づいてくると、いきなりスギナの額に手を当てた。


「熱は下がったようだな。

 どれ、舌と腹を出せ。」


スギナはおとなしく言われた通りにする。

柊さんは、スギナの舌をじっと見て、それから、お腹に手を当てて、なにやら感知してから言った。


「よし。完治した。

 もうどこへなと好きに行っていいぞ。」


「え?」


いきなり、どこへでも行けと言われて、戸惑ったのはスギナだった。


「・・・けど・・・おいら・・・まだ・・・」


「半分治った状態でも、外に行きたくてたまらなかったんだろう?

 もう全部治ったから、とっとと、どこへでも行きな。」


柊さんはぱんぱんとついてもいない埃を払うと、不愛想に背中を向ける。

そのままどこかへ立ち去ろうとしたけど、ふと足を止めると、こっちを振り返らずに言った。


「そうそう。あの牡鹿の肉は始末してから行ってくれ。

 貯蔵庫がいっぱいだって、花守様が困っていらっしゃったからな。」


「お、おう!」


スギナは慌てて返事をした。


それから、全快になったスギナと一緒に、今夜のご馳走の支度を始めた。

あの大きな石は、竈の上に蓋をするように載せる。

ちょうどうまい具合に縁にのっかって、思わずふたりで、手を叩いて飛び跳ねた。


それから焚き付けにする小枝を森に拾いに行った。

今度は、びくびくじゃなくて、堂々と外に出る。

このほうがずっといいや、って思った。


石の下に小枝を並べて、スギナは火をつけた。

ぱちぱちと火が燃えて、じゅう、と石から水が落ちてきた。


「この石、熱くなってっから、ぜーったいに触るなよ?」


あたしは、うんうん、と頷いた。

石の料理は、スギナが先生なんだから。

ちゃんと言うことを聞かないとね。


花守様の捌いた肉は、きれいに、人間の手のひらくらいの大きさに揃えられていた。

スギナはお箸でそれを取ると、熱くなった石の上に丁寧に並べた。


じゅう~

じゅう~


いい匂いと音が、施療院じゅうに広がっていく。

なんだなんだと治療師さんたちや、患者さんたちまで集まってきた。


「あ。みなさん、今日の夕餉は、牡鹿の焼肉です。

 焼けたのから渡しますから、ほしいヒトは、順番に並んでくださいね。」


あたしが言うと、みんな真面目に列に並んでくれた。


おい、と呼びかける声がして、びっくりして振り返ったら、柊さんがいた。

柊さんはあたしに小さな壺を押し付けて言った。


「この間、治療を終えた患者が送ってきた。

 遠い異国の塩の石だ。」


壺を覗くときらきらした白い砂利みたいなのがたくさん入っていた。


「細かく砕いておいた。

 肉につけて焼くといい。」


「こいつは、有難い。」


スギナはその塩の石の使い道を心得ているのか、あたしの手から壺を取り上げて言った。


「柊さん、どうも有難うっす。」


柊さんは、ふん、とも、むん、ともつかない返事をすると、すたすたとあっちへ行ってしまった。


塩をふりかけた肉は両面をこんがりと焼いて、葉っぱに載せて渡す。

一口食べて、みんな、うまい!と歓声を上げた。

それを見た他のヒトたちも、次々と列に並ぶ。

一回食べたのに、おかわりがほしくて、二回目に並ぶヒトもいた。

それやこれやで、いつの間にやら、大行列ができていた。


「いやあ、施療院は怪我を治してくれる有難い場所なんだが・・・」

「食べ物がまずいのが、唯一の欠点だったんだよなあ。」


行列に並んだヒトたちは、そんなことを話していた。


「一日も早くここを出て、うまいものを食いに行くのを夢に見ていたんだけどね。」

「ここにいてもこんなにうまいものが食えるんだったら、ずっといてもいいなあ。」

「ずっといられるのは迷惑だ。」

「治ったらとっとと出て行っておくれ。」


患者さんらしきヒトと治療師さんらしきヒトが、そんなことを言っているのも聞こえてきた。


「あの仔狐たち、なかなかやるじゃないか。」

「なるほど、花守様がたってと導師を名乗り出たのも、伊達ではなかったということか。」


そんな言葉も聞こえてきて、あたしは嬉しくなってしまった。


「おい、お前様方、うまいものを食いたいのなら、ちゃんと並べ。」


向こうで聞き覚えのある声がすると思ったら、柊さんが列を乱すヒトたちに注意してくれていた。

みんな柊さんは怖いのか、注意されるとおとなしく従っていた。


肉を焼く石はとても大きいし、スギナも休まず焼き続けた。

またこの前みたいに倒れたらどうしようと思ったけど、ずっとにこにこして具合はよさそうだった。

それにしても、焼肉の人気は上々で、焼いても焼いても、行列はなくならない。


あっという間に牡鹿一頭、食べつくしてしまった。

それでも、行列に並ぶヒトたちは、まだまだ大勢いる。


ちょうどその頃合いに、花守様がにこにこと、木箱を連れて現れた。


「みなさん、楽しそうですねえ。

 よかったら、これも料理してくださいな。」


木箱にはまた牡鹿一頭分の肉が入っていた。

周りから、一斉に歓声が上がった。


「鹿の肉をこんなに喜んでいただけたのは、初めてですねえ。」


花守様はにこにこと楽しそうだった。


「いつもはねえ、みんな顔を引きつらせながら、それでも多少は、協力してくれたんですが。

 牡鹿一頭なんて、なかなかなくならなかったんですよ。

 狐に戻るのは嫌だと言って、絶対に食べないヒトもかなりいて・・・」


おそらくたぶん、絶対に食べないヒトの筆頭だったはずのヒトは、そう言ってため息を吐いた。


「花守様もよかったらどうぞ。」


あたしが一切れ手渡すと、それでは、遠慮なく、と花守様も受け取ってくれた。


「焼いてあると変化姿のままでもいただけで、便利ですねえ。」


そう言って、葉っぱを巻いた肉にぱくりと噛り付く。


「ふむふむ。これはなかなかの美味。」


いっつもお酒と山吹の実しか口にしない花守様が、嬉しそうに肉を頬張っていた。


「けれど、なんでしょう、このお肉をいただくと、御酒がほしくなりますねえ。」


あ。やっぱりお酒は飲むらしかった。


花守様は、ひょいひょいと指を振った。

するとお酒の入った大きな樽が、ぼぼん、と三つそこに現れた。

さっきよりもう一段大きな歓声が、あたりに巻き起こった。


いつの間にか施療院は、時ならぬ宴になっていた。





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