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帰ったらもちろん、叱られた。
だけど、花守様に、じゃなくて、柊さんに、だった。
それはもう、それはもう、ヒツゼツニツクシガタイくらいに、叱られた。
何を言われたのか、思い出せないくらい、叱られた。
花守様は、あたしたちの顔を見るなり、心底ほっとしたように笑った。
それから、ほろほろと涙を零した。
その涙を見て、あたしはもう、花守様に心配をかけるようなことはやめようって、心底思った。
花守様は、スギナとあたしの間に挟まって、一緒に柊さんに叱られてくれた。
スギナより、あたしより、花守様が一番しょんぼりしていて、流石の柊さんも、困った顔をした。
柊さんが早めにお説教を切り上げる気になったのは、あの花守様のおかげだと思う。
ようやっと柊さんのお説教が終わったと思った途端、いきなり、どさり、とスギナが倒れた。
気を失って、狐の姿に戻ってしまっていた。
スギナに真っ先に駆け寄ったのは、柊さんだった。
柊さんはスギナのからだを抱え上げると、そのままいつも寝ている草のところに運んだ。
スギナは熱を出したみたいで、苦しそうな息をしていた。
けど、柊さんが術をかけると、しばらくして、すやすやと眠り始めた。
やっぱり、無理をしていたんだと思った。
今度こそ、ちゃんと休んで、治ってほしいって思った。
花守様は、その場に残された牡鹿を見て、うーん、これ、どうしましょうね、と聞いた。
あたしもスギナに聞けなければどうしていいか分からなくて、どうしましょうか、と返した。
「せっかくいただいた命を無駄にするわけにもいきませんし。」
にっこり笑った花守様は、ひょいと牡鹿を指さした。
すると牡鹿は、すーっと宙に浮かび上がった。
「ちょっと、捌いてきます。」
花守様はそう言うと、そのまま牡鹿を天幕に運んで行った。
あたしは天幕にはついていかなかった。
あそこには、やっぱり、怖い、って印象しかない。
しばらくして、花守様はなにやら大きな木箱を連れて現れた。
ふよふよと宙を漂う木箱は、花守様のお供のようだ。
それを貯蔵庫に連れて行った。
「せっかく、獲ってきてくれたんですから。
元気になってから一緒に食べたいですしね。」
そんなことを言って、花守様は、貯蔵庫の一番入り口に近いところに、その箱を置いた。
それから、こっちを振り向くと、口元に指をあてて、ちょっと困ったように首を傾げた。
「けどねえ、ここには、ネズミだけじゃなくて、鹿や猪も、結構、貯めてあるんですよねえ・・・」
あたしは目を丸くした。
そういえば、この間、中を見せてもらったときには、貯蔵庫の奥にまでは行かなかった。
とりあえず、ずらっと並んだネズミに驚いて、その先に入ろうとは思わなかったんだ。
「ネズミしかないと思ってました。」
「ネズミが一番多いのは間違いないんですが。
鹿や猪も、木の皮を剥がしたり、森の木にとっては脅威になりますから。
ときどき、狩をしているんです。」
あたしは、鮮やかだったスギナの狩を思い出した。
まさか、花守様も、あれと同じことをするとは、いや、できるとは、思わなかった。
もっとも、花守様だったら、石とか刀じゃなくて、術を使うのかもしれないけど。
「こちらは、ネズミよりもっと、食べきれなくてね。
治療師さんたちや、元気な患者さんたちが、ときどき食べてくれるんですけど。
それも追いつかなくて。」
花守様は、ふぅ、とため息を吐いてから、こっちを向いて、にこっと笑った。
「ああ、大型の獣は、ちゃんと捌いてありますから。
よかったら、それも料理していただけると、とても助かります。」
あたしはもちろん、やりますと約束した。
スギナの割った石は、片方の面がつるつる平らの、薄くて広い板のようになっていた。
この石を持って帰るのも、なかなか一苦労だったんだ。
普通に持ち上げようとしても、なかなか簡単には持ち上げられない。
そしたら、スギナが懐からなにやら札を取り出して貼り付けた。
その途端、それはひょいと持ち上がるくらい軽くなった。
あの札は、妖力に余裕のあるときに作っておく妖力札だと思う。
作り方は一応あたしも道場にいた頃に習ったけど、いまだにうまく作れたためしがない。
スギナはこんなものも作れるのか、とちょっと感心したんだった。
この石を使って、いったいどんな料理をするのかは、ちょっと想像がつかない。
スギナが目を覚ましたら、使い方を教えてもらおう。
スギナがまだ起き上がれなかったら、そのときは、やり方を習って、あたしが作ろう。
けど、その後数日間、スギナは目を覚まさなかった。
あたしは、早く目を覚まさないか気になって、暇があれば、スギナのところに様子を見に行った。
眠っているスギナは、なんだか頼りなくて、まるで仔狐のようだった。
ふるふると震えるまつ毛が長くて、ちょっと可愛い、とか思ってしまう。
猿のように木の上を渡ったり、手で岩を割ったり、鹿を狩ったり、びっくりしてばっかりだったけど。
こうして眠っていると、あれとはまったくのベツジンにしか見えなかった。
あたしはスギナを起こさないように、そっとそっと、その背中を撫でた。
昔、熱を出したとき、誰かがあたしにもこんなふうにしてくれたっけ。
こうしてもらうと、苦しくて辛いのが、少し和らぐ気がしたんだ。
スギナは苦しそうでも辛そうでもなかったけど、触った背中はびっくりするくらい熱かった。
まだ、熱は高そうだ。
柊さんもちょくちょく様子を見に来ては、幻術をかけなおしていく。
目を覚ましたらまた無理をするから、幻術で眠らされてるのかなって、最初は思ってたんだけど。
ずっと眠らされているのは、もしかしたら、治るためにそれが必要だったからかもしれない。
スギナのところに行くと、嫌でも、柊さんと顔を合わせなくちゃいけない。
最初の頃は、柊さんのことが怖くて、なるべく、こっそり見に行っていた。
そぉっと、体を伏せて、草の陰に隠れながら、様子を伺う。
柊さんがいたら、いなくなるまで、いつもそのまま隠れている。
けど、あるとき、そうしていたら、いきなり柊さんに声をかけられた。
「悪さをしないなら、隠れる必要なんかない。
いるのは分かっているんだから、出てきなさい。」
あたしはびっくりして飛び上がってしまった。
柊さんは、そんなあたしから、わざとらしく視線を逸らせて言った。
「お前様が傍にいると、患者の状態が不思議とよくなる。
暇ならそこにいて、患者の背中でも撫でていろ。」
「了解です!」
柊さんのお許しが出たなら、そりゃあ、いくらでも撫でさせていただきますとも。
撫でて撫でて、いっそハゲるまで、撫でましょうとも!
「禿げるまでは撫でるなよ?」
・・・・・・、あ、れ?
首を傾げたあたしに、柊さんは困った顔をしてちょっと笑った。
「お前様、ときどき、自分の考えていることが、全部、口から出ているんだよ。
その癖は直しておかないと、後々、困ったことになるぞ?」
「なーんと!」
それは、知りませんでした。
そういえば、今までよく周りのヒトに、思ってること言い当てられて、みんなすごいって思ってたけど。
それって、あたしが全部、自分で言ってたってこと?
「まあ、わざわざ言わなくても、考えてること全部、顔に出てるけどね。」
柊さんはそう言って、もう一度、困ったように笑った。
その顔を見て、あたしはもっぺん首を傾げた。
なんだろう。
この困ったみたいに笑う柊さんは、全然怖くないぞ?
ここに来たときから、怖くて怖くて、いっそ永遠に関わらずに済めば、って思ったけど。
今の柊さんは、まったく、怖くない。
あたしは先生にも毎日よく叱られた。
叱られるときの先生はちょっと怖い。
けど、先生のことは大好きだった。
柊さんは、怒ると、先生よりも、ずっと怖い。
だけど、もしかしたら、あたしもいつか、柊さんのこと、今より好きになれるかもしれない。
なんて、ちょっとだけ、思った。




