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削いだ石は川原に置いておいて、スギナはまだ先に行こうとする。
流石にあたしは心配になって、スギナに尋ねた。
「スギナって、まだ完全に治ってないんでしょう?
そんなに動いてまわって、大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。」
スギナは聞いているのかいないのか、けろっとして、そう繰り返すだけだ。
もうしょうがない。ここまできたら腹を括るしかないか。
どうせ叱られるなら、行けるところまで行ってみよう。
あたしもそんな気になった。
今度はスギナはあたしと並んで森を歩いている。
流石に疲れたのか、黙って淡々と歩いている。
やっぱり、具合が悪いんじゃないか。
だんだん心配になってきて、声をかけようとしたときだった。
「しっ。」
まだ何も言ってないのに、スギナはそう言うと、あたしをぐいぐいと押して木の陰に隠れた。
「なに?」
尋ねようとした口は手で抑えられる。
それからもう一度、耳元で、しーっ、と言われた。
スギナの目はあたしじゃなくて、ずっと遠くを見ている。
その視線を追うと、かさっ、と草を揺らして、なにか、動くものが見えた。
「ここにいろ。」
スギナは声を潜めてそう言うと、素早く動き始めた。
木や草むらに身を隠しながら歩を進めていく。
その行く先に、さっと姿を現したのは、一頭の大きな牡鹿だった。
その瞬間、スギナは高く跳んだ。
片方の手で木の枝を掴みながら、もう片方の手を懐につっこむ。
そして、懐から取り出した何かを、牡鹿に向かって投げた。
反撃するか逃げるか。
牡鹿がほんの一瞬迷った隙に、それは、牡鹿の足に絡みついた。
危険を察知して跳ぼうとした牡鹿は、どうと音を立ててそこへ倒れた。
その一瞬の好機をスギナは逃さなかった。
振り子のようにからだを揺らし、一分の狂いもなく牡鹿の上に飛び降りる。
スギナの小刀は、牡鹿の急所を一撃で仕留めていた。
あたしは、ただ息を呑んで、狩の一部始終をじっと見ていた。
あたしだって、狐の姿になれば、狩くらいする。
ウサギやネズミを獲って食べたこともある。
けど、変化姿のまま、こんな大きな獣を狩るのは、初めて見た。
それは、あまりにも鮮やかな狩だった。
「もう、出てきていいぞ?」
スギナの声に、あたしは急いでそこへ行った。
倒れていたのは、それは見事な牡鹿だった。
頭の角は、大きくて、いくつもいくつも枝分かれしていた。
あれにかけられたら、流石のスギナだって、ひとたまりもなかっただろう。
牡鹿が一瞬、反撃するか逃げるかを迷った理由が、よく分かる気がした。
スギナは、腰につけた袋から香を取り出すと、倒れた牡鹿の頭のところに置いた。
それから、火打石で香に火をつけた。
香のいい香りが立ち上ると、片手を差し上げ、牡鹿にむかって、祈るように何か呟いた。
それは、何かの儀式のようにも見えた。
それからスギナは牡鹿の足に絡みついた紐を丁寧にほどいた。
紐の両端には、同じくらいの大きさの石が括りつけてあった。
スギナはその紐を大事に懐にしまった。
「おいらを育ててくれたじいさまは、狩師だったんだ。」
あたしが何か尋ねる前に、スギナはそう話し始めた。
「おいらは、道場には行かなかった。
代わりに、じいさまから、狩の方法とか、獲物への作法とか、いろんなこと、教わった。」
「スギナは、狩師にはならないの?」
あたしが尋ねると、スギナはちょっと笑って言った。
「狩師では稼げねえからな。」
金子を稼ぐには、郷の外のお役目を請けるしかない。
確かに金子があれば、人間の世界にしかない物も、手に入れることができるけど。
郷で普通に暮らすには、金子はあまり必要なものじゃない。
「スギナは、金子がたくさん必要なの?」
戦師は、郷のお役目のなかでも、稼げるお役目で有名だ。
人間の世界に戦のなくなることはないし、戦に加担すれば、たくさんの金子を稼ぐこともできる。
だけど戦師は、自分が傷つくことも多いし、心を病むことも多い。
せっかくたくさん稼いでも、花街に行って、一晩でそれを使い果たしてしまうようなこともする。
ひとつの戦の両方の陣営に、それぞれ狐が加担していることもある。
そんなときには、ただいたずらにずるずると、戦いばかり長引いてしまう。
どのみち余所の種族の争いごと。
食べるためでも、生きるためでもない戦いは、狐の心を蝕んでいく。
「戦師ってのは、セツナテキな生き方だ、って。先生が言ってた。」
スギナは何も答えない。
ただ、黙って香の煙が立ち上る先を見つめている。
最後の煙が立ち上って、香が全部灰になると、スギナはぼそりと呟いた。
「刹那的だろうとなんだろうと、稼げるのは稼げる。
まあ、それだけだ。」
それから、よっこいしょ、と腰を上げると、牡鹿の前足を持って背中に担ぎ上げた。
「捌くのは帰ってからにしよう。
花守様はいい道具をたくさん持ってるからな。」
あの天幕にある道具かな、とちらっと思う。
だけどあれ、牡鹿を捌くのに使わせてくれるかな。
「帰りにあの石、拾って帰るぞ。」
先に歩き出したスギナを、あたしは慌てて追いかけた。




