17
普通に歩けば半日だけど、今日はスズ姉の妖術のおかげで、あっという間に市に着いた。
市はすっごく賑やかで、あっちからもこっちからも大勢の人が行き来している。
道端の露店に並べられているのは、青物に乾物、荒物に小間物、煮売りや冷やし飴まである。
およそこの世のありとあらゆる物がここにはあるんじゃないかと思うくらいだけど。
人間の世界じゃ、こんなのは序の口、都とやらへ行くと、もっとすごいらしい。
市に入る前に、スズ姉は、オトナの姿に変化している。
普段のあのちっちゃいほうが本性なんだけど、あっちだと子どもにしか見えないから。
人間の世界では、子どもの姿よりオトナの姿をしているほうが、何かと便利らしい。
切った瓜を並べた店に見惚れていると、スズ姉は笑って奢ってくれた。
ふたりして瓜をかじりかじり歩く。
市の楽しみと言えば、やっぱり買い食いだと思う。
瓜をかじるスズ姉を、ちらりちらりと振り返る人間たちが大勢いる。
人間の姿に変化した妖狐族は、人間にとっては、かなり魅力的に見えるものらしい。
もっとも、あたしがひとりで変化して歩いていたって、そんなにじろじろ見られたことはないんだけど。
人間たちの視線なんて、スズ姉はまったく気にしていない。
道端の店からも声をかけられるけど、そっちも、手を挙げて軽くあしらっていく。
なんだか、すっごく、手慣れた感じ。
おかげで、あたしも、不安になったりすることは、まったくなかった。
やっぱり、スズ姉についてきてもらってよかったって思った。
スズ姉が足を止めたのは、市の外れにある一軒の荒物屋の前だった。
箒やたわしに混ざって、金物の鍋や、何に使うのか分からない道具も並んでいる。
「なんだ、姉ちゃん、また来たのかい。」
店番をしていた老人は、スズ姉の顔を見ると、さも嫌そうに顔をしかめた。
「あんたの注文の品は難しい細工が多いんだよ。
指示もひとつひとつ、嫌んなるくらいに細かいしさ。」
「今回は細かい仕事じゃありませんよ。」
スズ姉はにこにこと手を振った。
「こうこう、このくらいの大きな釜を作ってもらえないかと思ってね。」
スズ姉は身振り手振りで大きな釜の説明をした。
老人は顔をしかめて嫌そうに言った。
「なんだそりゃ、風呂にでもするのかい?」
「ああ、そうだね。風呂になるくらいの大きさだとちょうどいいかもね。」
むう。と老人は唸る。
「それだと、結構、値が張るよ?」
「どのくらい?」
にこにこと尋ねるスズ姉を、老人は警戒するように見上げる。
「金貨は必要だね。」
スズ姉はそうかい、とあっさり言って、懐の金貨を差し出した。
「金貨三枚払うよ。
だから、それにあと、同じくらい大きな鍋も作ってもらえないかい?」
「鍋もか。
まあ、いいだろう。
あんた、金払いだけはいいんだよね。」
老人はスズ姉の差し出した金貨を受け取って歯でかちかちと噛んだ。
「心配しなくても、葉っぱになったりはしないよ。」
くすくす笑うスズ姉をちらりと見て返す。
「年を取るとね、用心深くなるんだよ。」
老人は急いで金貨を懐にしまってから、まだそこにいるスズ姉を見上げた。
「なんだ?まだなんかあるのかい?」
訝し気に目を細める。
それに、スズ姉は、あるんだよ、と悪びれもせずに言った。
「こっちは細かい仕事だけどね。」
「ほらきた。やっぱりかい。」
老人はますます嫌そうに顔をしかめた。
「これ、作ってもらえないかい?」
スズ姉は知らん顔で、懐から畳んだ紙を取り出すと老人に手渡した。
老人は紙を開いて見ながら、むぅ、と唸った。
「こりゃまた、細かいねえ。
年寄りには、これは無理だよ。」
「ご主人ほどの匠でなけりゃ無理な品だよ。」
スズ姉は平然と返した。
「お世辞言ったって、無理なものは無理だよ。」
「お世辞じゃありませんよ。」
軽口のように言い合いながら、老人はもう一度紙をじっくりと眺めた。
「いったい、こんなもの、何に使うんだか。
まあ、それは、聞かない約束だけどね。」
老人はため息を吐いて、スズ姉を見上げた。
「ひと月。
釜と鍋もそのときだ。
こっちの代金はさっきのとはまた別にもらうよ?」
「流石、ご主人。」
スズ姉はにこにこして、懐からもう一枚、金貨を取り出した。
「これは前金だ。
残りは、受け取るときに払うよ。」
「まあ、悪い仕事じゃないかねえ。」
老人はそう言うと、さっさと露店を畳み始めた。
「とっとと帰って、作るとしよう。
受け渡しは一月後。この場所で。」
「次は荷運びの人足も連れてくるよ。」
スズ姉はにこにこと手を振って、その店を後にした。
二三日はかかるかと思ったけど、スズ姉のおかげで、買い物は一日で済んでしまった。
今日、持って帰れなかったのはちょっと残念だけど。
よく考えたら、そんな大きな鍋や釜が、市に並んでいるはずもなかった。
帰り道、道端に織物を拡げて売っている露店があった。
そこに並んでいた布に、あたしは目が釘付けになった。
丁寧に染めた糸を織り込んで作った柄は、どれもぞくぞくするほどにキレイだ。
けど、あたしの目に映るのは、そのなかのたった一枚だった。
生成の生地に、淡い山吹と濃い山吹。
たった三色で織ってあるのに、それは咲零れる満開の山吹、そのものだった。
値は書いていない。
きっと、びっくりするほど、高いんだろうな。
もしかしたら、釜より高いかもしれない。
店番をしているのは、初老の女の人だった。
口をぎゅっと結んで、にこりともせず、ちょっと怖い感じのする人だった。
値段を聞いてみたいけど、声をかけるのもおっかない。
それでも、その山吹の布を諦めきれずに、あたしはじっとそこで立ち止まっていた。
しばらくして、あたしを置いてきたことに気づいたスズ姉が、引き返してきてくれた。
スズ姉はあたしの視線に気づくと、こっちをちらっと見て聞いた。
「ほしい布でもあるのかい?」
あたしは、頷くことも首を振ることもできずにそのまま固まっていた。
そんなあたしに、スズ姉は重ねて尋ねてくれた。
「どれ?どれが気に入ったの?」
あたしは、固くなった首をぐぎぎぎぎぃと動かして、その布のほうを見た。
スズ姉はあたしの視線だけでそれを分かってくれた。
「へえ。こりゃまた、立派そうなやつだ。
ちょいと、おかみさん、この布、値はいくらだい?」
スズ姉はあたしにはできなかったことをいとも簡単にやってのけた。
不愛想な女主人は、ぼそりと、銀貨一枚、とだけ言った。
「へえ。まあまあ、いい値がするんだね。」
スズ姉はそう言って、ちらっとあたしのほうを見た。
「買うかい?」
あたしははっと我に返って、スズ姉を見ると、ぶんぶんと首を振った。
金子なんて持ってない。
花守様から預かってきた金貨は、さっきの買い物で全部使って、残りは置いてきてしまった。
それにあれはお釜とお鍋を買うために預かったもので、自分のものを買っていいものじゃない。
スズ姉はそんなあたしを、じぃっと見つめてから、にこっと笑った。
「よし。ちょうどいいや。君の卒業祝いを探さなきゃって思ってたところだったし。
あれは、あたしから君への贈り物にするよ。」
あたしはスズ姉の顔を見上げて、ぶんぶんぶんと首を振った。
「だ、だめだよ。あんな高いの・・・」
スズ姉は苦笑して、あたしの頭にぽんと手を置いて、振るのを止めさせた。
「可愛い妹分の祝いだってのに、あたしはそんなケチじゃないよ?」
それはよく知ってるけど。
それにしたって、やっぱりあれはダメです。
銅貨一枚あったら、団子十個買えるのに。
銀貨はその銅貨、百枚分なのに。
金貨はそのまた銀貨、百枚分だけどさ。
花守様が、あたしにお釜を買える金子を稼げるわけないって思ったのも、今なら納得できる。
金貨なんて、あたし、一生かかっても、稼げる気、しないもん。
なのに、そんなあたしが、ぽん、とあんな高い布をもらっていいはずがない。
「いいよ、行こう。」
あたしはスズ姉の腕を掴むと、先へ行こうと引っ張った。
けど、スズ姉は、いとも簡単にするりとあたしの手を解くと、店の女主人に、銀貨を渡して言った。
「この布、もらうよ?」
ええっ?
引き止める暇もなく、スズ姉は布を掴むと、お待たせお待たせ、とあたしの腕を取った。
スズ姉の渡した銀貨は、もうあの女主人の懐のなかだ。
引き返して、取り消してもらおうと思ったけど、スズ姉は笑ってあたしにその布を渡した。
「仕立ては、自分でやりなよ?」
嬉しいのと申し訳ないのとで、あたしは凍り付いたようにスズ姉の顔を見つめていた。
カタカタと、小さく、手が震えた。
この手のなかには、ほしくて、でも諦めようと思っていた布が入っていた。
「なによ。そんな顔しなくていいよ。
君だって、一人前になれば、このくらい自分で買えるようになるって。」
スズ姉は笑ってあたしの背中を軽くたたいた。
あたしは嬉しくって、今度は涙が出てきた。
スズ姉のおかげで、その日の夕方には郷に帰っていた。
先生はスズ姉とあたしのためにご馳走を用意して待っていてくれた。
それは、本当に久しぶりの、先生のご馳走だったんだけど。
あたしは、少しでも早く施療院に帰りたくて、ご馳走は断って、急いで帰った。
先生もスズ姉も、そんなあたしに怒りもせずに、ただ笑って見送ってくれた。




