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花守様、もとい、山吹は、次々と郷の仲間の封印を解いていった。
うーん、しかし、慣れないわ。山吹。
やっぱ、花守様でいいですか?
みんななんか、よく寝た、って感じで、具合の悪いようなヒトもなかった。
百年の間に、郷はいろいろと変わってしまっていて。
あたしたちは、懐かしい場所に帰ってきたのに、ちょっと、余所者になった気分だった。
レンさんは、小豆さんと双子の待つ家に帰っていった。
双子ったって、もう立派な一人前の妖狐なんだけどさ。
ずっと封印されてたあたしは、なんだか追いてかれたみたい。
ふたりとも立派な雄狐になってて、あたしのことももう姉様じゃなくて、楓さんと呼ぶようになった。
小豆さんは由良を立派に育ててくれて、双子が導師をしてくれたらしい。
いろいろあって、由良は、小豆さんとは疎遠になってしまったようだけど。
本当、母仔二代でご迷惑をおかけして、どうもすみません。
先生は、この百年ですっかり年を取って、りっぱな好々爺になってしまっていた。
孫もいてびっくりしたけど、実際には、スズ姉の孫らしい。
スズ姉には、封印されたとき、娘さんがひとりいたそうだ。
その娘さんの一人息子を、自分の孫のように可愛がっているらしい。
由良に仔狐がいたのには驚いたけど、百年も経ってるんだったら、そらそうか。
由良にも、由良の愛したヒトにも会えなかったのは、とっても残念だけど。
郷を裏切っても添い遂げたってとこに、ちょっと、あたしの仔だって思った。
きっと、幸せだったんだよね。
なら、それでいいよ。
ふたりのお墓ははじまりの木のすぐ傍にある。
先生の孫とうちの孫とは、近くの花街で一緒に暮らしているらしい。
お役目を一緒にこなす相棒同士なんだそうだ。
近いうちに一度郷に帰ってくるらしいから。
会える日を楽しみにしてる。
柊さんと蕗さんは、もう一度施療院を作ることにしたらしい。
スギナも薬売りを再開するって言ってる。
花守様とあたしは、前に施療院の入口のあった小屋でふたりで暮らしている。
ちょっと狭いけど、夫婦ふたりなら、まあ、ちょうどいいかな。
しばらくして落ち着いたころ。
庵を尋ねてきたお客があった。
戸を叩く音に、誰かなと思って開けてみたら、懐かしいヒトだった。
やあ、と手を挙げてにやっと笑う。
ヤタロだけは、百年経っても、まったく変わっていなかった。
「今日は届け物を持ってきたんだ。」
いきなりそう言いながら、行李からなにやら透明の壺を二つ、取り出そうとした。
「おやおや。
まあ、どうぞ、中に入って、お茶でも・・・」
あたしの後ろから顔を出した花守様が中へ誘おうとすると、いやいや、と手を振った。
「百年越しの新婚さんの家に、長居するほど野暮じゃないから。」
「まあ!やだ、新婚、だなんて・・・」
盛大に照れたのはあたしじゃない。花守様だ。
もじもじしている花守様を、冷ややかに見つめて、ヤタロは言い放った。
「そうそう。百年前には言いそびれましたけど、一応、お祝いは申し上げておきますよ。
とはいえ、離婚や再婚なんて言葉もあるくらいですから。
どうぞ、ゆめゆめ、油断はなさいませぬよう。
精々、奥方を大切になさいませ。」
なんだか嫌味っぽく言われたのに、花守様は全然気づかず、ぱあっと花が咲くように笑った。
「もちろんです。
もう、毎日毎日、朝から晩まで、寝ても覚めても、愛しています。」
堂々と言い放ってから、やだ、恥ずかしい、と両手で顔を隠す。
ヤタロは呆れたように口が半開きになった。
あたしも同じ顔になりかけたけど、慌てて我に返って、咳払いをした。
「あの、じゃあ、せめてお茶を入れるから、そこの縁台に・・・」
庵の外に設えてある縁台を指さすと、ああ、とヤタロは頷いた。
「せっかくだし、お茶くらいはご馳走になるか。
もっとも、茶菓子なんて持ってこなかったんだけど。」
「構わないよ。お菓子なら、たんとあるから。」
花守様が喜んで食べるもんだから、来るヒトたちがいろいろ持ってきてくれるんだ。
おかげで、お茶菓子に困ったことはない。
山吹の花を浮かべた薬茶を淹れていくと、花守様とヤタロは並んで縁台に座っていた。
「・・・ふうん・・・」
お茶を出すあたしの横顔を見上げてヤタロが言う。
「なに?」
「いや。
新妻ってのも、いいもんだ、って思って。」
絶句するあたしを押し退けて、でしょでしょ?と花守様は拳を握って力説した。
「ほんっとうに、楓の愛らしさときたら、毎日毎日、一刻一刻、一瞬一瞬、積み重なるばかりで。
もう、わたし、くらくらしっぱなしです。
こんなに可愛いヒトをこんなところに野放しにしておくなんて、危なすぎますよね?
もちろん、閉じ込めるなんてそんなひどいことは、しませんよ?
大丈夫。わたしがどこへでもついていけばいいんです。
そうして、その愛らしさを、一瞬一瞬、この目と心に焼き付けます。」
「ああ、この壺なんだけどね。」
ヤタロはもういちいち花守様の相手をするのはやめたらしい。
完全に知らん顔をして、さっき出しかけた壺を取り出した。
「こっちが由良。こっちが潮音。
由良のほうは、君が飲めばいい。
そうすれば、もう一度、君の仔として生まれてくるだろう。
潮音は、どこかよその夫婦に頼むんだね。」
壺のなかには、ゆらゆらと、綺麗な火が燃えていた。
「!
これって・・・?」
「まあ、いわゆる、魂?
そのために、あっちの仕事も引き受けたんだ。
セイレーンが本当に愛する相手と添い遂げるには、こうするしかなかったからね。」
「は?せいれん?」
「まあ、詳しい話はそのうち枯野にでも聞いてよ。」
けろっと言ってるけど、これって、なんか、すごいことだよね?
「ヤタロって、亡くなったヒトの魂を捕まえられるの?」」
「まあ、そういうお役目もあってさ。
けど、これって、かなり職権乱用?
だから、あんまり大っぴらには言わないでほしいんだ。」
あんまり詳しいことは話せなくてね、ごめんね、とヤタロは軽く笑った。
「紅葉のも探そうと思ったんだけどさ。
そっちはボクの着任前のことだったし。なかなか見つかんなくてさ。
ただ、ものすごい速さで転生を続けている狐が一匹いるって噂を聞いたんだ。
あっちにいる時間はほとんどないまま、次生へ次生へとね。
なんでも、どうしても会いたくて探しているヒトがいるらしい。
その魂を捕まえようとしたんだけど、どうしても難しくて。」
「それって、母さん?」
どうかな?とヤタロは首を傾げた。
「けど、この話しを頭領にしたら、探しに行くって、早速、旅支度、始めてた。」
戦師なんてお役目ももうなくなっていたから。
藤右衛門はもう頭領じゃないんだけど。
ヤタロはまだ、藤右衛門をそう呼んでいた。
「そっか。父さん、母さんのことを探しに行くんだ。」
封印から解けた藤右衛門は、ちょっと腑抜けたみたいにぼんやり過ごしていたけど。
そっか。よかった。やっと目的を見つけたんだ。
「アザミ殿もついていくそうだよ。」
「あのヒト、義理堅いんだよ。」
アザミさんはどこまでも藤右衛門に恩を感じているらしくて。
都にいたころもずっと、従者みたいなことをしていたんだけど。
今もまだ、そんなふうに藤右衛門の傍にいてくれてる。
ぼんやりやる気のない藤右衛門の世話も、ずっとしてくれていた。
もう今じゃ、レンさんより相棒っぽいんだけど。
それでも、アッシが頭領の相棒だなんて、滅相もない、って、固く首を振る。
永遠に、自分は藤右衛門の従者でいるつもりらしい。
「都の人たちは、どうなったの?
大王は?ヨトギちゃんと、ムイムイは?」
「大王様が亡くなって、その十日後に王妃様も動かなくなった。
おふたりは、同じ墳墓に埋葬されたよ。
ムイムイも、王妃様と同じ日に動かなくなった。
おふたりの墳墓を見守る位置に墓を建てて、埋葬された。
おふたりにはお子様が三人、生まれていてね。
今もおふたりの血を引く子孫が、王都を護っているよ。」
「そっか。都も平和なんだ。」
「いやまあ、あそこは、やっぱり、いろいろあるところなんだけどさ・・・」
ヤタロはちょっと苦笑して肩を竦めた。
「さてと。
あとひとつ、ボクの大事な用事を済ませたいんだけどさ。」
ヤタロはそう言ってあたしをじっと見た。
「あれから百年。
君はとうとう、ボクを喚んでくれなかった。
君の力になりたいって、ボクは思ってたけど。
君を助けられるのは、ボクじゃなかったみたいだ。」
ヤタロはなんだかすっきりした顔で、晴れ晴れと笑った。
「ボクの誓いももう解けた。
ボクの名は返してもらうよ。」
「名?」
ヤタロはあたしのほうに手を伸ばすと、目の前ですっとなにか握った。
取り立てて、何も変わった気はしない。
首を傾げると、ヤタロは、はは、と笑った。
「ああ、気にしないで。
それ以外の記憶はいじらない。
少しはボクのことも、覚えておいてほしいからね。」
ちょっと淋しそうに笑うヤタロに、なんだか胸がざわざわする。
「ヤタロは?
これから、ヤタロはどうするの?」
ヤタロはあたしから目を逸らせると、ふぅ、と息を吐いた。
「ボクもさ、この百年、いろいろと頑張ったよ。
まあ、頑張ったと言えば、始祖様も、暗闇でひとり奮闘してたんだけどさ。
今は始祖様は幸せなんだから、報われたんじゃない?
だけど、ボクはそろそろ疲れたし、今度こそ、ちょっと休もうと思う。」
「休む?」
「ボクのやらかしたことも、そろそろバレてるころだろうし、追手のかかる前にね。
ちょうどいいから、仲間たちのいるところに帰ろうと思って。
ボクさえ捕まらなければ、まあ、あっちだって、こんなこと大っぴらにはしたくないだろうし。
きっと、ボクなんていなかったことにして、うやむやに済ませると思うんだ。」
「それって、もしかして・・・」
あたしはさっきもらった魂の入った壺を見た。
「君のためじゃないさ。
異国の猫又から頼まれたんだよ。
かわいそうな人魚姫を幸せにしてあげたい、って。」
ヤタロはそううそぶいた。
「長生族の故郷で眠るの?」
あたしはあの何もない荒涼とした場所を思い出した。
長生族にとってあそこは聖域だし、仲間たちのところに帰るのは、ずっとヤタロの望みだったはず。
なのに、どうしてこんなに淋しいと感じてしまうんだろう。
「それって、どのくらい・・・?」
「さあ。
次に目が覚めるときまで、としか言えないな。
もう、ボクを縛るものはなにもなくなったし。
そうだな、ひとつだけ心残りだとすれば、もう椿の舞を見られないことかな。」
「・・・もう、喚んでも、来てくれない?」
「喚ばないくせに。」
ヤタロは、くくく、と楽しそうに笑った。
「いいや。来てあげるよ。
君がボクの真名を思い出すことができたらね。」
あたしは記憶を探って思い出そうとした。
けど、どこをどう探しても、思い出せなくなっていた。
そっか。
さっきヤタロがやったのは、あたしから名前を取り返すことだったんだ。
なんだかすごく淋しいけど。
でもあたしには、ヤタロを引き留める権利はないと思った。
「・・・いろいろ、有難う、ヤタロ。」
心の底からそう言った。
それから、あたしは、なんとか頑張って笑ってみせた。
今のあたしにできるのは、笑って見送ることだけだった。
「ふふ。
君のその笑顔を見られるなら、また頑張ってあげる。
次に目を覚ましたらね。」
ヤタロはそう言って鮮やかに微笑んだ。




