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花恋物語  作者: 村野夜市
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怪物を封じるために花守様が出発したのは、翌朝だった。

琴を抱え、スギナとふたり、舟に乗って。


それから、三日と三晩。

四日目の朝、ずっと心配で海を見ていたあたしたちは、突然、その色が変わったのに気付いた。

どす黒い、なんとも嫌な色をしていた海は、みるみる青く変わっていった。

さわさわと、海の底で揺れる海藻の森が、目に見えるようだとあたしは思った。


けれど、舟に乗って戻ってきたのは、スギナ、ひとりきりだった。


花守様、お討死。


その言葉が、息長の人々の間を駆け巡った。

郷にも、スギナが念話で報せたらしかった。


花守様と引き換えに青くなった海を、あたしたちは渡った。

対岸には、藤右衛門とスズ姉が迎えに来てくれていた。

あたしは、自分の足で歩いている気もしなかった。

その後、どうやって郷に帰ったのかは、分からない。


郷に戻ると、郷は、悲しみに沈む暇もなく、始まって以来の危機に、見舞われていた。

山吹の木が、いっせいに、枯れたのだ。

もうずっとずっと、ここにいる誰もが生まれたときからあった、あのはじまりの木が。


この先どうなってしまうのか、誰にも分らなかった。

不安や疑心暗鬼が、皆の心に忍び込んだ。

ちらほらと、郷を捨てる狐たちも現れ始めた。

まるで、散り散りになった息長の民のようだった。


郷に戻ったあたしは、前のように施療院で働くことにした。

山吹の木が枯れてしまったから、もう薬を作ることはできなかったけれど。

それでも、長い間手伝っていた仕事を、そのまま続けることしかできなかった。


少ししてから、あたしは自分が仔を宿していることに気付いた。

花守様の忘れ形見だった。


長い長い、悪い夢から覚めたみたいだった。

しゃきっと背筋を伸ばして、あたしは、天と地と海と、それから郷の森と花守様に誓った。

この仔はあたしが守る。


ようやく我に返ったとき、けれど、終焉は、着々ともうすぐそこまで迫っていた。


最初の異変は、施療院で起きた。

施療院は、地上に雪の降り積もる冬も、うだるように暑い夏も、常春のように過ごしやすかった。

けれど、その年の夏、施療院では、療養もままならないくらいの暑さになった。

治療師さんたちは、患者さんたちを地上に移して、療養させるしかなかった。


秋になって、郷に、ひとりの人間が迷い込んだ。


その人間は先生やスズ姉みたいな人間に慣れているヒトが、上手に外に連れ出したけど。

そもそも、迷い込んだこと自体が大問題だった。


郷を覆う結界が、弱くなっている。

このままでは、いつか、郷の存在が人間たちに知られてしまうだろう。


はじまりの木を失った郷からは、少しずつ、風に吹き流されるように、霊力が失われていたのだ。

郷の霊力は、妖狐たちの力の源だった。

それから、郷を、強い結界で護るものでもあった。


もはや、一刻の猶予もなかった。


あたしは、お腹の仔と一緒に、その対策を探して駆けずり回った。

辛くはなかった。

むしろ、仔狐にいつも励まされているような気持ちだった。


そうして見つけた方法は。

新しい結界を作り、これ以上、郷から霊力を流出させない、という方法だった。


十二の方位と、その中央に、要となる石を建て、そこに、力の強い妖狐をひとりずつ封じる。

長生族がその聖域を護るために使っている術だった。


妖力の強いモノから順に、封じられる妖狐が選ばれていった。

藤右衛門。スズ姉。柊さん。蕗さん。レンさん。アザミさん。スギナ・・・

よく知ったヒトたちが、そこに名を連ねた。

そうして最後、十三番目に選ばれたのが、あたしだった。


ひとつの家からふたりは選ばない。

藤右衛門は最初そう主張して、あたしを外そうとしてくれた。

けど、あたしはもう、心を決めていた。


「大丈夫。

 きっと、花守様は戻ってきて、あたしたちを目覚めさせてくれる。」


だって、約束したから。

黄泉の果てからでも、きっと帰ってくる、って。


ずっとずっと、仔狐のころ夢で見ただけのあたしとの約束を、覚えていてくれたヒトだもの。

あれだけ、はっきりきっぱり、宣言したんだから。

絶対、ぜーったい、その約束は、守ってくれる。


花守様が、あの琴につけた、枯野、という名前。

冬枯れの野原の下には、明くる年に芽吹く、新しい命がある。

今は、一面の枯れた野原だけれど。

あたしはきっと、その下に潜む、新しい緑になる。


仔狐をこの手で育てられないのは、ものすごく心残りだったけど。

後のことは小豆さんと先生に任せておけば、きっと、大丈夫。

先生は、新しい郷の長として、この先、仲間を導いていくことになった。


月満ちて。

可愛い仔狐が生まれた。

花守様によく似た、優し気な面差しをしていた。


あたしはその仔に、由良と名付けた。

今も、花守様のいる、あの海の名前。


由良を小豆さんに託して、あたしは、十三番目の封印になった。














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