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道場を出てから、まだ半月も経っていないはずなんだけど。
久しぶりに行ってみたら、なんだか、そこはもう、自分の居場所ではなくなったって、気がした。
不思議だ。
施療院に行ってから、まだ半月も経ってないのに。
もうあたしは、自分の居場所は、施療院なんだって思ってる。
いっつもべったり一緒の花守様が隣にいないだけで、こんなに違和感があるとは思わなかった。
お客様を通す部屋に通されたあたしは、よっこいしょ、と持ってきたつづらを下した。
それにしても、でかい。
このつづらひとつあるだけで、部屋が狭く見える。
そのとき、いきなり、ばんっ、って戸が開いたかと思ったら、ぼふっと何かが飛んできた。
まんまる毬みたいなそれを、あわてて受け止める。
あたしの腕のなかで、にっこにこの笑顔を上げたのは、あたしの大好きなヒトだった。
「スズ姉!」
「やあやあ。久しぶりだねえ。
帰ってきて君がいないと、なんだか物足りないよぉ。
返品されてくれて、本当によかった!」
いや、返品じゃないんだけど、と言う前に、そのヒトは、すりすりとあたしの胸に頬ずりをした。
「うーん、なかなか育たないねえ。
畑の西瓜でも、もうちょっと育つもんだが。」
「ちょっ!」
あたしは思い切り毬を突き飛ばした。
毬はぴょーんと跳ねて、すたっ、と床にキレイに着地した。
立っても背はあたしの半分くらいしかない。
ちっちゃいこのヒトは、子どもじゃなくて、立派な一人前の妖狐。
先生の年の離れた妹の、スズ姉こと、スズナ様だ。
スズ姉は道場の師範代にはならずに、郷の外のお役目を請けている。
だからあんまり家にはいないんだけど、家にいるときには、昔からよく構ってくれた。
あたしにとっては、先生や朋輩と同じくらい大事な家族だ。
そこへ、ぱたぱたと廊下を走る音がして、開けっ放しの戸のところから、先生が顔を覗かせた。
「おやおや。にぎやかだと思ったら、スズナも帰っていたのかい?
こりゃあ、千客万来だ。
ふたりとも帰ってきてくれて、嬉しいよ。
今夜はご馳走にしようかね?」
道場にいたころには見たことのないようなにこにこ顔で、先生は言った。
「大丈夫。お前さんは何も心配しなくていいからね。
花守様は、導師としては、まだあまり慣れていらっしゃらないんだ。
後のことは、このわたしに任せておきなさい。」
「半月で返品されるなんて、流石、楓。前代未聞の新記録だろ?
あたし、あっちこっちで自慢してこよう。」
腰に手をあて、大きく胸をそらせて、スズ姉は自慢気に言う。
今すぐにも飛び出していきそうなのを、あたしは慌てて引き止めた。
「いやそれ、自慢になりませんから。
というか、あたし、返品されてませんから。」
そしたら、ええっ、と兄妹揃って同じ顔をしてあたしを見た。
「けど、その大きなつづら・・・」
「荷物まとめて出てきたんじゃなかったのかい?」
なんだろう。
ふたりして、あたしに何か聞く前から、返品されてきたんだ、って思ってるあたり・・・
「違います。
これは、花守様から預かってきた金貨で。
買い物に行きたいって言ったら、お金が足りないと困るから、全部持って行けって。」
「金貨?
まさか、その大きなつづら全部、金貨だって言うのか?」
「そんな大金持って、いったい何を買うって言うの?
まさか、お城とか?」
兄妹、同時に質問する。
あたしはつづらを開けて見せながら言った。
「お釜を買いたいんです。
なるべく、大きな。
人間を茹でられそうなくらいの。」
あたしは花守様が召喚術で出してくれたお釜を思い出しながら説明した。
「それから、余裕があったら、お鍋も買えるといいかな、って。」
「それ、いくつ買うつもり?」
スズ姉がまん丸くした目をこっちにむけて尋ねる。
「ひとつずつ、あればいいかな、って・・・」
「だったら、金子はそんなにいらないでしょ。」
「花守様もあたしも、お釜を買うのに、どのくらい金子がいるのか分からなくて・・・」
困ったように言うと、先生は、あっはっは、と笑い出した。
「なるほど。花守様らしい。」
「だけど、花守様は、あたしひとりで市に行かせるのは心配だ、ってしつこくて。
ここに来れば、誰か、一緒に行ってくれるヒトもいるかな、って思って。」
事情を話すと、はいはいはい、とスズ姉が手を挙げた。
「あたしあたし。あたし行く!」
あたしも、スズ姉がついてきてくれるなら、すっごく嬉しい。
郷の外のことにも詳しいし、こう見えて、かなり頼りになるヒトだ。
先生も、腕組みをしながら、スズナなら、まあ、いいか、と頷いた。
「ちょうどいいや。
あたしもちょっと頼みたい品があったし。
そんな大きなお釜なら、市を探し回るより、特注で作ってもらったほうが早いだろうし。
一緒に、鍛冶屋に頼みに行こう!」
スズ姉はつづらから金貨を三枚取ると、懐にしまって、あたしの腕を取った。
「鍛冶屋?それなら、郷にも・・・」
一軒あったと思う。
「妖刀なら狐火で鍛えたのがいいんだけどさ。
髪の毛一筋の単位で精巧な部品は、やっぱり、狐のお手てにゃ、無理なんだよね。
あたしの贔屓の鍛冶屋なら、その辺、きちんと注文通りに作ってくれるから。
お釜だって、そこに頼めば作ってくれるよ。」
スズ姉は上機嫌で、さあ行こう、すぐ行こうと、あたしを引っ張って行く。
ずるずるとひきずられながら、あたしは先生を振り返って叫んだ。
「先生!帰るまで、そのつづら、置いといてもらっていいですか?」
「は~い。いってらっしゃ~い。」
先生はにこにこと手を振って見送っていた。




