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花恋物語  作者: 村野夜市
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花守様は、息長の人たちに、あたしたちの決めたことを伝えた。

みんな、驚いたけど、とても喜んでくれた。


その日は朝から婚礼の準備が始まった。


物質転送を使って、郷から、いろいろと送ってもらう。


大昔。

あの、見習い明けのお祝いのとき。

藤右衛門の贈ってくれた、とんでもない衣裳。

長いこと、行李にしまいっぱなしになってたんだけど。

わざわざ頼んで、それも送ってもらった。


目がちかちかするくらい煌びやかな衣裳だけど。

まあ、花嫁衣裳なら、許されるんじゃない、かな?


それから、母さんの形見の簪。

古ぼけているけど、婚礼にはこれを着けると決めていた。


柊さんからは特別に、花嫁の髷の結い方の詳しい図解が送られてきた。

それを見て、スギナが、えっちらおっちら、髪を結ってくれた。


それから、息長の女の人たちが総動員で、あたしに花嫁衣裳を着付けてくれた。

からだの具合の悪い人もいたんだけど。

こんなときにすいません、とあたしが謝ると、なんのなんのと手を振った。

むしろこんなときだからこそ、嬉しいよ。

明るく笑って言ってくれたその言葉に、ほろほろと涙が零れて、化粧が崩れて大変だった。


男の人たちは、みんなして、宴会の用意をしてくれた。

施療院の厨からは、立派な祝い膳が届いた。

急なことだったのに、よくもまあこんな用意できたもんだと、心底感心した。


みんなのあったかい力に支えられて。

あたしは、幸せな幸せな花嫁にしてもらった。


夕刻。

止まない波の音を聞きながら。

厳かに、華燭の典は執り行われた。

花守様とあたしは、盃を取り交わし、永遠を誓った。

天と地と海と、それから息長の人々が、あたしたちの誓言を聞き届けてくれた。


花嫁衣裳は窮屈で動きにくくて、足元もろくろく見えない。

歩きにくい砂浜に四苦八苦していたら、隣の花守様が、ひょいと抱え上げてくれた。

あたしはわりとしょっちゅう花守様にやってるけど、あたしがされるのは、滅多にない。

というか、仔狐のころ以来じゃないか?


げっ、と盛大に驚いてしまった。


「っは、はなもいさまっ?」


焦って、呂律まで怪しくなっている。

はい?と至近距離から優しく見つめられて、ますます焦りが募った。


「っお、重い、ですから。

 お、下ろして、ください。」


「ちっとも重くありませんよ?

 ああ!今は術なんて使ってません。

 折角、この両腕に、あなたの重さを感じられるというのに。

 そんなもったいないこと、できませんとも。」


「っや、いやいやいや。

 そんな細腕に、あたしの全体重とか・・・」


「大丈夫。

 あなたの夫は、そんなにやわじゃ、ありません。」


う。

あなたの夫、とか。

言われるたびに、頭のなか、沸騰しそうになる。


「う、わ、たたたたた・・・」


もう自分でも何を言っているんだか。

混乱しきってうろたえるあたしに、花守様は、あはははは、と明るく笑った。


そこへ突然、さああああっと、雨が降り出した。

きゃあ、と人々の悲鳴が聞こえる。


花守様は、空を見上げて、あ、と呟くと、小さな声で呪を唱えた。

すると、ぱっと音を立てて、巨大な巨大な傘が、あたしたちの上で開いた。

その場にいた人々、全員を覆って、まだあまりあるくらい、大きな大きな傘だった。

傘はむこうが透けていて、そこに見えるのは明るく晴れた空だ。

なのに周りを見ると、一面を塗りつぶすほどの雨が、激しく大地を叩いていた。

傘の淵から流れ落ちる雨は、まるで滝のようだった。

そこに夕日が映えて、金色に輝く。

まあるく滝に取り囲まれた、ここは金色の御殿だった。


盛大なお天気雨は、降り始めたときと同じように、ぴたりと止んだ。

雨上がりの空には、見事な虹がかかった。

思わずみんな歓声を上げた。

なんだか、なにもかも、これからよくなっていく気がした。


それから、婚礼の宴が始まった。


宴は、それはそれは華やかだった。

前も後ろも瘴気に取り囲まれているだなんてとても思えない。

さっきの雨は、周囲の空気も浄化してくれたのかもしれない。

ひんやりと清々しい空気に包まれて、久しぶりにうきうきと楽しい時間だった。


新郎新婦のあたしたちは、宴の上座に据えられて、皆が、様々な余興を見せてくれた。

声を合わせて歌う人々。華やかな舞。力強く足を踏み鳴らし、勇壮な剣舞。手妻に軽業。

次から次へと、これでもかっていうくらい、みんないろんなかくし技を披露した。


スギナは狐の祝歌を歌ってくれた。

途中、大泣きに泣き出して、八尋さんに励まされながら、なんとか最後まで歌った。


花守様も、琴を持ってきて、爪弾きながら謡ってみせた。


ゆらのとの

となかにふれる

なづのきの

さやりさやさや

さやりさや


この島と陸とを隔てる海を、由良の門、と呼ぶそうだ。

その海底には、大きな大きな、海藻の森があるらしい。

それを謡った謡だった。


宴席の人々は思わずため息を漏らした。

花守様が人前で歌ったのなんて、初めてだったんじゃないかな。

薬作りでさえ、恥ずかしいから、って、隠れてやってたくらいだから。

だけど、集まる視線にも少しも臆することなく、いつも通りの花守様の謡だ。

あたしは何度も花守様の謡は聞いたことがあったけれど。

それでもやっぱり、何度聞いても、その声には胸が震えた。

清んで綺麗で伸びやかで、包み込むような優しい声。

それが琴の音と絡み合い、どこまでもどこまでも、海を渡っていくようだった。


夜も更けて。

宴席はもう、なにがなにやらの大騒ぎの場となっていた。

酔っ払ってべそべそと泣くスギナを、八尋さんが慰めている。

あたしもあんな衣裳を着ると、カモメちゃんは斤さんに宣言していた。

あっちでもこっちでも、みんな賑やかに楽しそうだ。

少し風に当たろうと、花守様とあたしは、そっとそこを脱け出した。


ふたりきり、手を繋いで海辺を歩いた。

あの動きにくい衣裳は、とっとと脱いで、郷に送り返した。

まあ、ちゃんと着たんだから、いいでしょ。


「おや。彩雲です。縁起のいいこと。」


お月様を見上げて、花守様が言った。

つられて見上げたら、お月様の周りに、七色の雲がかかっていた。


明るい、まあるいお月様だった。

今夜はきっと、怪物も襲ってはこないだろう。

どこまでもどこまでも、このままふたりで、歩いていたいと思った。


なにやらご機嫌に鼻歌を歌っていた花守様は、ふいに立ち止まると、あたしに言った。


「楓さん。

 わたしに名をつけてください。」


「は、い?」


また突然何を言い出すんだ?

きょとんとして聞き返すあたしに、花守様は説明した。


「わたしには真名がないのですよ。

 だから、名をつけてください、楓さん。」


は?


「花守狐、というのは?」


「それは、皆が勝手にそう呼んでいるだけです。

 呼び名がないのは不便ですから、わたしもそれに甘んじておりましたけれど。」


花守様は遠く遠くを見詰めて言った。


「わたしは生まれながらの妖狐ではありません。

 わたしの父母は、わたしに名を与えてはくれませんでした。」


ああ!そうか。

そういえば、あたしの母親も、元は普通の狐だったから、名前がなかったんだ。

紅葉ってのは、藤右衛門が名付けたんだ、って前に聞いたことがあった。


「取り立ててそれで不便もなかったので、あまり気にしたことはなかったんです。

 けれど、あなたと出会ってから、いつかあなたに真名を与えられたいと。

 密かにそう願うようになりました。」


名を与える。

それは、とても強い絆を作る。

生まれたばかりの仔に、親は名を与える。

それは、親と仔の間に成される絆ほどに強い絆だ。


「え?いや、でも、そんな大事なこと・・・」


「大事なことだから。

 あなたにしていただきたいのですよ。」


うっわ。なんだろ。この、特別感。

いやもう、あたしバカだから、舞い上がっちゃいそうですけど。


「い、いやいやいや。そんな恐れ多い。」


両手を振って腰から逃げようとしたら、がっちりと捕まった。


「なにをおっしゃる。

 あなたはもう、わたしの妻です。

 逃がしはしませんよ?」


いや、名前つけないと、逃がさない?

じゃあ、名前つけたら、逃がしてくれる?


「山吹。」


考えるまでもない。

それしかない。

即答した。


「や、ま、ぶ、き。」


花守様は、ひとつひとつ音を確かめるようにゆっくりと繰り返して、それからにこっと微笑んだ。


「なんて素直な。

 思った通り、よい名です。」


それって、そのまんまだ、って言いたい?


とにかく名前つけたんだから、って、逃げようとしたら、またひょいと抱え上げられた。


「あなたってば、いっつも、わたしのこと、こうしてたでしょう?

 わたしだってしたかったけど、ずっとずーーーっと、遠慮してたんですよ?

 だってほら、導師が見習いに、って、嫌なことでも、断れないかもしれないじゃないですか。

 あなたに無理やりなことはしてはいけないって、ずっと自制してたんです。

 なのに、あなたってば、ヒトの気も知らず、よくもまあ、ぽいぽいと・・・」


ぶつぶつと恨みがましく言ってから、にこっと笑った。


「でももう、遠慮なんかしません。

 ええ、しませんとも。」


うんうん、と何回も頷いてみせた。


そのときだった。


さああああっ、と優しい音を立てて、突然、雨が降り始めた。

えっ?お月様出てるのに?

本日二度目のお天気雨だ。


花守様は、また傘を作ってくれたけど、今度は酷く、小さかった。


「ほら。もっとこっちにいらっしゃい。

 そうしないと、濡れてしまいますよ?」


いや、濡れてるのは花守様ですけどね?


花守様はあたしの真上にだけ、小さな傘を作っていた。

あたしは花守様も傘に入れるために、なるべくぴったりと寄り添うようにしないといけなかった。


「ふふふ。

 わたしのオモイビトは、優しいですねえ。」


花守様はあたしを護るように抱え込んで、すりすりと頬ずりした。

直に感じる体温に、さっきからまた心臓がばくばくしている。


「あ、あの、花守様、ずっと抱えてたら、腕、疲れるでしょう?

 そろそろ下ろしてもらえませんか?」


恐る恐る言ってみたら、たしなめるような瞳に、じっと睨まれた。


「山吹。

 さっきそう名付けてくださったのだから、そう呼んでください。」


ああ、そうだった、と慌てて言い直す。


「え、っと、山吹、様。

 あの、下ろしてください・・・」


「様もさんもいりませんよ?

 わたしたちはもう、妹背なのですから。

 わたしも、あなたのことは、楓、と呼ばせていただきます。」


「あ。ああ!はい。どうぞ。

 じゃあ、え、っと、や、まぶき・・・

 あの、下ろして、ください・・・?」


「い、や、で、す。」


「いや、あの・・・」


「わたしがいったいどれだけ我慢していたか、想像できますか?

 ずっと、幼いころから夢見た憧れのヒトが目の前にいるんですよ?

 いつか、もし本当に出会えたら、約束した通り、お嫁さんになってもらおうって。

 そんなことを、長い間、本気で考えてたんですよ?

 そんなの仔狐の夢だ、って、タニンノソラニだ、って、何度も思おうとしたけど。

 見た目だけじゃなくて、中身も、あなたはあのヒトそのものだったし。

 というか、本人なんだから、当たり前と言っちゃあ、当たり前なんですけれども。

 挙句の果てに、わたしのことを、好きだとか言い出す始末。

 よくもまあ、手を出さなかったものだと、自分で自分に感心します。」


もっとも、あなたのことが大切だったからこそ、手出しできなかったんですけどね。

花守様は付け足すように呟いた。


「姿が変わらないことを、わたしはずっと、自分が植物の精霊だからだと思っていました。

 でもね、これは多分、わたしは、あなたを、待っていたんです。

 ずっとずっと。この姿のまま。」


山吹色の瞳にじっと見詰められて、あたしの息が止まる。


「可愛い可愛い、わたしの見習いさん。

 わたしを妖狐として導いてくれた、優しいお姉さん。

 愛しい愛しい、わたしのオモイビト。」


ゆっくりと語りかける花守様の声は、柔らかくて、深くて、温かくて。

この上なく心地いい響きだった。


「どれだけ言葉を重ねても、この気持ちを言い表すことなどできません。

 だけど、思いは、後から後から湧いてきて、溢れて零れても、止まらない。」


あたしを見詰める山吹色の瞳が、怪しく揺れる。

吸い込まれそうなその光に、頭のなかがくらくらする。


「・・・なんて、愛おしい・・・

 食べてしまいたいくらいです。

 けど、食べてしまったら、あなたはいなくなってしまうから。

 わたしを食べてくれませんか?

 そうしたら、わたしはあなたの一部となって、永遠に一緒にいられますよね?」


「は?

 え?いや、それは、ちょっと・・・」


思わず我に返って答えたら、花守様は、むぅ、と口を尖らせた。


「どうして?

 離れたくないって、言ったじゃないですか。

 わたしだって、離れたくない。

 でも、あなたがいなくなるのは、嫌なんです。

 自分がいなくなるより、もっと、嫌なんです。

 だから、今、この場で、わたしを食べてしまってください。」


「いや、それは、無理です。

 あたしだって、花守様がいなくなるのは、嫌です。」


「・・・や、ま、ぶ、き・・・」


花守様は一音一音区切ってそう言い直してから、むぅ、と唸った。


「いいでしょう。少し時間を差し上げますよ。

 だから、だんだん、慣れてくださいね?」


「あ。はい。そうします・・・」


しょんぼり答えたら、花守様は、またちょっと笑った。

拗ねたり笑ったり、今夜の花守様は、なんだか忙しい。


それから、優しく、楓、と呼んだ。

花守様は、あたしの額に自分の額をくっつけるようにして、ゆっくりと言った。


「覚えておいてください。

 何があっても、わたしはあなたを守ります。

 たとえ、この命が尽きたとしても。

 黄泉の果てからでも、あなたの元に戻ります。

 わたしたちは、永遠に離れません。

 天と地と海と、大勢の仲間たちと、それから、何より大切なあなたに、誓います。

 わたしは、永遠に、あなたのものです。」


それだけ言うと、花守様は、あたしの額に、そっと、口づけた。



 



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