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花恋物語  作者: 村野夜市
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花守様とあたしは、ふたりで楠に会いに行った。

楠は、島のどこからでも、その影が見えるくらい大きな木だ。

まさに、島の守り神、という感じ。

社はこの木を祭るために建てられたものらしい。

社の正面から眺めると、両腕を拡げて護るように聳える木が見える。

ただ、実際には、木はずいぶん社の奥に立っている。

ずっと社にいたけど、木のすぐ傍にまで行ったことはなかった。


こうして傍で見ると、なおさら大きくて、立派な木だった。

大きな生き物のようにのたうつ根っこは、ちょうどいい腰掛みたいになっている。

そこに、長老がのんびりと腰掛けていた。


「おはようございます。

 お散歩ですかな?」


あたしたちを見つけて、長老は声をかけてくれた。

あたしは駆けて行って、長老に挨拶をした。


「おはようございます。

 長老様も、お散歩ですか?」


長老は少し端に寄って、あたしたちも座れるようにしてくれた。

有難く隣に座らせてもらう。

花守様もあたしを挟んだ隣ににこにこと腰掛けた。


「少し、考え事を、ねえ・・・」


そう言って、長老は遠くを見る目をした。


「この海で、わたしは長く暮らしてきました。

 長く、長く、暮らしてきました。」


ここからじゃ海は見えないんだけど、長老の目には見えているかのようだった。

あたしも長老の真似をして、遠くを見詰めた。

あたしにとって海はやっぱり怖いものに思えるけど。

長老にとっては、海は、あたしたちにとっての森みたいなものかなと思った。


「海は優しいだけではなく、ときには恐ろしいものでした。

 たくさんの恵みを与えてくれましたし、いろんなものを奪ってもいきました。

 慈悲深く、同時に、冷酷でもありました。」


長老の言葉には、たくさんの時間や思いが刻み込まれている感じがした。


「嵐も、何度も乗り越えました。

 枝をへし折られ、幹を裂かれても、倒れたことはありません。

 そこから芽を出し、長い年月に傷は塞がり、小さなコブになりました。」


なんだか、長老も、古い木みたいだなと思った。

木も人も、古いというのは、似ているのかもしれない。


「けれど、わたしも年老いました。

 このからだのうちには、虫も巣食い、朽ちかけた部分もたくさんあります。

 あと何度、嵐に耐えられるのか。

 いつかそう遠くない先に、どうと倒れるときもくるのかもしれません。」


なんだか、聞いていて辛くなってくる。

あたしは思わず力を込めて言った。


「そんなこと、言わないでください。

 まだまだ大丈夫。

 からだに悪いところがあるなら、ちゃんと治して、元気に生きましょう。」


すると、長老は、なんだか楽しそうに、ふぉっふぉっふぉっ、と笑った。


「生き物の寿命というものは、種族ごとに異なるものです。

 あなたがたは、まだまだお若い狐さんだが。

 それにしても、わたしは、長く生きました。

 とてもとても、長く、生きました。」


「花守様は、こう見えて、結構、長く生きているんですよ?

 それでも、こんなに元気です。

 確かに、妖狐は人間よりも長く生きる種族だと思いますけど。

 花守様は、長老さんより、よっぽどお年寄りだと思います。」


いや、そんなこと張り合ってどうする。

言ってから自分で思ったけど。

長老はまた、ふぉっふぉっふぉっ、と笑った。


「この地に生えて、千二百と少し。

 それだけの年月、生きてきたのですから。

 まあ、自分を年寄りだと言うのも、許していただきたい。」


へ?千二百と、少し?

あたしはあんぐりと口を開いた。

もしかして、さっきから長老だと思って話していた相手は、長老じゃ、なかった?


「お姿を拝見できて光栄です。」


ずっと黙っていた花守様が、長老にむかって言った。

長老は、また、ふぉっふぉっふぉっ、と笑った。


「変化というものを、このたび、初めて経験いたしました。

 いやあ、いくつになっても、初めての経験というのはよいものですな。

 しかし、どうせなら、もう少し、若いころにしておくべきだった。

 とっさに模ると、このような爺になってしまいました。」


長老、いや、楠の精霊は、さも楽しそうに、ふぉっふぉっふぉっ、と笑った。


樹木の精霊は用心深くて、なかなか姿は見せてくれないものだ。

まさか、こんなところでのんびり座っているとは思わなかった。


「最初は海のなかの小さな岩場のようなところでした。

 その岩の隙間に、鳥に運ばれて、わたしの種は落ちました。

 何度も何度も波に洗われながら、芽を出し、背を伸ばし、枝を拡げ。

 落とした葉は土になり、いつしか島になりました。

 そこに彼らはやってきた。

 彼らはわたしに敬意を払い、彼らの神として祭ってくれました。

 わたしは、彼らを護り、共に生きてきました。

 ずっと、ずっと、長い時を。」


それは島に来るときに八尋さんから聞いたのと同じ話しだった。

ただの伝説かと思ってたけど、本当にあったことだったんだ。


「生き物が安心して暮らせる住処となることは、樹木にとっては幸せなこと。

 わたしもその幸せを、たっぷりと味わってきました。

 何代も何代も、移り変わっていく彼らの時間を、わたしはここでずっと見ていました。

 朽ちて倒れることは、とても淋しく悲しいこと。

 けれどそれは、絶望ではない。

 彼らを見ていて、わたしはそれも学びました。」


精霊は頭上の大きな枝を見上げた。

あたしたちもつられるように、一緒に見上げた。

幾重にも重なった木の葉のむこうから、きらきらと光が降っていた。


「いやあ、この世界には、つくづく、たくさんの学びがあるものです。

 これほどの年になっても、初めて経験することも、たくさんあって、退屈する暇もありません。

 わたしはここから動いたことはないけれど、鳥や風は、わたしにいろんなことを教えてくれました。

 この島には、海人族以外の獣はおりません。

 狐さんのことも、話しには聞いていたけれど、実物を見たのは初めてです。

 いやあ、この年になって、本物と会えて、嬉しいですよ。

 狐とはつくづく、美しい姿をした獣ですなあ。」


「あの。

 あたしたちのこと、狐に見えてるんですか?」


あたしは怪訝に思って尋ねてみた。

一応、変化はしているから。

見た目だけなら、人間と変わらないと思うんだけど。


「はい。まったく美しいお姿だ。

 あなたのその、綿毛のような軽くて柔らかい毛並みも。

 そちらの方の、降りたての雪のような、純白の毛並みも。

 同じ白なのに、まったく印象が違う。

 白という色にはこれほど種類があったのですねえ。」


毛並み?

ってそれ、もろに本性が見えちゃってる?


この世界のモノは、誰にでも同じに見えるとは限らない。

だけど、もし、この精霊に、あたしたちが本性の姿で見えるなら。

花守様は、花に見える、んじゃないのかな?


「わたしは、狐に、見えますか?」


同じ疑問を持ったのかもしれない。

花守様は、精霊にそう尋ねた。

精霊は、不思議そうな顔になって、見えまずねえ、と頷いた。


「あなたの白は、沖の白波でもなく、夏の雲でもない。

 霜柱とも、つららとも違う。

 降りたての、すぐに消えてしまう淡雪。

 けれど、いつの間にか降り積もり、世界の色すら塗り替えてしまう白でしょう。」


あたしは花守様をまじまじと見た。

花守様も、山吹色の瞳を見開いて、あたしの顔をじっと見つめ返した。


「・・・わたしは、花、か、木、ではありませんか?」


花守様は重ねてそう尋ねた。

すると精霊は、一瞬、きょとん、とした顔をしてから、いやいや、それは違いますなあ、と言った。


「あなたはどこからどう見ても、れっきとした、立派な、狐です。

 そもそも、木ならば、元の木から離れて、海を渡ったりなどできませんよ。」


いろんなことが頭の中を過ぎっていく。

もうずっと前、眠っている花守様の本性を、ちらっと見てしまったことがあったけど。

あれは確かに狐の姿だった。

それに、花守様は狐の罹る病に罹らないわけじゃない、ということも最近分かった。

ただ、からだの内側にある、病と戦う力がとても強いから、病に罹ってもすぐに治るんだ、って。


「あなたがたもまた、強い、木の力に守護されているようだ。

 あなたがたからは、優しい花の香を感じます。

 あなたがたの住処となり、共に生きているのもまた、幸せな木のようだ。」


・・・・・・!


あの山吹の木は、あたしたちの郷を作り、護ってくれていたのか。

この楠みたいに。


そういえば、さっきこの精霊も言っていた。

変化したのは、初めての経験だ、って。

長く生きているからって、変化して姿を顕すとは限らない、のか?


一年中、薬になる花を咲かせて、降らせてくれる、郷の山吹。

それは、この楠みたいな立派な大木とは違うけれど。

根元からは、次々と新しい木が生えてきて、大きな茂みになっている。

何百年も昔から、森にある不思議な木。

あの木は、あたしたちの住処で、守り神で、あたしたちの郷そのものだったんだ。


「あはは・・・あはははは・・・」


突然、花守様の笑い声がした。

それは、なんだか、長い間の疑問がすっと解けたような、明るい笑い声だった。


あたしたちに、精霊は丁寧に頭を下げて言った。


「どうか、お願いがあります。

 息長の人々に、わたしを伐るように、伝えてください。

 いつか、倒れて、彼らを傷つけるようなことになるくらいなら。

 わたしは、最後まで、彼らの守り神として在りたい。」


あたしは、精霊の顔をじっと見た。

優しく穏やかに笑うその年老いた顔には、ずっと護った人たちを思う強さがあった。


「分かりました。

 そう、伝えます。」


あたしは、ようやく声を絞り出して、そう答えた。

それを伝えるのは、とても辛いことだけれど。

それが精霊の望みなら、断ることもできない。


「でも、本当に伐るかどうかは、息長の人たちの決めることです。

 あたしは、それを強制したくはありません。」


そう付け足したあたしに、精霊は、優しく微笑んだ。


「もちろんです。

 あなたに辛いお役目を押し付けて申し訳ない。

 ただ、そうだ、ひとつ、お教えいたしましょう。

 木は伐っても、それでおしまいにはならない。

 違うものに生まれ変わり、さらに長い生を得ることもある。

 だから、心を痛める必要はありません。

 よければそれも、彼らに伝えてください。」


それでも、喜んで伝えたい、とは思えなかったけど。

あたしは、ただ一回だけ、小さく、頷いた。

 



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