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花恋物語  作者: 村野夜市
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あの一番酷い怪我をしていた海人族は名を斤といった。

斤さんは、怪我の程度も酷かったので、ずっとスギナが幻術をかけ続けていた。


幻術は妖力もたくさん必要だし、術者もなるべく無心でかけなければならない。

この、無心になる、というのが、実はものすごく、難しい。


幻術を使うとき、邪念が入ると、幻術が酷い悪夢になる。

戦場で使う幻術なら、悪夢になったくらいで、ちょうどいいかもしれないけど。

苦しむ患者さんに、悪夢など見せては、かえって容体を悪化させかねない。


郷の治療師さんたちは、普通に、けろっと、かけてしまうんだけど。

柊さんとか、幻術が上手いと評判を取るヒトなんて、どんな心の構造をしているんだろう。


斤さんに幻術をかけ続けたスギナは、ずっと気を遣っていて、かなり消耗したようだった。

それでも、斤さんが、静かに眠り続けられたのは、スギナの幻術のおかげだろう。

斤さんには、静かな眠りが、何より回復への近道だったから。


斤さんにはカモメさんという許婚者がいた。

カモメさんは、ずっと斤さんにつきっきりで看病をしていた。

花守様の来る前、斤さんの状態は、誰が見ても、もう助からないと思われていた。

だけど、カモメさんは諦めずに、斤さんの手を握って、励まし続けた。

斤さんも、カモメさんの手を握り返しながら、頑張り続けたそうだ。


施術を終えて眠っている間も、カモメさんは、斤さんをずっと励ましていた。

後で、斤さんは、このとき、ずっとカモメさんの夢を見ていたと言っていた。

スギナの幻術の効きがよかったのは、もしかしたら、半分くらい、カモメさんのおかげかもしれない。


斤さんが目を覚ましたとき、誰より大喜びしたのはカモメさんだった。

怪我した斤さんの胸に縋りついて、大泣きをした。

斤さんは、ちょっと痛かったみたいだけど、笑って、カモメさんの髪を撫でていた。


目を覚ましてからの斤さんの回復は驚異的だった。

治癒術や秘薬で後押しはしていたけど。

それでも、治す力は、本人のものだ。


斤さんは、目を覚ました翌日には、床に起き上がり、重湯もお粥になった。

翌々日にはもう、普通の食事が摂れるようになった。

三日目には、杖を使って、歩く練習を始めた。

七日経つころには、部屋を出て、外を歩けるようになった。

その回復は、自分よりも怪我の軽かった人たちをも、ぐんぐんと追い抜いていった。


斤さんの驚異的な回復を支えたのも、カモメさんだった。

こういうのを、特効薬、って言うんじゃないかな。


斤さんは、口数は少ないけれど、いっつもにこにこしている人だ。

ちょっとのんびり屋さんで、不器用なところがあるみたい。

衣を着たら裏返しだったり、他人の草履を間違って履いてきちゃったり。

それも、明らかに大きさが違うのに、誰かに指摘されるまで気付かないんだ。

そして、なにかやらかすたびに、カモメさんに叱られていた。


カモメさんの叱りかたは、いつも容赦がなかった。

斤さんのお腹のあたりに、ごすっ、と一発、拳を入れる。

斤さんは、海で鍛え上げた、人一倍からだの大きな海人族だ。

対照的に、カモメさんは、カモメというより、スズメといったほうがいいくらい小柄な人だ。

カモメさんに拳で力いっぱい殴られたところで、普段ならそれほど威力はないのかもしれない。

ただ、今は斤さんは大怪我から回復している最中だったから。

ときどき痛そうにお腹を抑えて、うずくまってしまっていた。


それでも、斤さんは、カモメさんには絶対に怒らない。

ごめんよ、と笑って言うだけだ。

カモメさんは、慌てて、斤ちゃん、大丈夫?って心配してたけど。


なんだか、このふたりを見ていると、ほのぼのしてしまう。

しかし、こんな穏やかな斤さんなのに、怪物蛸相手に、銛一本で挑んだんだ。

斤さんほどの怪力だったから、銛を蛸に突き刺すこともできたんだろうって、みんな言うけど。

あたしには、斤さんが戦っているところは、ちょっと想像できなかった。


海人族って、気のいい、明るい人たちばっかりだと思う。

郷の戦師には、どこか、殺気みたいなものを、感じることが多いんだけど。

ここの人たちには、そういう感じはまったくしない。

だけど、みんな、いざというときには、一騎当千の戦士になるらしい。

海に出たら、鯨とでも戦う。

海人族というのは、その覚悟のある人たちなんだそうだ。


そうそう、海人族って、鯨、鯨、と、みんな、ことあるごとに、鯨を引き合いに出すんだけど。

この、鯨、というのは、それこそ、島くらいもある大きな生き物なんだそうだ。

怪物蛸より、もっと大きいんだって。

海には、そういう生き物がぞろぞろいるんだそうだ。

海って、やっぱり、想像もできないくらい、すごいところだ。


やがて、斤さんが杖なしで歩けるようになったころ。

都から、大臣の使い、という人々がやってきた。


島の桟橋につけられたのは、板をいくつも組み合わせた都風の舟だった。

舟には使者とその護衛の兵士が何人か乗ってきた。

息長の人々は、彼らを村の社に案内して丁重にもてなした。

怪我をした人たちも、そのころにはみんなもう、家に戻っていた。


使者とその一行は、饗応の酒食には一切手をつけず、一枚の紙切れを投げ渡した。

長老がそれを開くと、そこには、和平の条件、と書かれてあった。


「一つ、海人族は大王様への反逆の心を収め、永遠の忠誠を誓うこと。

 一つ、邪神への信仰を改め、大王様の祭る神を崇め奉ること。

 一つ、忠誠の印に、毎日、貢物を持って、大王様に、ご挨拶をすること。」


長老は紙に書いてあったことを丁寧に読み上げてから、首を傾げた。


「・・・邪神?とは、いったい、なんでござりましょう?」


使者はふんとバカにしたように鼻を鳴らすと、面倒臭そうに答えた。


「お前たち、なにを神と崇めている?」


「・・・島の守り神様なら、あの大きな楠です。」


「ならば、忠誠の証に、それを伐り倒せ。」


ええっ、というどよめきがわきおこった。

よもやまさか、そんな要求をされるとは思わなかった。


使者たちは言うことだけ言ってしまうと、案内も乞わずにそそくさと帰って行った。


その後が大変だった。

怪物蛸退治の話しもいったん脇に置かれて、喧々囂々の話し合いが始まった。


息長の一族の意見は真っ二つに分かれた。

あの大きな楠は、ずっとずっと前から、息長を護る、大事な神様だ。

伐り倒すなどとんでもない。

大王との和睦など必要ない。

これまでだって、戦に負けていたわけではないのだから。

そう強硬に主張する一派。


いやいや、折角、長年の確執に、ようやく終止符が打たれようとしているのだから。

この好機を逃しては、子々孫々に、禍根を残すことになる。

ここは、涙をのんで、条件を受け容れよう、と主張する一派。


そもそも、息長と大王の戦は、先々代の大王のときに始まったものだ。

一度は和睦も結び、その証に、息長からは、神を祭る巫女をしていた娘を差し出したのだ。

それなのに、その後も、なにかと難癖をつけては、小競り合いを引き起こすのは大王側だった。


大王側には、永遠に息長と和睦をするつもりなどないのであろう。

強硬派はそう主張した。


他の一族も、大王に恭順を示すために、己の神は捨てたそうだ。

和睦派は、そう言って説得しようとした。


どれだけ話し合っても話し合いは平行線のようだった。

部外者のあたしたちには、余計な口出しはできないけれど。

それでも、この条件を持ち出したのは、大王ではなく、大臣だろうという想像はついた。


多分、大臣は、息長が、断ってくるのを待っているんだ。

そうして、和睦を蹴ったのは海人族だ、海人族を攻めるのは正当な行いだ、と言うつもりなんだ。


何故、どうして、そんなにまでして、息長の一族を潰そうとしているのか。

どうしても、それが分からない。

だいたい、海人族を憎んでいたという先代の大王も、もうこの世にいないのに。


長く大王と争ってきた息長の人たちにも、大臣の目論みは分かっているようだった。

だからこそ、それは飲めない、という人たちと。

だからこそ、それを飲もう、という人たちと。

どちらの主張も、間違ってはいないように思えた。


いつまで経っても、話し合いに結論は出ない。

けれど、あたしたちに、それはどうしようもない。


そんなある日。

花守様は、楠に会いに行こうと言い出した。

あれだけの古くて大きな木なら、きっと精霊がいるに違いない。

あたしも、会ってみたいとずっと思っていた。




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