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花恋物語  作者: 村野夜市
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患者さん全員の施術の終わるころには、夜が明けかけていた。

施術を受けて、静かに眠る患者さんたちを、あたしは息長の人たちとお世話していた。

傷口に、秘薬の花を丁寧に貼り付けていく。

そうすれば、傷は化膿することもなく、治りも格段によくなる。

施療院なら、怪我の酷いうちは、幻術でわざと眠らせておくんだけど。

ここには、それだけ幻術をかけ続けられる狐がいない。

施術のときは、花守様が幻術をかけるけど。

あとは、どうしても必要な人にだけ、スギナがかけるしかなかった。


「幻術の薬もあったらいいのになあ。」


スギナもあまり幻術は得意じゃないらしい。

そんなことを言ってため息を吐いた。


「そんなの聞いたこともない。

 無理に決まって・・・は、いないかもだけど。

 今は、花守様もそれどころじゃないだろうし。」


なにか困ったことのあるたびに、新しい術を編み出す花守様だけど。

今は治療を急ぐ患者さんが大勢いるし、治療師も花守様だけだ。

それを考えるのは、もう少し後になるだろう。

それでも、無理だ、不可能だ、と思うことから、可能にしてしまうのが花守様だから。

もしかしたら、いつか、幻術の薬も、作り出してしまうかもしれない。


だけど、今それがないというのは、どうしようもないから。

あたしたちは、力を合わせて、患者さんのお世話をするしかなかった。


ちょうど夜の明けるころ。

花守様は最後の患者さんの施術を終わらせて、小部屋から出てきた。


あたしは花守様と外に行って、少し休憩することにした。

海のむこうに上る朝日は、郷で見るより、大きく見えた。


昨日から一睡もしていなくて、からだは疲れきっているはずだった。

それでも、隣に並んだ瞬間に、すっと楽になったのは、多分、治癒術を使ってくれたんだ。


「あたしのことより、花守様のほうが心配です。」


思わずそう言ったら、ふふふ、と笑われた。


「これはわたしの趣味みたいなもので。

 自分のためにやっているんですから、どうぞ、お気になさらず。」


「花守様のため?」


「そうそう。

 あなたにね、なにかして差し上げられることはないかって、四六時中、思ってますから。

 そうして、それを見つけて、して差し上げられると、もう嬉しくて仕方ないのです。

 それこそ、わたしの疲れなど、吹っ飛んでしまうくらいに。

 あなたは本当に、いつもわたしの特効薬です。」


「特効薬?」


「これだけはね、世界中探しても、わたしにしか効かない・・・こともないか。

 本当に、あなたは、大勢に愛されていらっしゃるから。

 まったく、気が気じゃありません。

 藤右衛門殿とのお約束も、とっとと破ってしまいそうになりますよ。」


花守様は、はあ、とわざとらしくため息を吐いた。


「それもまあ、仕方ない。

 自分で言い出したことですから。

 それでも、あなたはここにこうしていてくださるのだから。

 その幸運を、わたしは、絶対に離しません。」


そう言って、ちらっと笑う。

けどすぐに、さて、戻りますか、と腰をあげた。


じきに患者さんたちは目を覚まして、痛みに苦しみ、呻き始めた。

幼い子どもは、もうずっと泣き止まない。

看病するほうも、心を削り取られるような状況だ。


やむを得ない患者さんには、花守様が幻術をかけてくれた。

けれど、花守様にも休息は必要だ。

あれだけの人数の難しい施術を、いっぺんに終えたばかりなのだから。

妖力だけでなく、気力も体力もずいぶん消耗しているだろう。

それでも、花守様は泣き言ひとつ言わず、丁寧に患者さんに接している。

訴えに耳を傾け、可能な限り望みを叶えてあげていた。


養生は先の長い闘いだ。

患者さんにも世話人にも、辛く苦しい道のりだ。

それは、出口の見えない暗い洞窟のなかを、手探りで進むようなもの。

いつまで経っても、希望の光は見えなくて、疲れて立ち止まってしまいそうになる。

だけど、花守様は、そんなあたしたちの先頭に立って、歩き続ける。

花守様の手にはいつも、明るい狐火が灯されている。

それは、陽の差す外の世界に出るまでの、あたしたちを導く希望の光だ。


息長の人たちはみんな我慢強く、優秀な世話人だった。

患者さんたちを、宥め、慰め、辛抱強くお世話をした。

患者さんたちもまた、我慢強い息長の民だった。


転送通路が開くと、郷から、たくさんの薬や清潔な布も届けられた。

あたしたちは、患者さんの傷に薬を貼り、布を清潔なものに取り替え続けた。

汚れた布は綺麗に洗って干すと、海風がそれを乾かしてくれた。


秘薬には痛み止めの効果もある。

郷から届いた薬液を、患者さんたちに飲ませると、少しは楽になるようだった。


息長の人たちもあたしたちも、自分にできることを見つけて、黙々と働いた。


やがて、少しずつ少しずつ、暗い洞窟に、岩壁の隙間から、光が見え始める。

動けるようになった患者さんは、今度は、自分が世話をする側に回って、仲間を励ます。

そうやって、気が付いたら、いつの間にか、洞窟を抜けていた。


患者さんたちの容体が落ち着いたころ、あたしたちは、怪物に襲われた場所を見に行った。

八尋さんがあたしたちをその場所に案内してくれた。


あたしたちの着いた桟橋は、島の東側にある。

怪物に襲われたのは、そこからぐるっと回って、ちょうど、島の北の端の辺りだった。

この辺りは岩が多くて、白い波がひっきりなしに荒々しく打ち付けている。

覗き込むと、引き込まれそうで、背中がうすら寒かった。


岩場の上の崖っぷちに、家が二軒、あったそうだ。

けれど、今それは、なにか巨大なものに押しつぶされたようになっていた。


そこはまだ片付けられずに、手つかずになっていた。

そこに棲んでいた人々が、皆、怪我をしてしまったからだ。


近づく前から、異様な臭いがする。

生臭く、なにかが腐ったような臭いだった。


岩場や破壊された瓦礫の上に、てらてらと、なにか引きずられたような跡がついていた。

その場所の臭いはことのほか酷かった。


月のない夜。

怪物は、音もなく、突然、襲い掛かってきたそうだ。


島の周囲を流れる海流は、流れが複雑で、たとえ慣れていても、夜に舟を出すのは危険らしい。

海人族は長い間、何度も、大王と戦を繰り返してきたけれど。

たとえ大王の軍勢でも、夜中に舟で島を急襲することなど、不可能だった。

それゆえに、夜間に島に近づく外敵に、息長の人々は、まったく警戒していなかった。

舟ではなく、まさか、海の怪物が襲ってくるとは、もっと思っていなかった。


眠ったまま怪我をした人々は、おそらく、何が起こったのかも分からなかっただろう。

突然の轟音と悲鳴に、飛び起きた村の人々は、銛を手に駆け付けた。

月のない闇夜、蠢く巨大な怪物は、動く小山のようだった。


小山に銛を突き立てた男が、巨大な触手に掴まれて、海に引きずり込まれようとしていた。

島でも一二を争うほどの、怪力自慢の男だった。


慌てた人々は、男を助けようと、触手相手に銛で戦った。

しかし、ぬめぬめした触手に、銛はほとんど役に立たなかった。

触手には巨大な吸盤がたくさんついていた。


それでも、なんとか数人がかりで男を救出した。

けれど、触手に強い力で絞めつけられた男は、からだじゅうの骨を折られていた。

屈強な戦士だった男が、ようやく弱々しい息をしているような有様だった。


これは到底助かるまい。

そう思いながらも、人々は怪我人を社へと運んだ。

あの、花守様が、最初に施術をした男だ。


怪物は男を放り出すと、そのまま海へと帰って行った。

すべてが、あっという間の出来事だった。


「あの怪物は、蛸によく似ている。

 しかし、あんな大きな蛸は、見たことも聞いたこともない。」


八尋さんは首を振り振りそう言った。


「蛸は、人間を襲うのですか?」


花守様の質問に、八尋さんは首を傾げた。


「陸に上がって狩をする蛸というのはおりますが。

 人間が襲われるなどということは、初めてです。

 しかし、あれだけ巨大な蛸とあれば・・・

 もしかすると、人間のことも、狩ろうとするかもしれません。」


人間を狩る蛸。

海には恐ろしいものがいるものだ。


「今、長老を中心に、一族の戦士たちが、あの蛸を退治する相談をしています。」


「退治?」


「このままでは、いつまた村が襲われるか分からない。

 それに、安心して海に漁にも出られません。」


海人族はその怪物を退治するつもりらしかった。


「海の蛸と戦って、勝算はあるのですか?」


「我ら息長は、鯨とすら戦う一族です。

 いくら怪物のように大きいとはいえ、蛸に勝てないとは思いません。」


八尋さんはかっかっかと口を大きく開けて笑った。


「・・・けど、俺たちは、水のなかの生き物相手じゃあ・・・」


言いにくそうにスギナは言葉を濁した。

それに、八尋さんは、ああ、と軽く言った。


「怪物蛸退治に、妖狐族の助太刀は当てにしていない。

 いや、治療師さんに来ていただいておいて、この言い草は失礼だった。

 申し訳ない。

 しかし、怪我人の治療以外のことを、手伝ってもらうつもりはない。」


きっぱりとそう言って笑ってみせる。


「このたびは、同族の命を大勢救っていただいて、心よりお礼を申し上げます。

 しかし、狐に水中の戦いは無理でしょう。

 そこは、我ら、海の民に、お任せいただこう。」


「蛸退治は、いつなさるおつもりですか?」


「近いうちに。

 海が温かくなれば、やつらの動きも活発になる。

 まだ寒いうちに、と考えております。」


なるほど、と花守様は頷いた。


「では、せめて、その退治が無事に終わるまで。

 わたしたちは、この島に滞在させていただきましょう。」


「それは心強い。

 先日の怪我人も、そのころにはすっかりよくなるでしょう。」


八尋さんはそう言って豪快に笑った。






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