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花恋物語  作者: 村野夜市
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海人族が棲んでいるのは、トモノの島という島らしかった。

島というのは、大きな大きな海というもののなかにあるらしい。

海というのは、それはそれは大きな大きな池だそうだ。

いや、池より、淵より、大きいらしい。

あたしが、今まで見たことのある、一番大きな水は、都の川だけど。

あれより、もっともーーーーーっと、大きいんだって。


狐の飛行術は、川くらいなら飛び越えられるけど。

大きな海を飛び越えることはできない。

転移術も、むこうの地形のよく分からないところには、使わないに越したことはない。

転移した先になにがあるか分からないからだ。

池や崖や、焚火のなか程度なら、まあ、びっくりはするだろうけど、大怪我はしないにしても。

まかり間違って海に落ちたら、助かるかどうか分からない。

スギナは海で泳いだこともあるらしいけど。

行けども行けども向こう岸が見えなくて、それはそれは恐ろしいところだそうだ。

花守様もあたしも、泳げないし。

そんな恐ろしい目には合いたくなかった。


で、どうするか、というと。

人間みたいに、舟に乗って行くしかない。


スギナの知り合いの海人族が、こちらの浜まで舟で迎えに来てくれるらしい。

その舟に乗って、島に渡るんだそうだ。


・・・舟か。

・・・・・・やだなあ。


舟というと、ろくな記憶がない。

早速、気が重かった。


浜までは、スギナの転移術で行った。

詳しい座標が分からないので、実際に行ったことのあるスギナにしか転移できなかったからだ。

しかし、スギナの転移術は、花守様やヤタロのとは違って、かなりくらくらした。


花守様に治癒術を使ってもらって、なんとか歩けるようにはなったんだけど。

なんだか、いつまでも地面がふらふらしているような気がする。

つん、と香る匂いが、なんだかちょっと慣れない。

スギナが、潮の匂いだと教えてくれた。


地面が揺れている気がするのは、目の前の浜にずっと打ち付ける波のせいだ。

しばらく波を見ていて、あたしはそれに気付いた。

海は、少しもじっとしていることはなくて、ゆらゆらと波打ち、音を立てて浜に波が打ち寄せている。


泉や池とは違う。

川ともまた、違う。

得体の知れないものへの畏れ。

背中がぞくぞくする。


海は、なんだかそれそのものが、巨大な怪物のようだった。


しばらくそうしていると、海鳴りに混じって、おおーいという声が聞こえてきた。

手漕ぎの小さな舟に乗ってきたのは、予想した通り、前に会った海人族だった。


海人族は浅瀬で舟を飛び降りると、鞆綱を引きながら、海の中を歩いてきた。

大木を一本丸ごとくり抜いて作ったような舟だ。

スギナはそれに駆け寄ると、横に並んで一緒に綱を引いた。


「わざわざ迎えに来てもらって、悪いな、八尋。」


「なんのなんの。

 こちらこそ、こんなところまで出向いてもらって、いたみいる。」


スギナと海人族は昔馴染みのように気安く言葉を交わしている。

海人族と妖狐族。

種族は違うけれど、どちらも見劣りしない、立派な体格をしている。

こうしてふたり並ぶと、海人族のほうが、少しだけ年上に見えた。


浜に上がった海人族は、花守様の前にうずくまるようにして膝をついた。


「ようこそ、おいでくださいました、治療師様。

 わたくし、息長の長老の息子で、八尋と申します。

 治療師様を島にお連れするために、お迎えに上がりました。」


「おきなが?」


首を傾げた花守様に、横からスギナが説明した。


「ああ、息長ってのは、トモノの島に棲む海人の一族の名です。

 海人族ってのは、あっちこっちの島や浜に棲んでるんっすけど。

 トモノの島に棲む一族は、息長を名乗っているんです。」


なるほど。

妖狐も、実はあっちこっちの森や山に、それぞれの郷がある。

あたしたちは、取り立てて、一族の名前とか名乗ったりしないけど。

海人族はそれにいちいち名があるということか。


花守様は八尋さんの前にしゃがむと、目の高さを合わせてにこっと笑った。


「そうでしたか。失礼いたしました。

 わたしは、妖狐の郷で、花守狐と呼ばれる、治療師です。

 こちらは、わたしの助手をしてくれている娘です。」


「よお。久しぶりだな、お嬢。」


八尋さんは、そう言って気安くあたしに片手を上げてみせた。

おや、お知り合いでしたか?と花守様が首を傾げる。


「ええ、ちょっと、ね?

 お嬢、あれからスギナには、会うたびに釘をさしているからな?」


八尋さんは意味ありげに笑ってみせた。

その八尋さんの手を取って、花守様は言った。


「このたびは、息長の一族が大変な目に合われた、とのこと。

 心より、お見舞い申し上げます。

 報せを聞き、微力ながら、何かお手伝いをしたいと、馳せ参じました。

 ご挨拶もまだ、きちんといたしておりませんが。

 どうぞ、一刻も早く、島に渡してくださいませ。」


いきなり手を取られた八尋さんは、ちょっとびっくりしたみたいに目を丸くしたけど。

すぐに、ぐすっと鼻を鳴らして、慌てたように拳でぐいと鼻のしたを拭った。


「有難い。

 治療師様のことは、息長の一族、皆、よう、存知ております。

 こうしてわざわざ来ていただけると伺い、皆して、首を長うして待っておりました。」


それから急いで立つと、ぱんぱん、と膝の砂を払った。


「礼儀を知らぬ不調法者と思われましょうが、先に、謝っときます。」


「なにを謝ることがありましょうか。

 さあ、一刻も早く、島に渡りましょう。」


そう言うなり、花守様は、いきなりあたしを抱えて舟の上に転移した。

海の上だけど、流石に見えているところには転移できる。


おっとっと、と舟の上で転びそうになりながら、花守様はそそくさと船底に腰を下ろす。

それから、あたしのほうへ手を伸ばした。


「さあ、楓さん、お手を。」


あたしがその手を取ると、手を引っ張って、あたしを自分の隣に座らせる。

ちょっと、狭い。けど、安心する。

舟は苦手だけど、こうやって花守様が隣にいると、ずいぶんましだ。


「さあ。出発しましょう!」


花守様は、まだ浜で呆気にとられてこっちを見ているふたりにむかって、手を振った。

あわててふたりは、ざぶざぶと波を蹴散らして、こっちへ駆けてきた。


ふたりとも、あまり舟を揺らさずに、器用に飛び乗った。

ぐらっとして、ちょっとだけ、どきっとしたけど、大丈夫、と花守様は、あたしの手を握ってくれた。


「じゃあ、行きます。

 少し、揺れるんで、船べりに捕まっていてください。」


八尋さんは、舟の舳先に座ると、大きな櫂で舟を漕ぎ始めた。


た、ぷん。た、ぷん。


漕ぎ出した舟は、あっという間に、水に取り囲まれた。

ざざぁという音はしないけれど、ひっきりなしに船べりに波が当たる。

ゆらりゆらりと、波に乗せられて、舟は進んでいく。

この木の下は、全部、水なんだと思うと、恐ろしくて身が縮む。

目をぎゅっと閉じて、どうかどうか落ちませんように、とひたすら祈っていた。


「お嬢。大丈夫だよ?」


笑いを含んだような八尋さんの声に、恐る恐る目を開いた。

みんな、心配そうに、こっちを見ていた。


「俺も、初めて乗ったときは、そうだった。

 けど今じゃもう、舟の上で舞だって舞えるぜ?」


励まそうとしたのか、スギナはそう言うと、いきなり、ひょい、と舟の上に立ち上がった。

ぐらっと大きく揺れて、あたしは思わず隣の花守様にしがみついてしまった。


「おやおやぁ。よしよし。」


花守様は、のんびりとあたしを抱きとめてくれる。


「こらっ、じっとしてろ。」


八尋さんは叱るようにスギナを睨んでから、あたしにもう一度笑いかけた。


「今日は風もなくて、海も静かだ。

 俺は舟の扱いにかけちゃ、島でも一二を争うって腕前だ。

 安心していてくれ、お嬢。」


「そうそう。

 八尋は長老の乗る舟を漕ぐ役を担っているくらいだ。

 大丈夫だ。任せておけ。」


スギナもなんだか自慢げにそう言って笑った。


そのまま、スギナは八尋さんと何やら話し始めた。

あたしは花守様の手をぎゅっと握ったまま、ずっとずっと船底だけ睨んでいた。

怪物、怪我人、という言葉がときどき聞こえてくる。

大事な話しだろうし、花守様やあたしも話しに加わったほうがいいんだろうけど。

あたしは、花守様の手を離すことができなかった。


早速こんなんじゃ、ただの足手まといだよ・・・

花守様はのほほんとあたしに手を握られたまま、じっとしていてくれている。

情けない気持ちでいっぱいになって、思わずそっと盗み見たら、山吹色の瞳と目が合った。


「こんなに堂々と、あなたとずっと手を繋いでいられるなんて。

 役得役得。」


花守様はにこっと笑ってそう言った。

この期に及んでいったいなにを言い出すんだ、このお方は。


「島に着いたら大忙しですからね。

 今は、少しゆっくり、舟に揺られながら、休んでおきましょうね。」


花守様はそう言って、あたしの手をぎゅっと握り返してくれた。












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