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花恋物語  作者: 村野夜市
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それから三日。

長くて辛いその日々を、どうやって過ごしたのか、よく覚えていない。

花守様のことが心配で、あまり眠れなかったし、ものを食べても味がしなかった。

ただ、辛くて苦しくて仕方なくなれば、ひたすら、薬を仕込んだ。

花も水も、底をついたかなあ、と思えば、次のが送り込まれてくる。

この容赦のなさは、いったい誰の仕業だろう。


おかげで、薬は、売っても売っても、なくなりはしなかった。

海人族って、優秀な戦士だって聞いたけど、商売も上手かもしれない。

作って並べる先から、持って行く。

けど、泥人形たちも、夜も昼もなく、働き続ける。

なくなる先から、また新しい竹筒が並んでいった。


それでも、倒れるのだけは避けようと思っていた。

食事と休息だけは、忘れずにとる。

にしても、食べたくないのに食べるのも、横になっても寝付けないのも、なかなかにしんどかった。


いやいや。こんなことで泣き言、言ってどうする。

花守様は、もっともーっと、辛い思いをしているのに。


怪我、してる、って言ってたっけ。

大丈夫なのかな。

癒しの術も使えない状況なんだろうか。


ちょっと眠ると、花守様の夢を見た。

寒くて暗い場所で、痛みと苦しみに苛まれていた。

自分の悲鳴に驚いて飛び起きたら、冷や汗びっしょりになっていた。


それでも、耐えて耐えて、耐え続けていたら、いつの間にか、その時間は過ぎるものだ。

いよいよ、花守様が処刑される日は明日、という日になった。


夕刻、ヤタロは、いつぞや見たような、大きな傘と透ける布を持って現れた。


「始祖様に聞いて作った。

 明日、君はこれを着けて行ってほしい。」


虫の垂れ衣。

花守様と街の探索に出たときに着けていたのと、それはそっくり同じだった。

山吹の木で作った杖もそっくり同じにあった。


「これは、妖狐の郷の木だそうだ。

 明日一日、君のことを護ってくれるよ。」


木の先端には、五弁の花がまだついていた。

あたたかい色の花を見ていると、辛くて悲しくて、あたしは杖に取りすがって泣いた。


「泣かなくていい。

 明日の今頃には、君の隣にいらっしゃるのは始祖様だよ。」


ヤタロが励ますように微笑む。

その笑みを見ても、笑い返すだけの気力は、もうなかった。


翌朝。

とうとうこの日が来てしまった。

あたしは傘を着けて、朝早くから川原へと出かけていった。

ヤタロはもう夜中からいない。

海人族も妖狐たちも、誰も姿を見せなかった。


朝、まだ早いというのに、川原にはもう大勢の人だかりができていた。

この人間たちは、花守様の処刑を楽しみにきたんだろうかと思ったら、ぞっとした。


川原の広いところに処刑場が作られていて、周りは尖った竹柵で取り囲まれている。

竹柵の内側には、竹槍を持った士が、ずらっと並んでいた。

まだ花守様は連れてこられてはいないのに、ものすごく厳重に警戒している。

竹柵の周りには、何重にも、見物人たちの人垣が並んでいた。


この見物人たちをかき分けて、最前列に出るなんて、到底、無理だ。

そんなことを思っていたときだった。

す、と後ろから近づいてきた人影が、無言のまま、あたしを先導するように前に立った。

どことなく、見慣れた後ろ姿だと思った。

ちらっと振り返った拍子に見えたのは、お面のように綺麗で無表情な顔だった。


泥人形?


お面には、斜めにぱっくりと割れた痕のような、ヒビがあった。

はっと目を丸くしたあたしに、お面の顔は、微かに微笑んだように見えた。


泥人形は何も言わなかったけれど、近づいていくと、人間たちは、自然に道を開けた。

たちまちのうちに、あたしたちは、列の最前列に出ていた。


厳重な竹の柵のむこうに、ぽつりと、磔の台が立っていた。

もうじき、花守様は、あそこにくくりつけられるんだ。

そう思うと、足がかたかたと震えだした。


すると、誰かが、そっとあたしの背中に手を置くのを感じた。

はっとして目を上げると、泥人形のお面の顔のような目と、目が合ったような気がした。


生き物じゃない泥人形の手は、ひんやりと冷たかったけど。

それでも、ヒトの手のように柔らかかった。

あたしは、ひとつ深呼吸をした。

震えている場合じゃない。

ほんの僅かでも、機会があるなら、花守様を助けなきゃ、なんだから。


ヤタロも妖狐族も、なにか、策は立てているに違いない。

けど、あたしには、なにひとつ教えてはくれなかった。

あのヒトたちにとって、あたしは、足手まといにしかならないモノなんだろう。

悔しいけど、仕方ない。

だけど、だからって、何もしないつもりはない。

もちろん、極力、邪魔にはならないようにするけれど。


気持ちを落ち着けて、処刑場の観察をする。

竹柵から磔台までの距離を、目算で測る。

本気を出せば、あたしには、一瞬で移動可能な距離だ。

ただ、この竹柵を飛び越えるとなると、その分、余計に時間がかかる。

見張りの士も厄介だ。

戦うなんて愚の骨頂。もちろん、すり抜けるつもりだけど。

足止めされずに花守様に近づくには、幾通りの方法があるだろう・・・

真剣にそれを考えていたら、頭の芯が、しんと冷たくなっていくのを感じる。


それにしても、ヤタロも妖狐たちも、今日、あたしがここに来ることは知っているはずだ。

昨日、わざわざヤタロがこの傘を持ってきたくらいなんだから。

ということは、あたしにも、皆の期待する役割があるんじゃないだろうか。

だけど、それなら、どうして、何も言ってくれないんだろう。

言ってくれれば、なんでもするのに。


もしかして、言わないことに、意味がある?


食えない連中揃いなのは、嫌ほど分かっている。

あのヒトたち、いったい、何を考えているんだろう?


ヤタロと妖狐は協力し合うはずだ。

よもやまさか、ばらばらに動いたりはしないだろう。

ヤタロの術はすごいけど、あれは、直接、攻撃したり、物を動かしたりする技だ。

幻術や目くらましの類は、妖狐のほうが上手なはず。

藤右衛門の配下の戦師には、幻術の得意なヒトもいるだろう。


けれど、もし、ここに集まった人間たち全員に幻術をかけるとなると、相当な妖力が必要だ。

数人がかりでかけることもできるけど、それには、結界を作る陣が必要になるはず。

しかし、ここを全部覆うほどの陣を作るとなると、あまりに大がかりだ。

そんなことをしていたら、敵に、こちらの手の裡もバレてしまうだろうし。

ということは、それは、ないのか・・・


うー、よー分からん!

やっぱ、あたし、策とか苦手だわ。

思い切って、竹柵なぎ倒して突っ込むほうが、得意技だよ。


どこが一番、なぎ倒しやすそうかな?

組んである竹が細いとか、結んだ紐が緩いとか。

力技で押し倒して、見物人に怪我させたくはないし。


きょろきょろとあちこちを見回してみる。

そしたら、なんとなんと。

あったんだ。


え?と思った。

目の前、真ん前。

竹を格子状に編んである紐が、微妙に解けている。


え?

うそ。

こんなことって、あり得る?


ちらっと隣の泥人形を見上げる。

泥人形は、真っ直ぐ前を見たまま、知らん顔をしていた。


これ、ここから、なぎ倒せ、ってこと?

え?いいの?

本当に、やっちゃうよ?


いや、待て。今じゃない。

逸る気持ちを抑え込む。

まだ、花守様は来ていない。

今、ここを壊したって、大急ぎで修理されるだけ。


と、そのとき。

目の前にずらっと並ぶ見張りのひとりが、こっちをじぃっと見ているのに気付いた。

慌てて、結び目の緩いところから目を逸らせる。

そこばっかり見ていたら、あたしの視線で、それを教えてしまうかもしれない。


けど、残念なことに、その見張りは、あたしが視線を逸らせても、結び目の辺りをじっと見ている。

ヤバい。どうしよう。今、気付かれて修理されてしまったら・・・。

焦って目を上げたあたしと、見張りの目が合った。


その瞬間、息が止まった。

どくどくどく、という、自分の心臓の音だけ、耳に響く。


しまった。折角見つけた好機だったのに。棒に振ってしまった。

あたしの、バカ。なんだって、そんなとこ、じろじろ見てんのよ。


絶望感に苛まれ、よろよろと座り込もうとしたときだった。

目を逸らせることができなくなっていた見張りが、わずかに、にやり、と笑った。


え?

・・・スギナ?


まさかまさかまさか。

見張りはすぐに顔を俯かせてしまった。

深々と兜を被り、顔の上半分は、兜の庇の影になっている。

その見張りは、背格好と言い、持ってる雰囲気といい、スギナとは似ても似つかないんだけど。

でも、どうしてだろう。

あれはスギナだと、あたしは確信した。


スギナが見張りに入り込んでいる?

ということは、もしかしたら、他にも、見張りに化けた妖狐がいる?


ボクらは絶対に始祖様を救出する。

毎日、あたしにそう言い続けたヤタロの声が甦った。


この七日間、みんなだって、手をこまねいていたわけじゃない。

いや、本当なら、獄から救助しようとしたのに、花守様に言われて、あえて今日まで待ったんだ。

それは、花守様に、何か、考えがあるから。


花守様は、この場でいったいなにをしようと考えているんだろう。


もう一度、最初から考える。

花守様は、ここでやらなければならないことがある、と考えている。

そのために、妖狐もみんな協力するつもりでいる。


それはきっと、花守様にとっては、そうまでしても、やらないといけないこと。


だったら、あたしも、軽はずみなことはしちゃいけない。


いつの間にか、処刑場には、もっと多くの人間が集まってきていた。

都中から集まってきたのかと思うくらいの人間が、処刑場を中心に、寄り集まっている。

こちら側に近寄れなくて、川の向こう岸から眺める人間たちまで、現れ始めた。


そのとき、遠くから、道を開けろ~、道を開けろ~と叫ぶ、男の声が聞こえてきた。

周りの人間たちが、ゆっくりと移動する。

泥人形はあたしが押しつぶされないように、さり気なく護ってくれた。


川沿いの道に現れたのは、一目で高貴な人のものと分かる牛車だった。

それが三台、続けてやってくる。

その周囲には、弓矢を持った徒歩の兵士も大勢いた。


真ん中の車は、艶々した真っ黒い牛に引かれていた。

一見、目立たない造りのようだけれど、最上級の黒檀を使った、とんでもなく上等の車だ。

御簾の隙間からは、煌びやかな衣の端が覗いている。

そこが僅かに引き上げられて、女官が扇で顔を隠しながら、何か、供の者に話しかけていた。


周囲の人間たちが、ひそひそと話すのが聞こえてきた。


あの牛車につけられた印は、大王様付きの最上級の証。

あれは、大王の奥方様だ。

奥方様のお忍びの行幸だそうだ。


あんだけ仰々しい行列しといて、お忍びもないもんだ、と思ったけど。

奥方様ってことは、あれに乗ってるのって、ヨトギちゃん?

けど、やあ、久しぶり、なんて、気楽に声をかけられる様子ではない。

うっかり近づこうもんなら、怪しい奴、と、問答無用でばっさりやられそう。

いや、ヨトギちゃんもすっかり遠いヒトになっちゃったなあ・・・


そんなことを考えていたら、また、ひそひそ話が聞こえてきた。


安産祈願の最中だとか。

都の社へ詣でられたそうだ。


ええっ?安産祈願?

って、ことは・・・

ええっ?!


泥人形は、子は望めないんじゃなかったの?

うわあ、よかったねえ。ヨトギちゃん。それから、大王。

なにがどうしてそうなったのかは分からないけど。

きっと、ふたりの本当の愛が、天に通じたんだよ。


あたしはちょっとの間、今の状況を忘れて、ふたりのことを、心から祝福していた。






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