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ヤタロが郷との間に物資転送の通路を開くと、すぐに、ぼんっ、ぼんっ、と甕が届き始めた。
どの甕にも、花と水がたっぷり入っている。
すっかり見慣れた光景に、心は、しん、となる。
きっと、施療院じゅうの狐が、花集めや水汲みをやってくれたんだろう。
これが、昨日、攫われる前に、花守様のしておいてくれたことの結果なんだ。
これを、無駄にするわけにはいかない。
花守様の気持ちも、施療院のみんなの気持ちも。
あたしが今ここで何もしなければ、ただ腐っていくだけだ。
それだけは、絶対にできない。
あたしはもう余計なことは考えずに、早速、薬を仕込み始めた。
花守様に教わった通りに。
こおろこおろと唱えるたびに、涙が溢れて止まらなかったけど。
それでも、手を止めることはしなかった。
仕込んで、仕込んで、仕込んで、仕込んで・・・
仕込んで、仕込んで、仕込んで、仕込んで・・・
ただ、目の前にある甕を、ひとつ、ひとつ。
仕込んだ甕は、泥人形たちが、無言で運んで行く。
いつの間にか、ヤタロの姿は、見えなくなっていた。
朝いちばんに届いた分を全部仕込んでしまったころに、また次の甕が届けられる。
施療院のみんな、頑張りすぎだよ。
泥人形が、糒と水を持ってきてくれた。
食事を摂る時間も惜しいけど、食べないと、妖力の消耗が激しくなる。
仕方なしに、少しだけ休んで、でも、すぐに次の甕にとりかかった。
仕込んで、仕込んで、仕込んで、仕込んで。
仕込んで、仕込んで、仕込んで、仕込んだ。
こんなにたくさんいっぺんに薬を作ったのは、初めてだ。
妖力切れっての、あたしは経験したことなかったんだけど。
ふわっ、とからだが浮く感覚があって、唐突に、そのまま倒れた。
傍に控えていた泥人形が、うまく受け止めてくれなかったら、怪我してたかもしれない。
倒れたことに、自分が一番驚いた。
見上げた目に映った泥人形のお面のような顔が、ちょっと心配しているように見えた。
起き上がろうとしてもふらついて起き上がれない。
そのあたしを、泥人形がそっと押しとどめた。
その顔はやっぱり無表情だけど。
どうしてか、ひどく悲しそうに見えた。
「やらなきゃ。」
あたしは泥人形に手を退けてほしくてそう言った。
泥人形は、命令に逆らうことなんてしない。
だけど、あたしのからだを支えている泥人形は、手を退けてくれなかった。
「放して?」
そう言ったら、ゆっくりと首を振った。
いったい、どうしちゃったんだろう、この泥人形は。
あたしは無理やり力づくで起き上がろうとした。
その途端、泥人形に、ぎゅっと抱きすくめられた。
え・・・?
その瞬間、清涼な風が吹いた。
その心地よさに、一瞬で、失った妖力が回復するのを感じる。
ふわり、とやわらかくからだが浮いて、そのままゆっくりと地面に落ちた。
ぱさっ、と自分の髪のひろがる音だけ聞こえた。
気が付くと、あたしを抱きかかえていた泥人形の姿はなかった。
ただ、崩れ落ちた土の塊が、あたしを護るように、地面に拡がっていた。
慌ててからだを起こした。
それから、地面に落ちていた土を拾って、じっと見詰めた。
泥人形とは、捏ねた土を人の形にして、そこに術力を込めたもの。
多分、自分のなかにある術力を、全部あたしに渡してしまって、あの泥人形は土に還った。
感情も意志も、泥人形にはない。
ヤタロはそう言っていたけど。
そんなことはないんじゃないかな。
でないと、今、泥人形のしてくれたことに、説明ができない。
土を握って、あたしは少し泣いた。
命のない人形が壊れたことに、泣くことなんてない、ってヤタロなら言いそうだけど。
それでも、涙が止まらなかった。
泣きながら、あたしは、泥人形だった土を丁寧に拾った。
そうしたら、どこからか別の泥人形が、桶を持ってきてくれた。
ちょっと他の土も混ざっちゃったかもだけど。
泥人形だった土は、全部、拾ったと思う。
次に、ヤタロに会ったら、この泥人形を元に戻せないか聞いてみよう。
それから、思った。
無茶も無理も、格好よくなんかない。
誰かを余計に傷つけ、誰かを余計に苦しめるだけ。
今、この大変なときに、あたしまで誰かの荷物になっちゃいけない。
そこからは、力の配分に気を付けた。
食事と、それから休息も、適度に取るようにした。
三度目に送り込まれた甕は、形も大きさも不揃いになっていた。
そろそろ、あちらも、いろいろ疲れてきたかもしれない。
都の人間は大勢いて、薬はまだまだ足りそうにないけど。
それでも、少しずつ、前に進むしかない。
諦めずに進み続けたら、きっといつか目的地に辿り着ける。
花守様なら、きっとそう言うに違いない。
夕刻、ヤタロが屋敷に戻ってきた。
あたしは桶いっぱいの土を見せて、昼間あったことをヤタロに話した。
ヤタロは、桶の土を見て、微かに微笑んだ。
「土でできたモノは、土に還る。
それだけのことだよ?」
「・・・でも、それでも・・・」
あたしの目から、ほろほろと涙が零れる。
なんだろう。このところ、すぐに泣いてしまう。
ヤタロは手を伸ばして、あたしのほっぺたを指でこすった。
「分かった。君のこの涙に免じて、こいつはもう一度、人形にしてやろう。」
「直せる?」
「もちろん。
ボクを誰だと思ってるの?」
ヤタロの笑顔に、心底ほっとした。
そしたら、あたしを見るヤタロの目が、ほんの少しだけ、辛そうに揺れた。
「やれやれ・・・まいったなあ・・・
泥人形が壊れたくらいで、本気で泣くヒト相手じゃ、ボクの身がもたないね・・・」
ヤタロは、わざとらしく大きな声でそう言うと、がしがしと頭を掻きながら、むこうをむいた。
それから、大きく肩を落として、ため息を吐いた。
「始祖様ってのは、あれだね?
ものすごーくオヒトヨシで、疑うってことを知らなくて、うっかりモノのぼんやりモノだね。」
「確かに、花守様は、うっかりしてるしぼんやりしてるけど。
そんな言い方しなくったって・・・」
あたしの台詞は、ヤタロの盛大な舌打ちに遮られた。
「そんなことより!」
ヤタロは強引に話を変えて、ぱんっ、と一度手を叩いた。
すると、そこに、突然、大量の竹が現れた。
「見事な竹だろう?
禁裏の竹林の竹なんだ。
あそこの竹はよく手入れされてるから。
しっかり太っているし、傷や虫食いもない。」
ヤタロは自慢げに言うと、ぱんぱんと手を叩いて、泥人形たちを呼び集めた。
集まった泥人形に、ヤタロは竹を切って、竹筒を作るように命じた。
泥人形たちは、黙々と作業を始める。
みるみるうちに、綺麗に大きさの揃った竹筒が、ずらりとそこに並んでいく。
「薬液は、一度にどのくらいの量を飲めばいいのかな?」
ヤタロに尋ねられて、ちょっと考えてから答えた。
「盃一杯くらい、かな。」
「盃か。ふむ。」
ヤタロはちょっと首を傾げて考える。
「病を癒すには、どのくらいの間、薬を飲み続ければいい?」
「それは、病の重さにもよるけど・・・」
あたしは昨日見た赤子のことを思い出して言った。
「一日三回、朝昼晩に飲むとして・・・三日もあれば、大抵は治るんじゃないかな。」
「流石、狐の秘薬だ。すごいね?」
ヤタロは感心したようにあたしを見上げた。
あたしはちょっと嬉しくなった。
「前のはそこまですごくなかったんだけど。
花守様が、いろいろ改良したからさ。
一番の改良点は、少し強めの妖力を送ることで、花を砕いておくことかな。
そのおかげで、熟成期間も、前よりずっと短くなったんだよ。
薬液のまま使うなら、そのほうがずっと薬効も上がるし。
その薬効も、症状に合わせて、特化させているんだ。
昨日、街で病の赤子を癒すことがあったんだけど。
そのときの感覚を元にして、薬に送る妖力の質を工夫したんだよ。」
うっかりぺらぺら話してしまったけど、ヤタロは嫌な顔もせずに、全部、聞いててくれた。
「あの方は、根っからのうっかりぼんやりだと思うけど、治療師としては、一流なんだよな。」
ヤタロは褒めてるんだかけなしてるんだか分からないことを呟いてから、矢立の筆を取った。
懐から紙を取り出すと、それにさらさらと書き付けていく。
「一日三回。三日間。一回の分量は、盃一杯、と。」
だとすると、こんなもんかなあ、と呟きながら、竹筒を一本取って、薬液を注いだ。
「よし、お前ら、今度は、これだ。」
ヤタロは、薬液を詰めた見本をひとつ作ると、それを泥人形に示した。
疲れることも倦むことも知らない泥人形は、言われるまま、今度は竹筒に薬液を詰め始めた。
見事なまでに、ぴったりと同じ量を入れた竹筒が、そこに綺麗に整列していく。
あっという間に、昨日仕込んだ薬液の甕は、全部からっぽになった。
「この甕は郷に送り返そう。
そうしたら、明日また、花と水を送ってくれるだろう。」
ヤタロは転送通路を使って、からになった甕を全部、郷に送り返してくれた。
「それにしても、郷にあるっていう山吹の木はすごいね。
こんなに花を取っても、まだ花はなくならないの?」
山吹の木の話しに、あたしは、ちょっと胸がずきっとした。
不思議な山吹。年中、花が満開で、いつも花を降らせている。
花守様の本体の霊木。
だけど、その痛みを気付かれないように、あたしは慎重に答えた。
「昔から、あるんだ。
はじまりの木、って郷では呼ばれてる。
郷のみんなを護ってくれている木だよ。」
花守様のように。
心のなかでそう付け加えた。
「郷の狐だけじゃない。
その木は、もっとたくさんのモノを護る木だ。」
ヤタロはそう呟いた。




