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あんなにたくさんあった甕の移動は、本当に、一瞬だった。
やっぱり、ヤタロって、ただものじゃない、って、つくづく思った。
花守様の念話はまだ済んでいなかった。
なんだかちょっともめてるみたいな雰囲気だ。
これは、時間、かかるかな、って思った。
仕方ない。先に行っておくか。
甕の移動の間に、念話が終わったら、花守様と一緒に行けるかなって思ってたんだけど。
まあ、念話が終わったらすぐに来るんだろうし。
あのとき、どうしてあんなに、先に行きたくなかったのか、よく分からない。
もしかしたら、虫の報せ、ってやつだったのかもしれない。
だけど、あたしは先に行ってしまった。
後でそれをひどく後悔することになるとも思わずに。
ヤタロはあたしを連れて、屋敷に転移してくれた。
本当に、一瞬だった。
眩暈すら感じなかった。
瞬きをしたら、いる場所が変わっていた、って感じ。
「ヤタロって、やっぱ、すごい術師なんだね?」
「まあね。
だから、君は術なんて、まったく使えなくても、困らないよ?
全部、ボクがやってあげる。」
「いやまあ、普段は、術使えなくても、そう困ってないから。」
薬は作れるし。飛行術もできるし。灯りだって、まあ、一応、できるし。
他に、術使うことなんて、ないから。
「・・・でも、瘴気だけは、見えたらいいのに、ってちょっと思う。」
そうしたら、ここに来るのだって、自力で来られたのに。
瘴気かぁ、とヤタロは呟いた。
「目ってのは、生来の能力のほうが大きいからね。
見えなくなることはあっても、見えるようになることは、あんまりないんだよね。」
「じゃあ、あたしは、一生、瘴気を見ることはできないんだね・・・」
まあ、今回のことがあるまでは、それに困ったことはなかったんだけど。
ふむ、とヤタロはもう一度、考え込んだ。
「目に映るってのは、光の屈折なんだ。
瘴気の色、ってのが、君には見えない色なんだろうな・・・」
「見えない色なんてあるの?」
「あるよ?
自分に見えているものが、この世界のすべての色だなんて、思わないほうがいい。
君には見えてなくても、他のモノには見えるものが、この世界にはたくさんあるんだよ。」
そうなんだ。
世界は誰にでも同じように見えていると思っていたよ。
花守様に見えている世界と、あたしに見えている世界。
隣にいて、一緒に歩いていても、その世界って、違っていたんだ。
「そんなに不安そうな顔しなくてもいいよ。
それでも、ボクらは、今同時に、同じ世界に、一緒にいるんだよ。」
宥めるようなヤタロの声に、そっちを見たら、ヤタロはにこっと笑ってみせた。
滅多に見られない、ヤタロの素直な笑顔。
なんだか、いまだにこれを見ると、ほっとする。
「けど、瘴気は見えないと不便だなあ。
何か手がないか、考えてみるよ。」
助かるよ、とあたしが頭を下げると、ヤタロは、さて、と視線を上げた。
「そろそろボクは行かなくちゃ。
せっかく、君とふたりきりになれる好機なのにさ。
まあ、抜け駆けはしないと、誓ったことだしね。」
ふうとオトナみたいなため息を吐いてみせる。
あ、生きてる長さはもう立派なオトナだけど。
「とにかく、野暮な用と、野暮な用と、野暮な用と、野暮な用が、ボクを待っていてさ。
いつ終わるか、気が遠くなりそうなんだけど、やらないと永久に終わらないし。
投げ出すわけにも行かないから、そろそろ行くよ。」
ものすごーく、嫌そうに言った。
「用があったら、土人形に言って。
術の使えるやつはいないけど、力仕事や手仕事なら、なんでもこいだ。
郷からの転送はまだみたいだから、終わったら、少し休んだらいい。
前に君の使っていた部屋は、そのままにしてあるから。
明日からも忙しいんだろ?」
でしょうねえ。
郷から材料が送り届けられるようになったら、それこそ、休みなしに薬作りだ。
「そうだ、ヤタロ。
その薬なんだけどさ。」
あたしは、ふと思い付いてヤタロに言った。
「丸薬にするには花びらを乾燥させて、粉にしてから、また丸めるんだよね。
けど、それって、時間がかかるし。
薬液のままだと、持ち運びが不便なんだけどさ。
薬効とかは変わらない、というか、むしろ薬液のほうが即効性もあるし。
なんとか薬液のまま、患者さんに届けられないかなあ、って思うんだけど・・・」
「薬液のまま?
ってことは、それを入れる容器が大量にいるってことか。
分かった、それもなにか手がないか考えておくよ。」
やっぱり、ヤタロに相談すると話が早い。
「助かるよ。本当、ヤタロって、頼りになるね?」
「惚れ直した?」
「いや?
そもそも、惚れてない。」
ありゃ、とヤタロは肩を竦めてから、じゃ、行くよ、と言って、そのまま姿を消した。
なんていうか、あっさりしている。
あたしは屋敷の庭に、甕を運んで並べることにした。
どこからともなく現れた土人形たちが、手伝ってくれる。
みんな口をきかないし、目も合わせないんだけど。
それでもなんだか懐かしくなって、久しぶり、って肩を叩きたくなった。
ヤタロって、いつ帰ってきたんだろ。
屋敷の様子は、前とまったく変わってない。
もしかして、ほとんど、寝てないのかな。
少しくらい休んでたらよかったのに。
誰か困ってたら、じっとしてられなくて、無理して動いてしまうとこ、ちょっと花守様に似ている。
花守様も、放っておけば、倒れこむまで、休まないで働いてしまったりする。
明日からもまだまだ大変そうだし。
花守様の調子には、あたしも気を付けないとなあ。
けど、不思議なヒトなんだよね、花守様。
仕事が忙しいと、へろへろになるまで働いて、それから糸の切れた人形みたいに倒れこむけど。
それでも、眠るか食べるかすると、たいてい、回復してしまう。
本当に、ああ見えて、恐ろしく頑丈だ。
だから、花守様が病にかかったって聞いて、本当に驚いたし、心配した。
結局、あれもいつの間にか治ってしまったけど。
実際のところ、どこが悪かったんだろ。
木の精霊ってのは、からだの仕組みも、狐とは違うんだろうか。
病気のこと、詳しく調べてほしいけど、柊さんにも、そのことは打ち明けてないし。
なんか勝手に言ってしまうのも、ダメな気がするし。
とにかく、傍にいて、気をつけてるしかないよね。
初めて、お世話係、として出会ったころ。
あたしといると、食事や睡眠を規則正しくとるようになったって、喜ばれたっけ。
それが、あたしのお世話係の中身だった。
けど、今ならもうちょっとちゃんと、お世話係、できるんじゃないかな。
甕を並べ終わったけど、花守様はまだ来なかった。
念話の話もなんだか込み入ってそうだったし、もしかしたら、まだ話がつかないんだろうか。
それとも、花守様のことだから、念話の後、薬作りでも始めてしまったのかも。
もうひとつだけ、あとひとつだけ・・・
そんなことを言いながら、気が付いたら、また床いっぱいに、甕を並べてるのかな。
こっち来てから、やったらいいのに。
そうしたら、あたしも手伝えるのに・・・
そんなこと考えながら、ぼんやり並んだ甕を見ていたら、いつの間にか、眠ってしまっていた。




