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人間というのは、病にかかると、医者にかかるのも、薬を買うのも、ひどく金子がかかるらしい。
なんとなく、それは知ってたんだけど。
ここまでとは思わなかった。
目の前に、息も絶え絶えな赤子がいるというのに、金子がないからと、逃げる医者がいるなんて。
もちろん、医者だって人間だ。ただ働きしろとは思わない。
けど、恰幅だって身形だって、あんなにいいじゃない。
薬のひとつくらい分けてあげたって、罰は当たらないと思うんだけど。
――ひとりに差し上げれば、我も我もと押し寄せる。
だから、最初のひとりを助けられないのかもしれません。
花守様の呟きが聞こえた。
それは・・・分からないこともない。
でもなー、なんかなー・・・
思い悩みながら帰ったら、お団子を買うのを忘れた。
慌ててもう一度買いに走った。
その間に花守様は郷に連絡を取って、花と水を送ってもらうように話をつけていた。
翌日から、花守様とあたし、ふたりがかりで、薬作りを始めた。
郷からは花と水を詰めた甕が大量に送り込まれてきた。
それをふたりがかりで、仕込んで、仕込んで、仕込んで、仕込んで・・・
多分、花守様は、なんも考えてないんだと思う。
ただ、目の前の患者をほっとけないだけ。
それが、たとえ、狐だろうと人間だろうと。
大昔、たくさんの獣たちをなんとか助けようとしたように。
押し寄せるなら、その全員分の薬を作ればいい。
それが花守様の答えだった。
けど、夕方起きてきた藤右衛門は、ずらっと並んだ甕を見て悲鳴を上げた。
「ちょっと、これ、床が抜けそうだよ?」
・・・確かに。
でも、外に並べるわけにもいかないしさぁ。
藤右衛門は額を抑えながら呻いた。
「これは、早急になんとかしないと、だね。」
その夜。
藤右衛門の家に、ヤタロが訪ねてきた。
ずらっと並んだ甕を見て、ヤタロは感情の籠らない声で、うわー、と言った。
一階の部屋は仕込み中の甕がぎっしり並べられていて、座る場所もない。
甕の間の細い通路を通って二階に案内する。
「これ、一階の床、たわんでない?」
甕の隙間を通りながら、ヤタロが聞く。
「・・・そんな気も、するような、しないような?」
誤魔化し笑いを浮かべたら、あー・・・、って顔をされた。
二階では花守様がせっせと薬の仕込み中だった。
歌う花守様の姿に、ヤタロは、ほう、と小さなため息を吐く。
「これが本家本元の技かあ。
君のも何度か見せてもらったけどさ。
やっぱ、お師匠様のは一段と、感動するねえ。」
そりゃあ、ねえ。
一通り仕込みの作業が終わって、花守様はこっちにやってきた。
「あの一階の甕は、全部今日一日で?」
ヤタロは余計な挨拶もなく、いきなり花守様にそう尋ねた。
「ってことは、明日には、二階も埋め尽くされますね?」
それは確かに、ヤバい、かな?
「じゃ、これ全部うちに運ぶから、あとはうちでやってください。」
あっさり言われて、あ、はい、と返事しそうになって、えっ、と顔を見返した。
「ヤタロのうちって・・・?」
「あそこなら、まあ、そこそこ広いし。
地下だから雨も降らないし。
転移座標、固定しといて、郷からの転移物もあっちに送ってもらえばいいし。」
確かに、あそこを使わせてもらえば、何かと便利かもしれない。
敵の陣地の真っ只中、ではあるけれど。
案外、あんな場所のほうが、意外過ぎて、大丈夫かも?
あとはヤタロは花守様となにやら相談し始めた。
「あそこはね、都と禁裏、それから、ボク自身の作った三重の結界があるんで。
その鍵を渡しますから、郷との間に、物資を直通する経路を開いてもらったら。
あ。郷のほうの座標教えてもらったら、ボクがやってもいいですけど。」
「じゃあ、お願いしましょうかね。
わたし、今日中にあと十は仕込みたくて。
郷と念話するのも、今は、妖力が惜しいんですよ。」
「え?郷との連絡は、始祖様にやっていただかないと。
ボクがいきなり、こんにちは、って現れても、怪しまれるだけでしょ?
それに、ボク、ほら、蠱毒とか、いろいろ、やっちゃってますから・・・」
「ああ、じゃあ、楓さん・・・は、念話はできませんでしたね・・・」
「始祖様から念話一本、入れといていただけたら。
あとはなんとかしますよ。」
なんだか相談がまとまったらしい。
ヤタロはあたしを連れて一階に降りると、甕を見渡してにやりと笑った。
「とりあえず、これ、先に送り込んでおくとするか。
君は?どうする?
今すぐ行って構わなければ、ボクと一緒に転移するけど。」
「あ。
っと・・・」
あたしは階段の下から、二階の花守様を覗いた。
花守様は誰かと念話中なのか、しきりに話す声が聞こえている。
今、話しかけたら邪魔になりそうだ。
ヤタロの家の位置は知っているし、走って行けるところだけど。
今は、都は、どこもかしこも瘴気だらけだ。
あたしが移動しようと思ったら、花守様にまたあの移動式結界を作ってもらうしかない。
だけど、念話の妖力も惜しいってときに、そんなことを花守様には頼めなかった。
「ヤタロにお願いしても、いいかな?」
そのほうがいいような気がした。
「心配しなくても始祖様もすぐに来られるさ。」
ヤタロはあっさり頷いた。




