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花恋物語  作者: 村野夜市
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藤右衛門の家には狐道を使って帰った。

というか、あたし以外は全員、瘴気というのが見えるらしくて、普通に往来を歩いて移動する。

あたしだけ、ひどく足手まといになっている気がした。


花守様にそう言うと、花守様は、ふぅ、と首を傾げた。


「なにもわざわざ危ないことを、あなたがなさることもないのでは?」


ええ、まあ、役にも立たないくせに、余計な首を突っ込んで邪魔するなってのは、分かってます。


「なんてね?

 困っているヒトがいるのに知らない顔なんてできない。

 それは、あなたのいいところですものね。」


いいところ、なのかな。

複雑な気がして見上げると、花守様は、そんなあたしの頭を、よしよし、と撫でてくれた。


「わたしに、なにかお役に立てることがないか、少し考えてみましょう。」


その夜は、花守様は藤右衛門の家の一階、あたしは二階の部屋で寝た。

藤右衛門は夜通し帰ってこなかったみたいだ。

朝になって帰ってきたようだけど、部屋を締め切ったきり、昼過ぎになっても出てこない。

せっかく、朝餉に木の実のお粥を炊いたのに。


夜更かし朝寝坊だ、ってのは、前から聞いていたから、もう放っておこうと思った。

けど、昼過ぎになって、流石にこのままずっと家のなかにいるのもなあ、と思い始めた。


「少し、街を歩いてみましょうか。」


そわそわするあたしを見て、花守様はにっこりと言った。


「街を、歩く?」


でも、街には瘴気がいっぱいで、あたしにはそれが見えない。

花守様は祓ってくれるけど、大路なんかは花守様にも祓いきれないくらいの瘴気だと言う。


「ああ、近所をぐるっと一周、って感じですか?」


それなら大丈夫かもしれない。

昨日もお団子を買い食いしたりしたし。

このまま家の中にずっといるよりは、お団子の買い食いでも、ずいぶん気晴らしにはなりそうだ。


けれど、花守様は、にこにこと首を横に振った。


「いえいえ。

 せっかくですから、今日は大路に出てみませんか?」


「え?大路に?

 でも、大路には・・・」


「あ、っと・・・それはね?」


花守様はにこにこと何やら薄い布と大きな傘を取り出した。


「虫の垂れ衣、というものをご存知ですか?」


「むしのたれぎぬ?」


「こうして傘にね、こう、覆いをするように・・・」


花守様は傘の周囲にぐるっと布を取り付けてみせた。

それをあたしの頭に被せる。


「高貴な婦人が外出なさるときのお姿ですよ。

 あなたにぴったりでしょう?」


え?こうき?

ぴったりかどうかはともかく、布は薄くてむこうも透けて見える。

少しばかり窮屈な気もしないでもないけど、これで外に出られるなら、十分に思えた。


「この傘の内側に、強めの結界を張れば、移動式の結界の完成です。

 ただ、問題は、術者であるわたしも、その傘の内にいないといけないのですよね・・・」


傘は大き目とはいえ、流石に、このなかにふたりは窮屈そうだ。

それはちょっと無理かな、と言いそうになったあたしに、花守様は先に言った。


「なので、わたしが変化しますから、楓さん、わたしを持って行っていただけますか?」


「へん、げ?」


首を傾げたあたしの目の前で、はい、と花守様は頷いて、直後に、ことん、と一本の杖になった。


――虫の垂れ衣姿のご婦人となれば、手には杖を持つもの。

   なので、わたしは杖になります。

   その杖を、ついていただけますか?


ほう。なるほど。


杖になった花守様は、念話で話しかけてくれる。

あたしは念話ができないから、ひとりでぶつぶつ言ってるヒトみたいになるけど。

まあ、それほど不自由はないかな。


あたしは杖になった花守様を拾い上げた。

これなら同時に傘のなかにいられるし、見た目も少しも変じゃない。


花守様の杖は、どこか山吹の枝に似ていて、すんなりと細くしなやかで、とても軽かった。

杖の持ち手には、魔除けの効果のある鮮やかな赤い紐がつけられている。

こしがあるのにやわらかくて、手首に巻いてもこすれて痛くなったりしなさそうだ。

あたしはその紐を、しっかりと自分の手首に巻きつけた。


――ああっ、そんなにしっかり・・・

   あ、いえ、なんでもありません。


杖はなにか言いかけたけど、慌てたように打ち消した。


――これなら、結界であなたのことを護っていられますし。

   わたしも常にご一緒できます。

   やはり、調査は市井の人々の声を聴くのが大切ですから。


「分かりました。

 じゃあ、このまま大路へ行きましょう。」


そうしてあたしは、花守様と大路へと出かけることにした。


傘のなかの小さな空間は、外とは違う空気に満たされている。

家の外に出た途端、すぐにそれを実感した。

これが、結界というやつだろうか。

傘の内は、ありとあらゆるものが浄化され、清浄なものだけに満たされた空間だ。


それに比べると、傘の外の世界は、ひどく空気が濁っている気がする。

瘴気、というものは見えないんだけど、こんなふうに空気が濁るのは瘴気のせいなんだろう。


最初は恐る恐る、そのうちに慣れてきて、すたすたと歩きだす。

昨日のお団子屋さんに差し掛かった辺りで、杖が悲痛な叫び声をあげるのが聞こえた。


――なんということでしょう!

   このわたしとしたことが。

   この姿では、お団子を買い食いできません!


あ。

まあね?


「帰りに買って帰りましょう。」


――・・・そうですね。

   道を歩きながら頬張る、という楽しみは半減いたしますが・・・

   食べるのを諦めるなんてできませんとも!


ため息の後、なにやら、決意したように、杖がぶるっと震えた。


それにしても、このヒトが、何も食べられなくなって危篤にまでなったなんて嘘みたいだ。

すごく立派な食い意地をお持ちですよね?


――それに、家ならお茶も淹れていただけますしね。

   それはそれで、楽しみですね。


むふふ、と杖が笑うのが聞こえた。


昨日、引き返した辺りから、大路に入った。

周囲の様子は、前に来たときと、そう変わらない気もする。

けど、やっぱり緊張しているのか、掌に汗がじっとりと噴き出してきた。


「すいません、花守様。

 手に汗、かいちゃって。」


――ああ、構いませんとも。お気になさらず。

   これも役得、ですから。


役得?

なんかいろいろ言いたくなったけど、とりあえず、自分のために黙っておこう。

手が滑って杖を取り落とさないように、あたしはもう一度、ぎゅっと握り直した。


――ああっ!そんな強くしては!

   息、は止まりませんけど。杖ですから。


杖はまた妙な声を上げた。


露店を眺めるフリをしながら、ゆっくりと大路を歩く。

青菜に果実。魚や鳥の肉を売る店もある。

煮売り屋に、煎餅を焼く店。水や飴を売る店。

日常の道具を商う店や、布地を扱う店もあった。

きらきらしく並べられた商品を眺めながら、あたしはふいに気付いた。

店番をする商人や、訪れる客のなかに、ときどき、ひどい咳をしている者がある。

なかには、苦しそうに背中を丸めながらも、店を離れらない店主もいた。


「やはり、病は流行っているようですね。」


こんなに大勢の人間の往来があれば、病も蔓延するだろう。

そう思った途端、あたしの目には、具合の悪そうな人間ばかり見えるようになってきた。


そこにも。ここにも。

咳をしてうずくまる人間がいる。

年齢もばらばら。性別もばらばら。

ついでに言えば、裕福そうな人間も。そうでない人間も。

病は、分け隔てなく、どんな人間にも襲い掛かるようだった。


やつらだ。

やつらが、都にこの病を持ち込んだんだ。


いったいなんの恨みがあって。

それはつい先ごろまで、戦をしていた相手だもの。


ひそひそと囁く人々の噂話も聞こえてきた。


「病は誰かが故意に拡げたと思われているようですね?」


――つい先ごろまで戦をしていた相手、というのが気になります。

   それって・・・


海人族?

昨夜の話を思い出す。

けど、海人族はなんだってそんなことをしたんだろう?

というか、本当にこの病は海人族のせいなんだろうか?


そのときだった。


お助けください!

どうか、お助けください!


突然、そんな声が耳に飛び込んできて、あたしはぎょっとした。

きょろきょろと声の主を探す。


――左です。左のあの路地を少し入ったところ。


花守様に言われて、そっちへ走った。


そこにいたのは男と女の人間。

女の人間は、小さな赤ん坊を抱えていた。


女は男の腕を掴み、必死になにか、懇願している。

男は恰幅も身形もよく、足元には立派な行李がひとつ置いてあった。


女の抱いた赤ん坊は、この騒ぎのなかなのに、泣き声ひとつあげていない。

あたしは駆け寄ると、女の腕から赤ん坊を奪い取った。


「あ・・・」


あたしのしたことに驚いた女は、とっさに反応できなかったように、ぼんやりとあたしを見た。

女も赤ん坊もひどく痩せ細って、衣もぼろぼろだ。

何日もからだを洗っていないのか、すえたような匂いがしていた。


あたしは女に構わず赤ん坊の胸に耳を当てた。

よかった。辛うじて息をしている。

けれどそれは、ヒューヒューと苦しそうで、赤ん坊はぐったりしていた。


女の注意があたしにむいたのに気付いた男は、慌てて行李を掴むと、走って逃げようとした。

その男の背に女が叫ぶ。


「先生!どうかお願いです!この子に薬を!」


しかし男は振り返りもせず、一心不乱に逃げて行く。

女は精も根も尽き果てたように、その場に膝をついた。


「ちょっと貸してください。」


そう言ってあたしの腕から赤ん坊を奪ったのは花守様だった。

花守様は赤ん坊を優しく胸に抱きしめると、治癒術を使った。

からだの小さな赤ん坊の全身を包み込むように、花守様の治癒の力が降り注いだ。


「あ・・・あーあー!」


突然、声を上げて泣き始めた赤ん坊に、崩れ落ちていた女が、はっと顔を上げた。

それから弾かれたように立ち上がると、花守様の腕から赤ん坊を奪い取った。


「・・・泣いてる・・・

 もう、三日も、泣き声を上げなかったのに・・・」


赤ん坊の顔を覗き込みながら、女が呟いた。

その頬には、ぽろぽろと涙の雫が転がり落ちていた。


「これを。白湯に溶いて、飲ませてあげてください。」


あたしは懐に入れてあった丸薬の包みをいくつか女に差し出した。

女はそれを見て、けれど、怯えたように後退った。


「あ・・・あたしには・・・薬代は・・・」


「お代は結構ですよ。

 これは、あたしの作った薬ですから。」


あたしはもう一度薬を差し出した。

女は恐る恐る、それを受け取った。


それから、はらはらと涙を流し、あたしたちにむかって手を合わせた。


「有難うございます・・・

 有難うございます・・・」


何度も何度もそう繰り返す。

あたしたちは、ちらっと目だけで合図をすると、女に軽く会釈をして、その場を急いで立ち去った。


人目のないところで花守様はもう一度杖に変化した。

それから、深いため息を吐いた。


――これは・・・このままにはしておけませんね。


同感だった。




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