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花恋物語  作者: 村野夜市
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外には瘴気がいっぱいで、出歩くわけにもいかない。

だけど、藤右衛門の家にいたって、することもない。


「藤右衛門の治療も済んだし、ちゃんと顔も見たし。

 あたしたちはそろそろ帰りますか?」


そう提案したら、花守様は、はは、と苦笑した。


「明日の朝餉のご要望もいただきましたし。

 ここに滞在する許可もいただきました。

 藤殿は、おそらくしばらくの間、わたしたちはここにいるとお考えかと。」


まあ、それっぽかった、ですけど。

合わせる必要もないのでは?


「それに、藤殿の容体も気になります。

 施療院なら、二三日、療養していただきたいところですけれど。

 あまりに御多忙で、そうもいかないようですから。」


治療師の顔になって、花守様にそう言われると、説得力はある。


「自分ひとりのために、花守様、引き留めておくなんて、なんて贅沢!」


思わず言ったら、花守様は、あはは、と苦笑した。


「将来のお義父上ですから。そのくらいは。」


「あ。それですけど・・・」


あたしは途端にどきどきし始めた。


「一回目は単なる軽口と思って、聞き流そうと思ってたんですけど・・・」


あたしの言いかけたのを、にっこり微笑みで遮って、花守様は宣言した。


「軽口でこんなことは申しませんとも。」


「・・・あの、それって・・・その・・・」


「お義父上とのお約束ですから。

 百年は待ちます。

 けど、百年経ったら、わたしの妻になっていただけますか?」


うっとりするような山吹色の瞳に見詰められて、あたしは、ごくっと息を呑んだ。


「え?あ!ええっ?!」


なんでこういうときって、ちょうどいい言葉が出てこないんだろう。

花守様は、くすっと笑って、わたしの手をそっと取ると、それを自分の頬に押し当てた。


「もっとも、その間に、あなたのお気持ちが変われば、わたしは身を引きましょう。

 狐はやはり、狐と結ばれるのが幸せ。

 その思いは変わりません。

 そうして、わたしには、なにより、あなたの幸せが大切なのです。」


花守様の握っている手の甲が少し冷たい。

気が付くと、花守様の涙で濡れていた。


「すみません。

 そのときのことを想像しただけで、取り乱してしまいました。

 けれど、あなたのことが何より大切。

 その思いだけは、何があっても、変わりません。」


花守様は、慌てたように、あたしの手を自分の袖口で拭いた。

それから、今度は顔を上げて、あたしを見て、えへへっ、と笑った。


「けれど、なにより今、こうしてあなたに、素直に自分の思いを伝えられるなんて。

 こんな幸福は、少し前までは、想像もしていませんでした。

 わたしを幸せにしてくださって、有難うございます、楓さん。」


その笑顔に胸がいっぱいになる。


「・・・花守様のほうが、もっとあたしを幸せにしてくれてると思います。」


あたしはようやくそれだけ言えた。

すると花守様は、まあ、と目を丸くした。


「それはよかった。

 けれど、そのお言葉が、わたしをまた、さっきの百倍、幸せにしてくれました。

 だから、幸せにされ度は、わたしの勝ちです。」


なに、張り合ってるんですか。

それに、幸せにされ度、ってなに?


得意げに宣言する花守様に、ちょっと呆れた。


「花守様がそんな負けず嫌いだったとは。」


「ご存知なかったですか?

 わたしは元々、結構な負けず嫌いですよ?」


まあ、そりゃそうか。

苦難相手に諦めないのも、負けず嫌いでなけりゃ、できないよね。


「でも、あなたがお嫌いだとおっしゃるのなら、改めます。」


ちょっとしょんぼりして不安そうにこっちを見る。

あたしはそれに笑って首を振る。


「いいえ。花守様は花守様のままでいてください。

 あたしは、そんな花守様がまるごと、大好きですから。」


そう言ったら、ぱあっと微笑んだ。


「楓さん。

 わたしは今初めて、百年を長いと感じました。

 さっきのお約束を早速、後悔し始めています。」


「藤右衛門との約束なんか、別に、気にしなくていいと思いますけど。」


「いいえ。

 それはいけません。

 大切なあなたの大切な方なのですから。

 軽んじるわけにはまいりません。」


花守様はきっぱり言いながらも、手を伸ばして、またあたしの手を引き寄せた。


「今は、この甘やかな幸福感に、酔い痴れてまいりましょう。

 せっかくですから、幸せは全部、すみずみまで味わいたいと思います。

 つきあわせるあなたには、ご迷惑かもしれませんが。」


「迷惑じゃ、ない、です。」


百年という時間の長さは、今のあたしには想像もつかないけど。

花守様は、きっと百年間ずっと、こんなふうに幸せにしてくれる。


花守様は、こっちを見上げて、はあ、とため息を吐いた。


「わたしはもしかすると、もう、一生分の幸福を、使い果たしたかもしれません。」


「じゃあ、後は、あたしが分けてあげます。

 大丈夫。あたしが、もっともーっと、幸せにしてあげます。」


だって、あたし、今、幸せが、自分のなかから、際限なく湧いてくるのを感じるもの。

あの森の泉みたいに。


花守様は、あたしをじっと見詰めて、なにか小さく呟いた。

それが聞き取れなくて、え?なに?と聞き返す。

けれど、花守様はなにも答えずに、ただ、ゆっくりと、あたしの手の甲に口づけた。





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