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花守様は、山奥の森で普通の狐として生まれた。
そして妖狐になって、なんだかんだあって、施療院を作った。
そしたら忙しすぎて、郷にすら出られなくなってしまった。
そんな花守様にとって、都は、珍しいものだらけだろう。
近くの市にすら行ったことのないヒトに、はしゃぐな、と言うのもかわいそうかもしれない。
そんなことを考えていたら、いつの間にか大路の入口に着いていた。
先に着いた花守様は、そこに立ち尽くして、じっと大路の様子を見つめていた。
大路は相変わらず人間たちでごった返していた。
都も二度目のあたしは、まあ、こんなもんだろう、と思うけど。
青菜や塩漬けにした魚、日常のこまごました道具、小さな布切れ。
いろんなものを売る店が、ずらっと大路沿いに並んでいる。
店を訪れる客たちも、大勢、道を歩いていた。
お祭りみたいって花守様は言ったけど、さっきの道の人通りはそれほどでもない。
けど、大路は流石に川みたいに人間が流れていく。
これは、流石の花守様も気おくれしたかな。
そう思って、花守様の手を取って、行こうとしたときだった。
「いけません。楓さん。
ここの瘴気は、ちょっと簡単には祓えない。」
見開いた山吹色の瞳には、あたしに見えない何かが見えているようだった。
花守様は逆にあたしの手を引っ張った。
「ここに長居してはいけない。
戻りましょう。」
え?瘴気?
え?なに?
あたしは混乱しながら、花守様に引っ張られるまま連れていかれた。
花守様はときどきあちこちに指をむけている。
あれって、指さしていたんじゃなくて、瘴気を祓っていたのか。
子どもみたいとか思ってごめんなさい。
「せっかくの都見物でしたが。
またのお楽しみ、ということにいたしましょう。」
少し行ったところで、花守様はあたしを振り返って、にこっと言った。
「それに、さっきのお団子は美味しかったですねえ。
あの辺りなら瘴気もそれほどでもありませんから、また行きましょうか。」
あたしが頷くと、花守様も嬉しそうに頷いた。
あたしたちは、仕方なく、藤右衛門の家に引き返すことにした。
けど、玄関の引き戸を開けた途端、びっくりした。
そこに倒れこむようにして、藤右衛門がいた。
「っと、藤右衛門?父さん!」
あたしの声を聞いた藤右衛門は、起き上がろうとして、げふげふとひどく咳き込んだ。
駆け寄ろうとしたあたしを、花守様は、さっと腕で遮った。
「ここは、わたしに任せてください。」
「あ。・・・はい。」
「あなたはここにいて?
藤殿には近づかないで。」
そうきっぱりと言い渡され、あたしはそこに立っているしかできなかった。
「あの。よろしくお願いします。」
せめて頭を下げたら、花守様は振り返ってちらっと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。」
患者さんたちや、付き添いのヒトたちの不安そうな顔は、何度も見てきた。
辛そうだといつも思ってた。
けど、こんな気持ちだったのかと、今ようやく、分かった気がした。
花守様の笑顔を、こんなに頼もしいと思ったのも、初めてだった。
花守様は、藤右衛門の傍らに膝をつくと、そのからだに手をかざして、なにか探っているようだった。
ときどき、ふっ、という気合と共に、手でなにかを握りつぶすような仕草をしている。
頭のてっぺんから爪先まで、二往復したところで、ふぅ、と息を吐いてこっちを見た。
「もう大丈夫。
楓さん、丸薬はありますか?」
「あ。ああ!はいはい。」
あたしは慌てて持ってきた薬を渡す。
「皿と、あと、椀に水を一杯、あると助かるんですが?」
「あ。はい。」
あたしは急いで奥の厨に行くと、言われたものを用意して戻ってきた。
花守様は皿の上で丁寧に丸薬をすり潰すと、椀の水に丁寧に溶かした。
その水に小さな声で呪を唱えると、水は淡く光りだした。
「うふ。
ちょっと強めにしておきました。」
なんだか嬉しそうに微笑むと、藤右衛門のからだを起こして、その口元に椀をあてがった。
「藤殿。分かりますか。
この薬を、ゆっくりと飲んでください。」
目を閉じたままだったけれど、藤右衛門はかすかに頷いた。
それから、花守様に言われた通り、ゆっくりと薬液を飲み干した。
「さあ。もうこれで大丈夫。
あとは、少し眠って、からだを休めるだけ。」
花守様はよっこいしょ、と言って、藤右衛門のからだを抱え上げた。
「え?
あ、それは、あたしがやります。」
小柄で華奢な花守様が、やたらと背の高い藤右衛門を抱えているのは、実に妙な構図だった。
急いで代わろうとしたけど、ああ、いえいえ、大丈夫、と断られた。
「術、使ってますから。
重さは感じません。
荷物じゃないので、手を沿えているだけです。」
しかし、階段は狭くて、やたらと長い藤右衛門が、つっかえて上れなかった。
「すみません、楓さん。
寝間はどうやら上のようですから、夜具を一式、持ってきてもらえますか?」
「あ!はいはい。」
あたしは急いで、ぎしぎし言う階段を駆け上った。




