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スギナがその報せを持ってきたのは、冬の木枯らしが吹き始めるころだった。
藤右衛門が、ひどい風邪をひいて、寝込んでしまったらしい。
あたしに見舞いに来て、薬を調合してほしいと言われた。
「とかなんとか言って、また、顔、見たかっただけ、とか言うんじゃないの?」
疑いの眼差しで見るあたしに、スギナは、いやあ、と首を捻った。
「今、都で流行っている風邪は、ちょっと厄介みたいでさ。
狐の郷にはまだ来ていないようだけど、そのうちこっちにも来るかもしれない。
なら、今のうちに、様子見ておいたほうが、施療院にとってもいいんじゃないの?」
「なら、柊さんが行った方がいいんじゃない?」
「今の柊さんに、そんな余裕、ないだろ?」
それは間違いない。
「他にも治療師さんはいっぱいいるけど・・・」
「まあさ、そこはさ、お前に会いたい、ってのもあるんだろうよ。
夏祭りのときは、お前のこと目の前でさらわれて、その後もなんだかんだ、会えてないんだろ?」
あのとき、大王の館を解放されたあたしは、花守様が危篤だと聞いて、すぐに郷に帰った。
藤右衛門とは、長生族の封印のときに、ちらっと会ったけど、ゆっくり話す暇はなかった。
「・・・確かに。」
淋しい、とか思う暇もなかったけど。
ろくろく話しもしてないのも確かだ。
「藤右衛門様は今、ものすごくお忙しくて、こちらへは戻ってこられないんだ。
それなのにお風邪を召されて、ちょっと弱気になっておられてさ。
少し、励ましてやってもらえないか?」
弱気に?あの、藤右衛門、が?
いろいろと胡散臭いと思わないでもなかったけど、それでも一応は親子だし。
試しに花守様に言ってみたら、それなら、わたしも一緒に行きます、と言い出した。
「ええっ?
・・・でも、花守様、病は・・・?」
「あなたのおかげで、もうすっかりよくなりました。」
「なら、施療院のお役目を・・・」
「そっちは、柊殿と蕗殿にお任せすれば、いいようにしてくださいましょう。」
まあ、ここのところ、ずっとそれで回ってたしね。
「お役目と言うなら、楓さんは、わたしのお世話係ではありませんか。
わたしが一緒にいないと、楓さんのお役目が果たせないのではありませんか?」
い、いやいやいや。
お世話されるためにお世話係についてくるってのも、なんか変じゃないですか?
責めるようにこっちを見ている花守様に、反論しようとしたら、先を越された。
「それに、流行り病の調査であれば、わたしがご一緒すれば、お役に立つこともあるのでは?」
う。
まともな正論で来られると、反論し辛い。
確かに、花守様は、郷で一番の治療師だ。
最近ちょっと休んではいたけど、腕は鈍ったりしていないと思う。
「だけど、病み上がりの花守様を流行り病のなかに連れて行くのは・・・」
「お忘れですか?わたしは木の精霊。
人間や狐に憑りつく病は、わたしには憑りつけないのですよ。」
そうだった。
危篤、にまで陥っていた花守様だけど、あれって、結局、ご飯を食べてなかったからなんだよね。
なにか病に罹っていたわけじゃないんだ。
「・・・それに、あなたをまたおひとりで、都へなど、行かせられません。」
花守様はきっぱりと首を振った。
「また、わたしを護るため、とか、誰かを助けるため、とか・・・
そういうこと言って、危ないところへ飛び込んで行くでしょう?」
う。
それを言われると、ちょっと痛い。
山吹色の瞳で、花守様はあたしの目をじっと見詰めた。
「あなたのお志が尊いことは、よくよく承知しております。
けれど、わたしはもう、ここでただ指を咥えて待っているのは、嫌なのです。
あなたの高いお志は、わたしも共に、叶えましょう。」
あ、ははははは・・・
花守様は、最近、やけに、きっぱりと、嫌だ、を言うようになった。
花守様はおもむろに手押し車から降りると、地面に立ってみせた。
それから、すたすたとそこらを歩き回った。
「ほらね、もう、この通り。」
こっちをくるっと振り返り、にこっとする。
「ちゃんと治っているでしょう?」
「けど、手は?力、入らないんじゃ・・・」
そう尋ねると、花守様は、ちょっと、しまった、って顔をした。
「ああ!それは・・・
大丈夫。足さえ無事なら、行けますとも。」
にこにこにこ。
「いや、そんなことないでしょ。」
思わずそう言ったけど、そのしっかりした足取りを見て尋ねた。
「もしかして、手ももう、使えるんですか?」
目を細めて睨むと、花守様は、むぅ、と口を尖らせて、そっぽをむいてぼそぼそ言った。
「っ・・・使え、ますよ?
ええ、でも、お箸とか、お匙とかは、使い方が難しくて・・・」
んなこたぁ、ないでしょうよ。
呆れた目を向けたら、お祈りのように両手を合わせてこっちを見た。
「・・・ふぅふぅ、あーんは、わたしの生命線なのです。」
「なんですか、それ。」
「生命線とは、それなくては、生きてはいけないもののことです。」
いや、言葉の意味じゃなくて。
「それって、そんなに重要なことですか?」
生きていけない、くらい?
そしたら花守様は、うむぅ、と力を込めて頷いた。
「木の精霊とはそういうものです。」
嘘をつけ、嘘を。
また、適当なこと言って。
白い目で睨んだら、ぅぅ、と今度は涙ぐんだ。
「ごめんなさい、楓さん・・・こんなわたしのこと、もう、面倒臭いですよね?」
・・・ちょっとね。
けどさ。
惚れた弱み。
面倒くさくても、見捨てられないのさ。
「分かりました。
じゃあ、藤右衛門のところには、一緒に行きましょう。」
花守様が笑う。
花が綻ぶように、にっこりと。
この笑顔にはどうしたって勝てないんだから、仕方ないよね。




