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その夜。
すぅすぅと穏やかに聞こえる花守様の寝息を聞きながら。
あたしは泣けて泣けて仕方なかった。
息をしていてくれるだけで、こんなに嬉しい。
なにもしてくれなくて、いい。
ただ、いてくれるだけでいい。
泣き声を漏らすまいと必死に堪えながら、あたしは自分に誓う。
なんとしても、この命だけは、護らないと。
そのためにも、山吹の木の精霊のことを、花守様に尋ねなきゃ。
しかしなあ、なにかいい言い訳はないものか。
方便・・・方便、ねえ?
そういうのって、なんか、苦手なんだよねえ・・・
藤右衛門に相談してみようか。
あのヒト、策とか得意そうだし。
けどなあ、そもそも、なんて言って相談するか・・・
それこそ、方便・・・
方便、方便、と考え続けるけれど、なかなかいいことを思い付かない。
そのうちに、いつの間にか、眠りに就いていた。
朝。
いつものように日の出前の時刻に目覚めた。
ひとりでも行くかな、と起きたら、花守様は、むっくりと夜具の上にからだを起こしていた。
「朝の散歩。
今は、難しいでしょうかねぇ・・・」
なんだかあまりにしょんぼりして見えるその背中に、あたしは、いいえ、と首を振っていた。
「大丈夫。
連れて行ってあげます。」
あたしはつかつかと歩み寄って、夜具ごと花守様のからだを抱き上げた。
花守様のからだは、軽く小さくて、夜具のなかには、何も入っていないみたいだった。
「・・・ええ・・・それは、ちょっと・・・」
花守様は抵抗したそうだったけど、その抵抗する力もなかった。
「申し訳ありません。
それでは、お願いしてもよろしいですか?」
控え目に頼む花守様に、あたしは、はい、と大きく頷く。
目を合わせて笑ったら、花守様も、ほろほろと花が零れるように微笑んだ。
なんて綺麗に笑うんだろう、花守様は。
この笑顔を守りたいって、思うのは当然だよね。
笑みが零れる。零れて落ちる。
けれどもそれは、零れても零れても、失くなりはしない。
あの山吹の花のように。
そうして、皆の心を癒す。
淡い光を灯してくれる。
この大切な笑みを。花守様の笑顔を。
失わせたりするもんか。絶対に。
花守様を揺らさないように、あたしは、ゆっくりと飛行術を使った。
転移したほうが負担はかけないかもしれないけど。
あたしにはできないし。
それに、なんだかこうやって、ふたりしてゆっくり行きたい気分だった。
「飛行術が、ずいぶんお上手になりましたね?」
風にさらさらと髪をなぶられながら、花守様は微笑んでいた。
まるでどこかのお姫様みたいだ。
花守様に褒められて、あたしは嬉しかった。
「花守様のおかげです。」
初めて飛行術を習ったときの、あの特訓には驚きましたけどね。
「花守様、容赦なかったですよね。」
まあ、それでも、肝心なところは、ちゃんと助けてくれたっけ。
ふふふ、と花守様は笑う。
その笑顔が儚くて、あたしはまた、泣いてしまいそうになる。
「あなたは、本当に、いつも、可愛らしくて、愛しくて・・・
わたしはあなたに、たくさんたくさん、幸せをいただきました。」
「過去形にしないでください。
幸せなら、これからも、たくさんあげます。」
意地になって言ったら、花守様は、悪戯っぽい目をして、ふふっと笑った。
「そんなことをおっしゃったら、わたしはもっと欲張りになります。
そうなったら、あなたはお困りでしょう?」
「困りませんよ?
いくらでも。
もういらない、お腹いっぱいって言ったって、押し付けてあげます。」
「それでは、わたしは、幸せに溺れてしまいますね。
今ももう、息もできないくらいに、幸せなのに。」
え?息、苦しい?
ちょっと心配になって顔を覗き込んだら、山吹色の瞳が、じっとあたしを見つめていた。
「今、この瞬間に、この心臓が止まったらいいのに。
そうすれば、わたしは、一番幸せなときに、旅立てるのに。」
花守様の瞳は、夢を見ているように、甘い色に染まるけど。
あたしはひとり、現実に返った。
「縁起でもないこと、言わないでください。
だいたい、今ここで、そんなことになったら、あたし、滅茶苦茶困ります。」
「それもそうですよね?」
花守様はまた、ふふっと笑った。
「ごめんなさい。自分のことしか考えていませんでした。
でもいつか・・・そのときになったら・・・こうして、あなたの腕のなかで逝きたい。
その願いを聞いていただけませんか?」
「あーまー、それも、当分先ですよね?
あたし、忘れっぽいんで。
きっと忘れますから、ずっと傍にいて、また言ってください。」
いやでも、こんなこと、何回も言われたら、あたしの気持ちがもたないな。
「いえ、やっぱり、いいです。
その願いは、聞けないから。」
「そうですか・・・それは、残念ですね・・・」
そんな悲しそうな顔、しないで?
花守様のお願いなら、きっと忘れないし、なんだって聞いてしまう。
だけど、聞きたくないお願いだって、やっぱりある。
山吹の花は秋だというのに満開で、ほろほろと花を降らせていた。
その後ろに上る朝日を、花守様と見るのは、久しぶりだった。
「この山吹の木には、精霊って、いないんですか?」
気付いたら、そのまま口走っていた。
あ。まあ、いいっか。
一晩考えたって思い付かないんだもん。
所詮、あたしには、方便なんて高等技術、ムリなのよ。
花守様は、口元に微笑みを湛えたまま、山吹色の瞳で、あたしの目をじっと見つめた。
「ここに、います。」
「は?」
なんのことか分からなかった。
「ここに、いますよ。」
「はい?え?どこ?」
きょろきょろと辺りを見回すと、腕のなかの花守様が、くすくす笑い出した。
「わたしがね、その、山吹の精霊なのです。」
「ええっ?!」
思わず花守様を取り落としそうになった。
慌てて、もっかい、ぎゅっと抱え直したけど。
「ええっ?ええっ?!ええっ!!」
あたしは、ええっ、以外のことを口に出せなくなっていた。




