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花恋物語  作者: 村野夜市
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何を思ったのか、花守様は、突然、立ち上がろうとした。

けれど、弱った足は、膝を立てることすらできないようだった。


「花守様?なにしてるんです?」


思わず尋ねたあたしに、花守様は、にこにこと返した。


「あなたがお戻りになるのですから。

 ここは、あなたにお返ししないと。」


い、いやいやいや。

とてもじゃないけど、外に出て行けるような状態じゃ、ないですよね?


立てないものだから、ずるずると這って出ようとする花守様を、あたしは慌てて押し戻した。


「あ、あたしは、外でいいですから。」


すると花守様はむっと口を引き結んで、きっぱり首を振った。


「いけません。

 あなたを外で寝かせるなど、できるものですか。」


いや、外、っつったって、施療院のなかだし。

患者さんも治療師さんも、みんな、そこで寝てますよね。

花守様だって、普段は適当にそこら辺で寝てますよね。


「患者でもないのに、妙齢のお嬢さんの寝姿など、ヒト目に晒せるわけありません。

 あなたは、大切にお預かりした娘さんなのですよ?」


・・・まあ、あたしの寝相は、ヒト様に晒してよいものじゃない、ってのは、ちょっと同意します。


「ああ・・・じゃあ、あたしも、ここで寝ます!

 それならいいでしょう?」


花守様なら、さんざん本性もバレてるし、今更、取り繕う必要もないし。


「い、いけません!

 いいわけないでしょう!」


花守様はさっきより焦った感じで言った。


「でも、それなら、花守様の看病だってできるし。

 ちょうどいいじゃないですか。」


「ちょうどいい、って・・・

 ・・・いいえ、駄目です。絶対に駄目です。」


花守様は頑なに首を振った。


「だいたい、看病なんて、必要ありません。

 わたしは病ではありませんから。

 自分のことくらい、自分でできますとも。」


いやいや。

とてもそんな状態には見えませんよ。

でも、世話されることを拒絶する患者さんってのは、案外よくいるもんだ。

そういうヒトに無理やりいろんなこと押し付けてもダメだってのは、よく分かってる。


「・・・スギナにね?

 花守様が、危篤だ、って聞いて・・・」


ちょっと俯いて、そう話し始めたら、花守様は、怒っていたのを忘れたように、え?とこっちを見た。


「あたし、心配で心配で。

 いてもたってもいられなくて。

 一刻も早く、花守様のところへ行きたくて。

 心臓が破れても、駆け通そうって、思ったんです。

 けど、本当に心臓が破れたら、花守様に会えない、って思って。

 だから、スギナに転移使ってもらって。

 けど、呪を唱えてる間も、もどかしくて。

 やっぱり、走ったらよかった、って。

 あたしの心臓くらい、破れてもよかった、って。」


途中から、気持ちが込み上げてきて、なんだかうまく言えなくなった。

そしたら花守様は、泣きそうな顔をして、あたしのほうへ手を伸ばしてくれた。

あたしは、素直にその腕のなかに飛び込んだ。


やっぱり、ここが、安心するんだ。

どこより、一番、ほっとするんだ。

それだけは、絶対、絶対、間違いない。


「せめて、しばらくの間だけでいいですから、傍にいさせてください。

 夜の間も、花守様の息が聞こえるところにいたいんです。

 そうでなければ、ずっとずっと心配で、眠れるはずもありません。」


あたしの肩の上で、花守様は、ふぅ、とため息を吐いた。


「あなたは、この世界の汚れたものなど何も知らない、清らかな方です。

 それは、よく分かっています。

 わたしのことを、そんなふうに純粋に心配してくださる、そのあなたのお心はとても尊いのです。

 けれどね?」


長く話すと息が切れるのかもしれない。

花守様は何度かぜぃぜぃと息をしてから、続きを言った。


「残念ながら、わたしは、あなたに思ってもらえるほど、清らかなものではないのです。

 無防備に眠るあなたを見て、よこしまな気持ちが、この胸に宿らない自信はありません。

 あなたは、覚えていらっしゃらないかもしれませんけれど。

 こう見えて、わたしも、一応、雄狐なのですよ。

 万に一つでも、わたしが妙な気を起こしたりしたら・・・」


「ああ、なあんだ。」


あたしが顔を上げると、花守様は慌てたようにちょっとからだを引いた。

予想したより近くにあった花守様の瞳を、あたしはじっと見つめた。


「そのときは、遠慮なく、返り討ちにします。」


花守様は、一瞬、目を丸くしてから、明るく笑い出した。


「違いありません。」


あっけらかんと笑う花守様を見ていて、ちょっと悔しくなる。

本当は、妙な気なんて、起こしてくれるもんなら、むしろ嬉しい。

だけど、そもそも、起こすつもりなんて、ありませんよね?


しばらく笑ってから、花守様はぜぇぜぇと少し苦しそうな息をして言った。


「あなたに、わたしが、勝てるはずも、ありませんでした。」


むぅ。

確かに、腕力じゃ、前から、負けなかったけど。

本気出したら、花守様のほうが、絶対強いですよね。

きっと、本気出さないだろうけど。


本気を出そう、って思ってもらえないんだよね・・・

本気を出しても、どうこうしたい、とは。

いいです。そんなこと、分かってます。


彼は、君の気持には応えないって、固く心を決めている。

絶対に駄目だ、って、自分の心を、強く戒めている。


ヒノエの言い残した言葉が甦る。

もし、ヒノエの言う通りなんだとしたら。

花守様は、あたしのこと、嫌いなんかじゃなくて。

いや、むしろ、好きだ、って思ってくれてるのに。

その気持ちは、押し殺すと決めているんだってことになる。


だけど、肝心なその理由のところが、聞けなかった。

どうやら、花守様の仔狐だったころのことに関係ありそうだったけど。


でもさ、それまさか、本人に確かめるわけにもいかないしさ。

だいたい、花守様って、本当はあたしのこと好きなんですか、なんて。

流石のあたしにも、言えませんよ。


まあ、いいや。

今はそんなことより、花守様の病を治すほうが大事。

とりあえず、今こうして傍にいて、看病することも受け容れてくれたんだから。

それでよしとしよう。





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