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朝餉の後は、治療師としてのお仕事をする花守様に、一日ついて回った。
まずは、療養中の患者さんたちを、ひとりひとり、訪ねてまわる。
具合の悪いところはないか、傷は順調に治っているか、丁寧に確かめていく。
治療は他の治療師さんたちもやっているんだけど。
患者さんは花守様が来ると、みんな嬉しそうにする。
治療師さんも、いろいろと花守様に尋ねたり、相談したりもする。
花守様は、患者さんにも、治療師さんにも、とても頼りにされているらしい。
患者さんたちは、ほとんどみんな、狐の姿に戻って、ふかふかの草の上で休んでいる。
傷ついたところに巻いた白い包帯は、かなり痛々しいけど。
でもみんな、どこかほっとしたような顔をしている。
ここに連れてこられるような患者さんは、皆自力では治せないくらいひどい怪我を負った狐たち。
傷を癒すには、それ相応の時間もかかるようだ。
ここに長くいる患者さんもいて、そういうヒトは、いろんなこと物知りで、話していると面白い。
治りかけの患者さんのなかには、人間の姿に変化して、そこらを歩き回っているヒトもいる。
そういうヒトたちは、治療師さんたちのお手伝いなんかも買って出ている。
ここの治療師さんは、元患者、なヒトが多いそうだけど。
あんなふうにして、だんだん、治療師になっていったのかな。
昨日、目を治療した狐のところにも行った。
あのときには気づかなかったけど、まだ若い、あたしとそんなに変わらないくらいの年だった。
もしかしたら、まだ一人前じゃない、見習いなのかも。
目のところにぐるぐる巻いた包帯が痛々しい。
傷が酷いので、痛みを感じさせないように、ずっと術で眠らせているらしい。
あたしは、何の役にも立てなかった昨日のお詫びも込めて、そっと、その背中を手で撫でた。
「大丈夫。彼の目はちゃんと治りますよ。」
傷の具合を確かめていた花守様は、にこにことそう言った。
「治るんですか?」
あんなに酷い状態だったのに?
聞き返したあたしに、花守様は、はい、と力強く頷いた。
「毒にやられた部分は取らざるを得ませんでしたが、無事な部分もちゃんとありましたからね。
あとは、とっておきの秘薬と、癒しの術をかけ続ければ、大丈夫、元通りになります。」
「よかった。」
本当にそう思った。心の底から思った。
花守様も、嬉しそうに微笑んだ。
「花守様。」
ふいに後ろから低い声がして、振り返ると、昨日のあの怖い治療師さんが立っていた。
確か、柊さん、とかいったっけ。
あたしはまた何か叱られるのかと、思わず首を竦めた。
「ああ、彼は、柊殿が診てくださってるんですね。」
あたしの隣で花守様が言った。
柊さんは、あたしのことは視界に入らないかのように、花守様と話し始めた。
「彼の容態は安定しています。
数日はまだこのまま眠らせておこうかと。」
「あなたに診ていていただけるなら、とても安心です。
いい夢を、見せてあげているのですか?」
「患者にはなるべく辛い思いはさせたくありませんから。」
「柊殿の幻術はとても心地よいと聞きますから。
一度、どんなものか見てみたい気もしますね。」
「いつでもかけて差し上げますよ。
花守様は、もう少し、お休みになったほうがいい。」
冗談か本気か、柊さんは右手を差し上げてわぎわぎと動かした。
花守様は、ははは、と、へへへ、の中間くらいで笑いながら、じりじりと後退った。
「それは、あと一年はとっておいてください。
今のわたしは、幻術より現実のほうが、ずっと回復しますから。」
柊さんは、あたしをちらっと見下ろすと、ふん、と鼻を鳴らした。
「その仔狐に、いったいなんの能力があるのかは知りませんが。」
そこでもういっぺんあたしを見る。
その目は凍り付きそうに冷たかった。
「おい、世話係とやら。
お前様の働きにはこれっぽっちも期待などしていないが。
花守様に余計なご負担を増やすようなことだけは、しないように。
もし、花守様にとって、お前様が害悪にしかならないときには。
わたしは、誰が何と言おうと、お前様を、元居たところへ送り返す。
分かったか。」
「は、はい。」
あたしは思わず背筋を伸ばして返事していた。
柊さんはまだ何か言いたそうだったけれど、花守様のほうをちらっと見て、そのまま口を噤んだ。
花守様は苦笑いを浮かべて、あたしの袖をそっと引っ張った。
「さて、ここは柊殿がいれば安心だ。
わたしはそろそろお次の方のところへ行かせていただきますよ。」
「心配な患者には、それぞれ世話をする治療師がついているはずです。
花守様は、ただでさえお疲れなのだから。
療養中の患者の世話は他の治療師に任せて、少しお休みになっては如何です?」
柊さんは渋い顔をして唸るように言った。
「なんなら、そこの世話係とやらと、縁側で茶でもすすっておられるといい。」
「縁側でお茶をすするのは、もう少し年をとってからにしますよ。」
花守様は軽く首を竦めて返した。
「まだ、そこまでの年ではありませんからね?」
「郷の始祖様がそれをおっしゃいますか。
だったら、この郷には、縁側で茶をすする年寄りはひとりもいてはいけないことになります。」
確かにそれはその通りだ。
けど、先生も、よくお天気のいい日には、縁側でお茶を飲んでたなあ。
そういえば、花守様は、先生を、仔狐、とか言ってたっけ。
本当、いったいいくつなんだろう、花守様って。
花守様は軽く肩を竦めただけで、あたしを引っ張ってそこから離れた。
少し歩いたところで、ひそひそと耳打ちをする。
「柊殿って、ちょっと怖いですよね?」
え?まさか、花守様も?
あたしは驚いて花守様を見ると、花守様は、うんうんと深く頷いて見せた。
「悪いヒトじゃないんですよ?
柊殿の幻術は、それはそれはいい夢を見せてもらえると評判も高いですし。
柊殿に診てもらえれば、辛い療養も楽に過ごせると、患者さんたちもおっしゃいます。
けどねえ、どうしてでしょう・・・
あの目に睨まれると、怖い、って思ってしまうんですよねえ?」
「誰が怖いって?」
十分に距離もあったし、声もひそめていたはずなのに、突然、むこうで、柊さんがそう言った。
花守様もあたしも、びくっとなって、恐る恐る振り返った。
柊さんは、両手を腰に当てて仁王立ちになって、こっちを睨みつけていた。
「うへえ。」
花守様とあたしは、同時に同じことを言うと、またまったく同時にくるっ、と振り向いた。
そのまま全速力で走り出す。
気が付くと、ふたりとも、何がおかしいのかよく分からないのに、けらけらと笑い出していた。
郷の始祖様なんだけど。
うんとお年寄りのはずなんだけど。
こんなふうに笑う花守様を、あたしはとてもそうは思えなかった。




