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花恋物語  作者: 村野夜市
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晴れて堂々と、王の館から出て行きながら、あたしはスギナに言った。


「あの王様、あれで幸せになるかなあ?」


さあね、と淡々とスギナは返した。


「王の幸せは王自身が決めるこった。

 俺たちにゃ、関係ねえ。」


まあ、それはそうなんだけどさ。

自分が関わったヒトには、なんとなく、幸せになってほしいって、思うもんでしょうが。


「そんなことより。」


こっちを振り返ったスギナは、滅多に見せないような辛そうな顔をしていた。


「お前に言っておかなくちゃいけないことがある。

 いいか、落ち着いて聞けよ?」


ただならないその雰囲気に、一気に緊張する。

からだを強張らせて見つめるあたしに、スギナは思い切ったように言った。


「花守様が、危篤なんだ。」


その瞬間、声も出なかった。

ただ、自分の心臓の音が、やけに大きく、自分のなかにこだましていた。


「会いに行くか?」


当たり前じゃない、の言葉すら出せなかった。

ただ、あたしは、こくこくと何度も頷いてみせた。


スギナはそんなあたしから、目を逸らせて言った。


「花守様は、お前には報せるなと言うんだ。

 けど、俺は、報せたほうがいいと思った。

 これは、俺の独断だ。

 だから、会いに行っても、その・・・」


「かまわない。行く。」


花守様に拒絶されても。

たとえ、炎で押し返されても。

あたしは、それを突き破ってでも、行く。


スギナも、もうそれ以上は余計なことは言わなかった。


「転移する。

 俺につかまれ。」


あたしは素直に言うことに従った。


スギナは転移の呪を唱え始める。

この呪の間に駆けて行けば、そのほうが早い気がするけど。

思いは千里を駆けるって、よく言うじゃない。

今のあたしなら、万里くらい駆けられそうだし。

それでも、そうしなかったのは、着くまで自分の心臓がもつ自信がなかったからだった。


たとえ、この心臓が破れても、駆けて駆けて、駆け通したい。

そういって逸る心を必死に抑え込む。

この気持ちのままに駆けたら、本当に着く前に心臓が破れてしまう。

今も、辛くて苦しくて、息をするのも、ときどき忘れて、このまま倒れてしまいそうだから。


スギナは、ぎゅっとあたしを引き寄せる。

なるべく小さく集まったほうが転移の精度が上がるからだけど。

今は、それだけじゃなくて、あたしが倒れないように支えてくれたようにも感じた。


転移の術はいまだに苦手。

くらりと眩暈がして、果てしなく落ちていくような、上っていくような奇妙な感覚。

目、つぶってろ、とスギナが低く言うのが聞こえる。

有難く、そうさせてもらう。

肩に回されたスギナの手に、少しだけ、力の入ったのを感じた。


施療院の入口の小屋の真ん前に、スギナは見事に着地した。

すごい。

郷の結界も、森の結界も、すり抜けて、正確に転移するなんて、並大抵の技術じゃない。

だけど、あたしはスギナへのお礼もそこそこに、階段を駆け降りていた。


懐かしい、施療院の匂い。

どこででも寝てしまう花守様だけど。

どうしてか、そのときのあたしには、花守様の居場所が分かった。

気配の察知とか、そういう高度な術を使ったわけじゃないけど。

あたしは、まっしぐらにそこへむかって駆けた。


あたしの寝起きしていた小さな庵。

あたしがいた頃は、庵のなかには滅多に入らなかった花守様だけど。

今は、そこで静かにひとり、横になっていた。


「楓、さん?」


おとないもせず、いきなり、ばんっ、と戸を開くと、中から弱々しい声が聞こえた。

開いた戸から、籠ったような花の香が、ねっとりと漂い出してきた。


「うっわ。

 換気くらいしたらどうです?」


思わずあたしは中に駆け込むと、庵の周囲の蔀を開けて回った。

あたしがいたころは、毎日開けて空気を入れ替えていたんだけど。

もうずっと開けてなかったのか、金具がきしきしと軋んで嫌な音を立てた。


風と光の入り込んだ庵のなかで、花守様は、夜具の上に起き上がっていた。


「具合が悪い、って・・・」


枕元に駆け寄って尋ねると、花守様は、弱々しく微笑んだ。


「ああ・・・、いいえ?

 皆さん、大袈裟なんですよ。」


その声音はいつもの花守様と少しも変わらなくて、危篤というのは間違いなんじゃないかと思った。

思ったみたいな拒絶はされなくて、あたしはちょっとほっとした。


「お呼び立てしてしまって、申し訳ありませんね。

 わたしのことなら、心配いりませんから、どうか、あなたはあなたのなさるべきことを・・・」


そこまで言いかけて、けほ、けほ、と咳をする。

やっぱり、具合は悪そうだった。


「いいから、寝ててください。」


あたしは花守様を夜具に押し戻そうとして、はっとなった。

衣の下の花守様のからだは、びっくりするくらい痩せて、小さくなっていた。


「いいえ。

 もう少し、このままで。

 横になっては、あなたのお顔がよく見えません。」


花守様はそのあたしの手に逆らって、からだを起こした。

その細いからだは、うっかり力を込め過ぎたら、ぽきっと折ってしまいそうだった。


「・・・花守様?」


ただならぬ状況を感じて、あたしはその顔をじっと見つめた。

じわっ、と涙が浮かんできた。


「おやおや。

 わたしの可愛い見習いさんは、いったい、どうしたというのでしょう?」


花守様は、にこっとして、あたしの頭を撫でてくれた。


「お辛いこともおありでしょう。

 かわいそうに。

 いつでも、わたしはあなたを、この袖の下に護って差し上げたい。

 遠く離れていても、いつもそう、思っていますよ。」


「どこが悪いんですか?」


あたしは花守様の言葉を遮ってそう尋ねた。

花守様は、あたしの顔をじっと見つめてから、下をむいてゆっくりと首を振った。


「申し訳ありません。

 わたしにも、分からない、のです。」


「そんなバカな。」


花守様は郷一番の治療師だ。

花守様に分からないことなんか、あるはずがない。

花守様に分からなければ・・・誰にも、分からない・・・


「わたしも、万能では、ないのですよ。」


それは、知ってる。

だけど、今の花守様は、なんだか諦めているようだった。

どんなときも、患者さんを前にしたら、決して諦めない花守様なのに。

自分の病のことは、もう諦めてしまって、戦おうともしていないように見えた。


「なら、わたしがなんとかします。」


あたしは思わずそう言っていた。

花守様は驚いたように目を上げた。


「でも、あなたは、都で・・・」


「あれはもう、必要なくなりました。

 あたし、薬の代金に、大王に売っ払われたんです。」


あたしは冗談めかして肩を竦めてみせた。

いや、あれも全部、スギナはあたしを取り返すためにやってくれたんだろうって、分かってるけど。


花守様は、まあ、と目を丸くした。


「それはよほどの妙薬なのですか?

 それにしても、あなたを引き換えにするなんて・・・」


まあ、大王にとってはね。

何より大事なヒトのためなんだから、あっさりあたし、その場で解放されましたとも。


「愚か者の所業としか思えませんが。

 わたしにとっては、有難い、ことです。」


花守様はこっちをむいてにこっとした。


「なら、あなたはもう、何にも縛られてはいないのですね?

 おめでとうございます。」


「有難うございます。

 だから、あたし、ここに帰ってきて、花守様のこと、治します。」


あたし、治療師じゃないけど。

でも、ここには治療師は、いっぱいいるんだから。

力を合わせたら、きっと、大丈夫。なんとかなるはず。

いや、なんとかする。してみせる。

その気持ちだけは、あたし、みんなに分けても余るくらい持ってるから。


そもそも、花守様のいる郷を護るために、あたしはヒトジチなんてものになったんだし。

花守様が元気で幸せじゃなかったら、あたしのしたことも、なんの意味もない。


「・・・あ、っと・・・

 もしかして、あたし、ここに帰らせては、もらえませんか?」


あたしは、花守様を追い返したあのときのことを思い出して心配になった。

あんなふうに逆らって押し切ったあたしに、花守様は、もうここにいてほしくはないだろうか。


けれど、花守様は、まさかまさか、と首を振った。


「あなたはいつでも、ここに帰ってきていいんですよ。

 ここは、あなたの家なのですから。」


そう言ってもらえるのって、本当に有難い。

いろいろあって、あたしも心底そう思えるようになっていた。


「おかえりなさい、楓さん。」


「ただいまです!花守様!!」


あたしは嬉しくなって、思わず花守様に抱きついた。

花守様は、まあ、まあ、と言いながら、よしよしとあたしの頭を撫でてくれた。


「久しぶりにお会いしたら、すっかり甘えん坊の仔狐さんに、戻ってしまったようですね?」


けど、あたしは、その、力の入らない花守様の手や、細くなった背中に、また涙が零れそうだった。


「・・・花守様・・・どこが悪いんです・・・?

 どうか、前みたいに、元気になってください、花守様・・・」


溢れる涙を誤魔化そうと、顔をぎゅっと花守様の胸に押し付けた。

けれど、その胸の薄さに、また涙が溢れてきた。


花守様は、力のない手で、ゆっくりゆっくりとあたしの髪を撫でながら、静かに言った。


「生き物は、いつか衰え、消え行くもの。

 それは、この世界の理です。

 わたしは、とても長く生きました。

 とても、とても、長く長く、生きました。」


だから、諦めろ、って言うの?

自然の摂理だから、仕方ないって言うの?


あたしは絶対に諦めない。

花守様だって、諦めなかったじゃないか。

そうして結局、虫憑き全員、救ったじゃないか。


「最近友だちになったやつは、もう三千年生きてるそうです。

 そいつの一族って、一万年にひとり生まれるんだけど、全部で十三人いて。

 てことは、一番の長老は、最低でも、十三万三千年生きてるんですよね。

 それでも、ぴんぴん、元気ですよ?」


まあ、と花守様は素直に驚いた顔をした。


「だから、花守様なんて、まだまだ序の口です。」


あたしが言い切ったら、花守様は、あはは、と明るく笑った。






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