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花恋物語  作者: 村野夜市
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あたしはスギナと一緒に王の館に戻った。

けど、王の館にはヨトギちゃんがいる。

鉢合わせしないように、狐になろうか、ってスギナに言ったら、バカって言われた。

そりゃあ、あたしだって、狐姿をスギナなんかに見られたくないけどさ。

バカ、はないでしょ、バカ、は。


「大丈夫だ。

 大王はもう、全部知っている。」


そっか。

それなら、とあたしは変化姿のまま行くことにした。


スギナは、大王の詔勅を持っていた。

それは、いついかなるときでも、大王への面会を許すというものだった。


だから、あたしたちは、館の正面から堂々と踏み込んだ。


スギナと一緒に館に現れたあたしに、衛士たちは驚いた顔をした。


「フウフウ様?

 大王様と共に、お部屋にお籠りだったのでは?」


慌てて駆け寄ってきた女官にそう尋ねられた。


「へえ。

 今日は大王様、部屋に籠り切りなんだ。」


思わずそう聞き返すと、不思議そうな顔をされた。


「昨日から続く、数々の怪異に、大王様の玉体に万が一のことがあってはならぬ、と。

 十重二十重に衛兵に護らせ、館の奥深くにお籠りに。」


まあ、毒騒ぎとか、化け狐とか、いろいろありましたものね?


しかし、今や、フウフウ様、は、大王の一番の寵姫だ。

いやそれって、本当は、ヨトギちゃんのことなんだけど。

あたしも、大王への面会を遮られることはなかった。


物々しい衛兵たちの警備を横に見ながら、あたしたちは王の館を案内されていった。

こんな奥の部屋へ通ったのは、あたしも初めてのことだった。


あたしたちが差し掛かると、引き戸の左右に控えた衛士が、さっと戸を開く。

そうして、あたしたちが通り過ぎると、また、さっと引き戸が閉じられる。

いくつもいくつもそんな引き戸を通り抜けて、その部屋にたどり着いた。


王の部屋は思ったよりも狭かった。

周囲の蔀を締め切っているからだろうか。

なんとなく薄暗い。

蔀の隙間から、ずらっと並ぶ衛兵の影が見えていた。


部屋のなかには、大王とヨトギちゃんとムイムイの他には誰もいなかった。


大王の姿を見たのは久しぶりだった。

相変わらず青白い顔をして、ぼんやりと座っている。

その膝には、人形のようなヨトギちゃんが大事そうに抱きかかえられていた。


大王の隣には、ひっそりと影のように、ムイムイが寄り添っていた。

部屋に入っていくと、ムイムイは、はっと顔を上げてあたしを見た。

けれど、前のように駆け寄ってはこなかった。


「・・・終わった、か・・・」


大王はあたしたちを見ると、一言、そう呟いた。


それから、大切そうに、ヨトギちゃんを抱きしめて、頬ずりをした。


ヨトギちゃんは、丸い目を見開いていたけれど、その目はもう、何も映していなかった。

大王は、一度だけ、小さく鼻をすすった。


「やはり、動かなく、なりましたか?」


大王の前に座ると、スギナは静かにそう尋ねた。

大王はそれに無言で頷いた。


「小弥太の力はもう及ばぬのであろう。

 こやつは、最後の最後まで、余のことばかり心配して、愛していると言い続けていた。」


大王は愛おしそうにヨトギちゃんをもう一度胸に抱きしめた。


「欲も得もなく、余を・・・わたしを愛してくれたのは、後にも先にも、この人形だけだ。」


人形、という大王の言葉が、ちくり、と胸に刺さった。


「あの・・・ごめんなさい。騙すようなこと、して・・・」


思わず謝ったら、大王は、かすかに微笑んだ。


「なに、構わぬ。

 そなたでは、あれほどの愛を、わたしに注いではくれなかったであろう?

 人形であっても、フウフウは、わたしを、心の奥底から、愛してくれた。」


そっか。

大王にとって、フウフウは、あたしじゃなくて、ヨトギちゃんなんだ。

同じ姿だけど、同じモノじゃない。

心の奥底から、大王も、フウフウのことを好きになれたんだな、って思った。


「わたしは、生まれて初めて、恋を知った。

 生まれて初めて、愛を、知った。

 生まれて初めて、この娘との間に子が欲しいと、本気でそう願った。」


大王は、ぽつぽつと語った。


「わたしが即位したときのことは、聞いたか?

 あれは、醜い争いだった。

 わたしは、先代の王の、母親違いの弟だ。

 しかし、わたしたちは親子ほども年も離れていたし、一度も会ったこともなかった。


 先々代の王は、征服した一族の女王や姫を、無理やり召し上げて妻にした。

 そうして子を産ませ、王家との間に、無理やりに絆を作ろうとした。

 しかし、そのやり方は、多くの者の恨みや憎しみを買った。

 妻子は多くいたが、その間にも、互いへの、妬みや憎しみが渦を巻いていた。

 大王の後継者争いは、血縁同士で命を奪い合う、壮絶なものになっていた。


 わたしは、父の最後の息子だった。

 生母は大王が遠征中に立ち寄った村に棲む、ただの娘だった。

 いわゆる、落とし胤というやつだ。

 元服の年まで、わたしは、自分の父親を知らなかった。

 わたしの家族は、母と、祖父母だけだった。


 けれど、そんなわたしの元へ、あるとき突然、迎えが来た。

 王の血を引く王子は、わたしの他にはもう、誰も残っておらぬ、と。

 毒や謀、それから流行病が、悉く、王子たちを滅ぼしてしまったのだと言われた。


 田舎で暮らしていたわたしは、そのときまで、跡目争いからは逃れていた。

 そして、都へと迎え入れられたとき、争う人々は、もう誰も残っていなかった。


 初めて都に来たわたしを、なにくれと世話してくれたのは大臣だった。

 親身になってくれる大臣を、わたしは、心から信頼した。


 わたしの元へは、続々と、有力者の娘たちが輿入れしてきた。

 美しい妻たちに、最初はわたしも舞い上がった。

 けれど、彼女たちがわたしにむける目は、どれも酷く冷たかった。

 成り上がり者、と陰口をきかれていることに、わたしはすぐに気がついた。

 妻の誰かが、王子を産めば、すぐにわたしは殺されるだろう。

 そんな噂も囁かれていた。

 わたしは、王の血筋を伝えるためだけに、ここに連れてこられたのだった。


 妻たちは誰もわたしを愛さない。

 けれど、毎夜、わたしの寵を求めた。

 美しく装い、優し気な言葉を並べて、わたしを誘惑しようとした。

 まるで嘘で飾った毒蛾のようだ。

 わたしは、妻たちから逃げるように、あちこちから、娘をかき集めた。

 王の血筋は、その娘たちに残せばよいと思った。

 けれど、その娘たちも、いつの間にか、有力者たちに取り込まれていた。

 それに気付いたとき、今度こそ、わたしは絶望した。


 そんなときだ。

 狐、お前のことを聞いたのは。

 わたしは、これだ、と思った。

 お前との間に子を成せばよい。

 妖狐を取り込める人間など、どこにもいるまい。

 

 わたしの元に参ったフウフウは、それはそれは、優しかった。

 わたしの心に寄り添い、欲も得もなく、真心を尽くしてくれた。

 それは、狐、お前から譲り受けた特質だったのかもしれぬ。

 わたしは、際限もなく、フウフウに溺れた。

 これほどの至福を感じたのは、生まれて初めてだった。

 血筋のことも、もう、どうでもよくなった。

 愛して、愛して、愛しぬいた。

 そして、フウフウも、それに、応えてくれた。」


大王の恋語りは、とても悲しくて、だけど、愛おしさに満ちていた。

あたしたちは、相槌も挟まずに、ただ、聞き入っていた。


「わたしの生まれ故郷では、生き物ではなくとも、大切にすれば心を宿すと言う。

 フウフウには、確かに、心が宿っていた。

 あれほどに愛し愛されることは、わたしの生涯にはもう、二度とないだろう。

 あれは、あっという間の、束の間の時だった。

 けれど、それはとても濃密で、わたしの一生分の幸せを凝縮したような時間だった。

 それだけの愛を、フウフウはわたしにくれた。

 後の余生を、わたしは、フウフウと共に生きていく。

 たとえ、もう二度と、彼女はわたしに微笑みかけないとしても。」


「・・・そのお心に、相違はございませぬか?」


ようやく口を開いたスギナが言ったのは、その言葉だった。


「フウフウ様は、泥人形。

 いかに、人間らしく振る舞い、人間と同じように見えたとしても、人間ではありません。

 なにより、フウフウ様との間に、御子を成すことはできません。

 それでも、変わらぬ愛を注ぐと、おっしゃいますか?」


「もちろんだ。」


大王は即答した。

それに、スギナはちらりと笑った。


「とはいえ、人間の心など、あてにならぬ、うつろいやすいもの。

 それは分かっています。

 もしいつか貴方のお心が変われば、そのとき、この泥人形は、今度こそ、影も形も消え失せる。

 それでもよろしければ、いま一度、この人形を、動けるようにして差し上げましょう。」


「・・・それは・・・まことか?」


大王は食い入るようにスギナを見つめた。

フウフウを抱きしめるその腕が、ふるふると震えていた。


それにスギナはゆっくりと頷いた。


「今のままであれば、泥人形は、形を失くすことはありませぬ。

 動かぬ影でもよい。永遠に変わらず手元に置いておきたい。

 それをお望みであれば、これはお勧めいたしませぬ。

 けれど、いつか、失うことも覚悟の上、それでも、もう一度、フウフウ様に会いたい。

 話す声を聞きたい。瞳を交わしたい。

 そう願われるのであれば、お力をお貸しいたします。」


そんなことできるの?


あたしも、そんな術は聞いたことがない。

目を丸くして見守るあたしに、スギナはちらっと苦笑して、懐から紙に包んだ丸薬を取り出した。


「これは、長生族の長老の術力を、我ら、狐の技を使って丸薬に仕立てたもの。

 これを飲ませれば、泥人形のからだにはまた力が行き渡り、再び、動くようになりましょう。

 それに長老の力とあれば、小弥太のように、すぐに使い果たすこともありません。

 持続時間は、およそ、百年。

 それであれば、ほとんどの人間の寿命とも変わらぬ長さでありましょう。」


ただし、とスギナは凄むように付け足した。


「小弥太が泥人形に与えた記憶は、継承しません。

 つまり、泥人形は、自分の名も知らぬ、初めの状態に戻ってしまいます。」


あたしはあたしを指さして笑っていたフウフウを思い出した。

あの状態になってしまうということか。


「もちろん、貴方様への愛も覚えてはいません。

 なにもかも、最初から、です。

 それでも、貴方は、再び、この泥人形を、愛し、慈しむことがおできになりますか?」


「再び、愛し、慈しむ、なんてできない。

 何故なら、今も、わたしは、フウフウを、愛し、慈しみ続けているのだから。」


大王の台詞に、あたしは目を丸くした。

いやこれ、あたしと同じ顔した人形に言ってるんだよね?

いや、自分が言われたわけでもないのに、ちょっとどきどきしちゃったよ。


なんか、いいなあ。

こんなこと、いっぺんくらい、言われてみたいもんだ。


「記憶などなくとも、フウフウは、フウフウのままなのだろう?

 心根や人柄は、少しも変わらぬのであろう?」


「それは、まあ、ねえ。

 使ってる材料はそのままっすから。」


フウフウのこと、物のように言うスギナを、あたしはちょっと酷いって思った。

けれど、大王は、それすらも、まったく気にかけていないようだった。


「あの純粋さも、愛らしさも、真心も。

 何一つ変わらぬまま、フウフウは、再び還ってくれるのか?」


大王はスギナのほうへ身を乗り出した。


「そのうえ、わたしは、またいちから、彼女と出会い直せるというのか?

 なんと喜ばしいことだ。

 いったいどこの神が、わたしにこれほどの幸運を授け給うというのだ。

 けれど、ならば、わたしは、今度こそ、心を入れ替え、民と彼女に真心を尽くすと誓う。」


大王は真剣な目をしてスギナに訴えた。


「初めて会ったころ、わたしは、彼女にひどいことばかりした。

 傷つけ、苦しめ、どこまでならわたしを赦すのか、試し続けた。

 彼女の愛がいつ消えるかと、恐れながら、そこへ追い込むようなことばかり繰り返した。

 どうしてあんなことができたのか、今のわたしには分からない。

 けれど、あれは確かに自らの所業だ。

 わたしは、あの自分を、とても後悔している。

 なかったことにして、知らぬ顔をしようというのではない。

 忘れて楽になろうというのでもない。

 わたしは、わたし自身から、永遠に責めを受け続けよう。

 それは、今度こそ、わたしが変わるための試練だ。

 けれど、もう一度出会い直せるのなら、今度は、あのようなことは決してするまい。

 最初から、甘く優しいものだけで、彼女を包み込みたい。」


この人は、本当は、愛情深い人間なのかもしれない。

家族と平和に田舎で暮らしていれば、今頃、優しい奥さんと子どもたちに囲まれていたのかも。

王子だなんて突然言われて、こんなところに連れてこられて。

嫌なモノを、いっぱいいっぱい、見てしまった。聞いてしまった。

優しさはすり減り、心の隙間には、疑念と恐怖だけ入り込んでいった。


だけど、それをもう一度、フウフウは、愛情で満たしたんだ。

すごいな、フウフウ。

同じ顔してるけど、あたしとは違う。


あたしはそこまで、きれいでも、優しくも、ないや。

やられたことはやり返すし、むけられた憎しみに、愛を返すなんて、到底無理。

だけど、フウフウは、それをやってのけた。

こんなに愛されるのも、当然かもね。


スギナはもう一度、確かめるように繰り返した。


「フウフウが、なにも覚えていなくてもいい、とおっしゃいますか?」


「覚えていなくてもいい。

 彼女は覚えていなくても、わたしは覚えている。

 それに、これからは共に優しい時を積み重ねていく。

 ならば、痛みの伴う過去など、わざわざ思い出させることもない。」


大王は即答した。


それにしても、大王は変わったな、って思った。

初めて会ったとき、毒に怯えてムイムイにしがみついていた、あれと同じ人間だとはとても思えない。

大王をこんなふうにしたのも、フウフウなのかな。


愛の力って、すごいんだね。

誰も信じられなくなった人間と、泥人形の恋。

ふたりの間に何があったかなんて、外から伺い知ることなんかできないけど。


「そうっすか。なら、この丸薬、お売りいたしましょう。」


スギナはにやっと笑った。

え?お売り?


「またそれも、お金、取るの?」


「当たり前だ。俺は薬売りだ、っつってんだろ?」


スギナは呆れたようにあたしを見た。

いや。そうですけども。

なんかさ、善意の人助け?みたいな話しかと思って、感動してたのに。


「俺は慈善事業をやってるんじゃねえ。」


その台詞、一般的には悪者さんの台詞だよ?


「まあ、これだけの薬だ。

 お安くはありませんよ?

 対価は、こいつの身柄と、それから、狐の郷には今後一切手出しをしないという誓約。

 それも口約束ではなく、大王の血判状をいただきたい。

 こちらとの平和的なお取引は、今後も続けさせていただきましょう。

 ムイムイに飲ませる薬液も、適正な値でお売りすることをお約束いたします。」


悪徳商人のような顔で、スギナはにやりと笑った。

けれど、大王は、すっきりと明るい顔をして頷いた。


「なんだ、どれほどの値を吹っ掛けられるかと覚悟していたが、なんと安い!

 この国ひとつと引き換えだと言われるかと思っていた。」


う、わー・・・

愛の力って、すごいね?


大王は自分の指を噛み破ると、懐から出した懐紙に、さらさらと血判状を書いて渡した。

なんとも話しが速い。


スギナは血判状をざっと確かめると、丸薬を大王に差し出した。

大王は大切そうにそれを両手で受け取ると、自らの口に含んだ。

それから、愛おしそうに、ゆっくりと、口移しで、それをフウフウに飲ませた。

 




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