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マックロクロが姿を消したのと入れ替わるように、藤右衛門とアザミさんが現れた。
藤右衛門はあたしの顔を見ると、よくやった、と小さく呟いた。
「・・・って、戦師の頭領としては、言うべきなんだろうけどね?
お前なら大丈夫だ、って、もちろん、信用もしていたよ?
けど、お前にこんなことをさせるくらいなら・・・
アタシは、頭領なんて辞めて、お前を連れて、森で隠棲したいよ・・・」
「背中に、働いたら負け、って書いてっすか?」
まぜっかえすように言うスギナを、藤右衛門はむっつりと見た。
けど、藤右衛門は、スギナではなく、コヤタにむかって言った。
「この世には、嫌々ながらも働いているヤツは、いっぱいいるのさ。
あんただけ、辛いわけじゃない。
けど、辛いときは、辛いって言やあ、なんとかしてくれるヤツってのも、いるもんだ。」
はい、とコヤタは素直に頷いた。
さてと、と藤右衛門はスギナを見た。
「大王とは、ちゃんと話し、つけてきたんだろうね?」
「もちろんっすよ。
これが詔勅っす。」
スギナはさっきマックロクロに見せびらかしていた紙を藤右衛門に手渡した。
ふうん、と藤右衛門はそれをつまらなさそうに見ると、畳んで懐にしまった。
その手つきを見ていて、あたしは、あっ、と言った。
「藤右衛門?手、動くようになったの?」
ああ、そうなんだよ、と藤右衛門は軽く答える。
「つい最近、知り合ったじいさまに、呪いの解き方を教えてもらってさあ。」
「アッシも。ほら、この通り。」
アザミさんも、こっちに手を振ってみせた。
じいさま?って、誰?
詳しいこと、聞きたいところだけど、今は先にしなければならないことがありそうだった。
「じゃ、やるかね?」
藤右衛門はそう言って、アザミさんを見た。
へい、と返事して、アザミさんは、用意してきた札を、周りの岩に貼り付けて行く。
藤右衛門は、半眼になって、呪を唱え始めた。
腐っても戦師の頭領だ。
術力はそれなりに凄い。
次の瞬間には、荒地全体を包み込む結界ができていた。
「土と水の民よ。
お目覚めを。」
藤右衛門の声に合わせて、召喚の陣が開く。
そこに、ぼんやりと透けた人影がわらわらと現れた。
ひのふのみ・・・
人影は、十二、ある。
「ようやく、直接、お目にかかれましたな。」
一番年上らしいおじいちゃんが、藤右衛門にそう言った。
それから、かなり若そうなひとりが、コヤタのほうへ駆け寄ってきた。
「チビ太!ようやく、ここへ来てくれた。」
チビ太?
そう呼ばれたコヤタは、渋い顔をして、あたしに言った。
「言っとくけど、それも真名じゃないから。
一族じゃ、一番最後に生まれたやつを、チビ太って呼ぶんだ。
だけどそれ、次が生まれるまでだから。」
ってことは、一万年、チビ太なんだ。
って、思ったけど、それは言わないでおいた。
「ずっとずっと呼びかけていたのに。
チビ太ってば、心を閉ざしていて、わたしたちの声はまったく届かなかった。」
「一番おチビの君に、そんな無理はしなくていいって、ずっと言おうとしていたんだよ?」
「かわいそうに、チビ太。命をすり減らしてまで、一族を守ろうとしたなんて。」
「大丈夫だよ。チビ太。土の中でゆっくり眠れば、すり減った命も、また回復する。」
長生族はコヤタを取り囲んで口々に言った。
長生族の皆さんは、実体は土の中に眠ったまま、精神体だけ喚び出されたらしかった。
みんなうっすらと透けたからだをして、手を触れることはできない。
それでも、コヤタの周りに集まって、頭や背中をすり抜けるように撫でていた。
突然、集まった仲間を振り払うように、コヤタは叫んだ。
「だーっ!もー!チビチビ、言うなっ!」
あたしたち狐は、ちょっと離れて、長生族の再会を、生暖かく見守っていた。
そのあたしの傍に、コヤタはつかつかと歩み寄った。
「ボクの真名は、丙。小野丙だ。
小弥太でも、チビ太でもない。」
「おののひのえ?」
あたしはそう繰り返した。
「ヒノエ、でいい。
小野ってのは、ここの土地の名で、一族みんな小野だから。」
「ヒノエ?へえ、なんか、格好いい名前だね?」
「だろ?」
コヤタ、あらため、ヒノエは得意げに胸をそらせた。
それを見ていた長生族の皆さんは、一斉に、おおーっ、と拍手を始めた。
「なんと。チビ太は真名を告げたぞ。」
「真名を告げたか。」
「真名を告げ合うは、婚礼の儀式ぞ。」
「ええっ?」
婚礼?とか言いました?今。
ぎょっとして顔を見たあたしに、ヒノエは、にたっと笑った。
「告げ合う、のが、婚礼の儀式だ。
君は告げてない。
故に、これは、婚礼にはならない。」
「・・・あたしの名前、知ってます、よね?」
さあね、とヒノエはうそぶいた。
それから慌てたように手を振った。
「ああ!いい、いい!いいから、言うな!
言わなくていい・・・
今はね、ボクが一方的に、君に従属している状態だよ。
それでいい。
ボクがそれを望んだ。」
あたしの目を真っ直ぐに見上げて、ヒノエは言った。
「何かもし困ったことがあったら、ボクの真名を喚べ。
ボクは、たとえ地獄の底からでも、君の召喚には応える。」
そんなこと、一方的に言われても、困るよ・・・
「困ってる?
はは、困れ困れ。
困れば、君の心のなかに、ボクの居場所ができる。
・・・迷惑だ、って自覚はあるよ。
ただ、君の心のほんの片隅でいいから、ボクにちょうだい。
その代わりに、君には、ボクの百年をあげるから。」
「百年?」
「この誓いは、百年、有効なんだ。
逆に言えば、百年経ったら、消えてなくなるんだよ。
もし、もしも、それまでに、君の真名を告げたくなったら、いつでもそう言ってくれ。
次に君の真名を聞いたら、そのときは、この命の果てるまで、もう二度と、君を離さない。」
長生族の命の果てるまでって、どのくらいあるんだろう?
あたしの寿命よりは、長そうだな。
「なに、百年なんてすぐだよ。」
「寝て起きたら百年経ってたってよくあることだ。」
「ああ、よく寝た、ってときは、百年くらい経ってるよね。」
長生族の人々は、呑気にそんなことを言い合った。
長老らしきおじいちゃんが、藤右衛門を見て言った。
「妖狐殿、先日のお申し出、あれは、あまりに、我らにばかり得があるように思う。」
それに藤右衛門は、いえいえ、と手を振った。
「ああ、いいんですよ。
アタシの呪いも解いてもらったし。
うちの娘も、そっちの坊ちゃんのお世話になりましたから。
お礼しなくちゃって、ねえ?」
「・・・しかし・・・」
「狐はね、受けた恩は倍にして返すんですよ。」
藤右衛門はにこにこと笑った。
「それに、我らにももちろん、利はありますとも。
長生族の助力がなければ、大王は狐にとって、それほどの強敵でもなくなりますから。」
ふぅむ、と長老は唸った。
「いや、それはむしろ、チビ太は狐殿にさんざんご迷惑をおかけしたということなのでは・・・」
「はい。さんざんな目に遭いました。
だからこそ、完璧に封じさせてもらわないとね。」
藤右衛門は肩を竦めて笑ってみせた。
「どうぞお気遣いなく。互いの利になることです。
我ら、どちらも、争いは望まぬのですから。」
うむ、と長老は頷いた。
それから、皆もそれでよいか、と一族を見回した。
「どうなるの?」
ひとりだけ事情を知らないヒノエが、不安そうに長老に尋ねる。
長老はとてもとても優しく笑って、ヒノエに言った。
「少し、長く、眠ろうと思う。
なになに、我らは、これまでも、何度もそうしてきたのよ。
眠っている間に、災いは、おのずと去っていく。」
「長く眠るには、その間、我らの代わりに太陽を祭るモノが必要なのだが。」
「妖狐族は、それを引き受けてくださる、と。」
「それどころか、土のなかの我らのために、一年に一度、秘薬を撒いてくださると。」
「我らは、安心して眠りに就ける。」
口々に説明する仲間をヒノエは不安げに見回した。
「少し長くって、どのくらい・・・?」
「さてのう。百年か。千年か。
どのみち、そのくらいの時は、我らにとっては、そう長くはない。」
「けれど、人間の世は変わる。
千年経てば、我らももう少し、暮らしよい世かもしれない。」
「還ろう?チビ太?少し、ゆっくり眠ろう。」
ヒノエはあたしをじっと見つめて尋ねた。
「ねえ。妖狐族って、千年、生きる?」
「さあ?
そのくらいは、生きるかな?」
そっか。とヒノエは頷いた。
「なら、また君に会えるね?
けど、もし、それより前でも、君が喚べば、ボクは、いつでも、目を覚ます。
きっと、きっと、君の元に駆け付ける。」
ヒノエは念を押すようにあたしに告げた。
十三の岩に、藤右衛門は呪をかけた。
ひとり、またひとりと、長生族は、封じられていく。
最後にヒノエの番がきた。
「そうだ。
君に言っておきたいことがあったんだ。」
藤右衛門の呪が始まるや否や、ヒノエは思い出したようにそう言った。
「ムイムイが君に恋をしているように見えるのは、あれは、多分、宿主の心を映したからだ。」
「宿主?」
「ムイムイを羽化させたヒト。
正確には、宿主と言うより、ムイムイに意識を同調させ、自我を与えたヒトと言うべきか。
それを得て、ムイムイは一匹の個体として羽化することができたんだよ。」
???
ヒノエの言うことはよく分からない。
あたしの顔には?がいっぱい並んでいたんだと思う。
ヒノエは、もどかしそうに、ああ、もうそれはいい!と叫んだ。
「ボクは何度もムイムイの意識を走査したんだけど。
そこにあったのは、膨大な治癒術の知識と、それからちっぽけな仔狐の記憶。
だけど、それ以上に、記憶のほとんどを占めていたのは、君のことだった。」
封印の時が迫る。
ヒノエはますます早口になって言った。
「それって、宿主の心、そのものなんだと思う。
つまり、彼の心のなかは、君のことでいっぱい、ってこと。」
頭がヒノエの言葉に追いつかない。
ムイムイを羽化させたのって・・・それって・・・
「あれはまるで、宝のつづらだった。
君の笑顔に泣き顔、怒った顔や困った顔。
話すときの声や、笑い方。真剣な瞳。
どれもこれも、愛おしい思いに包まれて、大事に大事にしまわれていた。
初めて会ったとき、ボクはもう既に君のことをよく知っている気がしていた。
それは、あの記憶を読んだからかもしれない。
そして、初めて会ったときから、ボクは君に惹かれていた。
多分、それも、そのせいだって、ずっと思おうとしていたんだ。
あんな素敵な君ばかり、見せられていたんだから。
ただ、今は、それは、違うって、分かってる。
ボクは、どんな出会い方をしても、君に惹かれていたに違いない。
だけど、ボクは、また、出会ったときから、君にこの思いは通じないって分かってた。
あれを見れば、君の心がどこにあるのなんか、丸分かりだったから。」
ヒノエは、ふふっ、と自嘲するように笑った。
けど、すぐに、真剣な目をして言った。
「だけど、彼は、君の気持には応えないって、固く心を決めている。
絶対に駄目だ、って、自分の心を、強く戒めている。
どうしてそんなことをしているのか、ボクには、ずっと分からなかった。
宝物は自分の手の中にあるのに、あえてそれを掴むまいとするなんて、正気の沙汰じゃない。
だけど、彼が君のこといらないってんなら、ボクにとって、それはむしろ好都合だ。
いっそのこと、君を、横からかっさらってしまおうかとも考えた。
だけどさ、それじゃあ、君は、幸せにならないから。
それに、そんなことにつけこむなんて、卑怯者のすることだろう?
これ以上、君に誇れないボクにはなりたくない。
だから、ボクは、ずっと調べ続けたんだ。
そして、見つけた。」
見つけた?
見つけて、くれたんだ?
「その理由は、ちっぽけな仔狐の記憶のなかにあった。
いや・・・彼は・・・仔狐じゃ、ない・・・
カ・・・ヨウコ・・・イ・・・」
ジジジジジ・・・
まだなにか話し続けているけど、ヒノエの声がよく聞こえない。
その姿も次第に薄く透き通って、消えていく。
封印の術を中断することはできない。
そんなことをすれば、ヒノエに危険が及ぶ。
そして、妖狐の郷の最強の封術をもって、長生族の人々は、地の底に、しっかりと封じ込められた。




