116
コヤタは、小さく、ふふ、と笑った。
「やっぱり、狐さんって、オヒトヨシだね?
こんなの、作り話だとか、思わないの?」
「え?作り話なの?」
ぎょっとして思わず手を離したら、コヤタは、はは、と力なく笑った。
「作り話なんかじゃないよ。
だけど、そう言ったら、信じてもらえるのかな?」
「・・・オヒトヨシだって言って笑いたいなら、笑ってもいいよ。
だけど、あたしは、コヤタのことは、もう信じてる。
コヤタはあたしの友だちだから。」
むっとして言い返したら、コヤタは笑いながら、ほろほろと涙を零した。
「有難う。
こんなこと話しても、同情を買いたいだけだろうって思われても仕方ないって思ってた。
実際、ボクにも、同情してほしいって気持ちがなかったとは言えない。
それでも、ボクは、君には、本当のことを伝えたかった。
全部、あらいざらい話してしまいたかった。
君にだけは、ボクが、性根から腐ったどうしようもないヤツだとは思われたくなかった。
どんな言い訳を重ねたところで、犯した罪は消えないけど。
ほんのひと欠片でも、君にボクの本当の気持ちを分かってもらいたかった。」
コヤタは今度は自分から、ぎゅっとあたしを抱きしめた。
「もう無理。もう頑張れないよ。
何もかも全部投げ出して、後は誰かになんとかしてほしい。
もう、嫌だ・・・」
しがみついて泣くコヤタの背中を、あたしは、よしよしと撫でた。
そしたら、コヤタは、ぼそっと呟いた。
「・・・ボク、子ども扱いされるのは、嫌いなんだよね・・・」
あーもー、まったく、面倒臭いやつだ。
慌てて手を離そうとしたら、ぎゅっともう一度、コヤタは腕に力を込めた。
「子ども扱いされるのは、嫌いなんだけど。
君にだったら、子ども扱いも、悪く、ない・・・」
どっち?
迷ったけど、もう手は離せないくらい、コヤタはぎゅっとあたしを捕まえていた。
「ごめん。
君にもたくさん迷惑かけた。
だけど、本当は、ボクは、君のことも守ろうと思ってたんだよ。
こんなこと言っても、信じてもらえないかもしれないけど。
蠱毒の秘密を明かしたら、君をちゃんと無事に郷に返すつもりだった。
・・・だけど、もう・・・それも・・・無理かも・・・しれない・・・」
コヤタは震える声で泣きながら、何度も何度も、ごめん・・・ごめん・・・、と繰り返した。
あたしは何も言えなくて、ただ、コヤタの背中を撫でた。
しばらくそうしていたら、コヤタもだんだん落ち着いてきた。
そうしてあたしの顔を見上げると、にっこりと微笑んだ。
それはあの、お月見のときに見た笑顔と同じだった。
「君に会えてよかった。
もっと別の出会い方ができてたら、もっとよかったけど。
どんなふうでも、君と出会えたことは、ボクの一生で一番の幸せだ。」
コヤタは膝をついたまま伸びあがるようにして、あたしの頬に軽く口づけた。
「大臣の息子に誰が毒を盛ったのかは知らない。
けど、大臣はそれをボクのせいにして、この際だから、ボクを葬り去ろうとしている。
今のボクに、君にしてあげられることはとても少ない。
だから、せめて、ボクを捕らえたことを、君の手柄にしてほしいんだ。
そうすれば、ボクのいなくなった後の君に、少しはボクのしてあげられることになるから。」
そんなこと!と言おうとしたときだった。
「残念ながら、それは、少し遅かったようだな。」
どこからともなく響いた声に、あたしたちはぎょっとして立ち上がった。
コヤタはあたしを背中に庇うようにしながら、油断なく辺りに目を配る。
それは小さくても立派な一人前の術師の姿だった。
ゆっくりと、姿を現したのは、全身黒ずくめの人間だった。
黒い頭巾に黒い衣。黒の袴に黒い足袋。手甲も脚絆も、口元を覆う布も、全部黒い。
頭巾の隙間から見える髪も瞳も、見事なほどに真っ黒だ。
ついでに、露出しているところの肌にも、わざわざ墨を塗って黒くしてあった。
「おお。マックロクロ・・・」
思わず呟いたら、前にいたコヤタが、たはっ、と脱力した。
マックロクロは、あたしたちの反応にはまったく構わず、続けた。
「ここがお前の墓場だ、小弥太。
一族の眠る土地だ。お前も本望だろう。」
そう言うと、複雑な手印をいくつも組みながら、呪を唱え始めた。
すぐさまコヤタはマックロクロの攻撃に備えるように、結界を作った。
あたしもそのコヤタの結界に、自分の妖力を注ぎ込む。
ふたりの力を合わせた結界は、雨上がりの虹のような七色を宿した。
けれど、マックロクロは少しも慌てた様子はなかった。
そうして、低い声で、淡々と告げた。
「結界など、効かぬ。
我、汝の真名以て命ず。
小弥太!その娘の首に手をかけ、息の根を止めよ!」
「ボクから、離れて!」
その瞬間、コヤタはあたしを突き飛ばした。
そうして、うっ、と自分の右手を抑えてうずくまった。
ふたりがかりの強固な結界は、物理的な攻撃なら、ほぼ完璧に防げるはずだった。
けれど、名を呼ばれて命じられた呪いは、その音声を聞いてしまったときから、効力を発揮した。
コヤタは、自分の意志に関係なく蠢く右手を、全身で抑え込もうとしていた。
ぎりぎりと歯を食いしばり、額からはぽたぽたと脂汗が流れ落ちた。
マックロクロは、糸繰人形を操るように、コヤタのほうに向けて、指をわぎわぎと動かし続ける。
その手の動きに合わせて、コヤタの腕は、びくっ、びくっ、と動いた。
あたしはどうしていいか分からなくて、突き飛ばされた姿勢のまま、ただ状況を見ているだけだった。
こういうときは・・・ええっと・・・ああ!呪い返し!
って、あたし、そんな術、使えないよ・・・
もうちょっと真面目に術の修行をしておけばよかったと、このときほど後悔したことはなかった。
けれど、コヤタは、苦しそうに肩で息をしながら、顔を上げて、にやりと嗤った。
「ボクの真名は小弥太じゃない。
それは、そこのボクの親友が、よく知っている!」
そう宣言した途端、コヤタを呪縛していた術力は、パキンという音を立てて弾け飛んだ。
マックロクロは、なに、と短く呻いた。
コヤタは、呪縛の解けたからだを、こきこきと鳴らしながら、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「バカだね。ボクが真正直に、真名なんか、名乗るわけないだろ?
まあ、その名も、便宜上、長く使ってたから、多少の効力は持っちゃってたけど。
やれやれ。
ここに君がいてくれて助かった。」
そう言ってあたしを振り返ってにこっと笑う。
あたしの頭のなかは、さっきの、親友、という言葉がぐるぐるしていて、とっさに反応できなかった。
親友?親友って言った?
コヤタのほうから?
あれって、聞き間違いじゃないよね?
なんか、嬉しすぎて、こんな場合なのに、ほっぺだがほころんでしまう。
あたしは必死になって真面目な顔を作った。
けれど、マックロクロも、その程度で引き下がりはしなかった。
再び呪を唱えると、今度は、あたしのほうへ言った。
「我、汝の真名以て命ず。
フウフウ!その小僧の首をへし折ってしまえ!!」
は?
フウフウ?
って、誰?
あたしは首を傾げた。
それから、ようやく思い出した。
そう言えば、初めて大王の前に出たとき、コヤタにそんな妙な名前にされてたっけ?
一瞬だけ、右手がむずむずっとしたけど、それだけだった。
あたしの前にいたコヤタが、お腹を抱えて笑い転げた。
いやそれ、無駄に相手をイラつかせるから、やめなさいって。
マックロクロの目にはなんの感情も見えなかったけど。
そのからだは、次の術を繰り出すことも忘れて、ただ、凍り付いたようにじっとしていた。
「そこまでだ。」
そのとき、風に乗って、よく知った声が聞こえた。
つむじ風と共に、あたしたちの前に現れたのは、スギナだった。
口を開きかけたあたしに、コヤタは焦ったように飛びついた。
おかげでうっかりスギナの名を呼ばずにすんだ。
「おう。
俺の嫁が世話になったな。」
スギナは、あたしたちを見下ろして、にやっと笑った。
「嫁じゃないし!」
コヤタとあたしは、同時に同じことを言っていた。
スギナは、へっ、とだけ笑って、すぐにマックロクロを振り返った。
それから、ぺらっと一枚の書付を広げて、高らかに宣言した。
「これは大王の詔勅だ。
本日、このときをもって、この土地は、我ら妖狐族のものとなった。
妖狐族の掟により、この土地での私闘を禁ず!」
はあ?と食ってかかろうとするコヤタを、あたしは抑え込んだ。
とりあえず、相手はスギナだし。
後でゆっくり話しはできる。
それより今は、マックロクロだ。
マックロクロは、疑わし気に、スギナの持つ書面をじろじろと眺めた。
スギナは、ほれほれ、とその書類を見せつけるようにした。
「ほら、ちゃんと見てくれ。
狐の秘薬、二壺の代金の代わりに、小野の地を譲る、とちゃんと書いてあるだろ?
こぉんな、荒れた土地、値千金の秘薬の対価にしては、大安売りだと思うけどね。
そこはまあ、こっちにもいろいろと手違いもあったことだし。
大目に見てやろう、ってことになったんだよ。」
「あ、荒れた土地、って!」
「ちょ、あの薬液、お金、取るの?」
コヤタとあたしは同時に叫んでいた。
スギナはそんなあたしたちにいちいち答えてくれた。
「荒れた土地だろ。
こんなとこ、畑にもなりゃしねえ。
俺たちには、人間の知恵も財宝もいらねえしな。
秘薬をただでやるわけないだろ?
俺は、施療院付きの薬売りの頭だ。
対価はきっちり、取り立てさせてもらう。
大王も、それには納得したぜ?」
開いた口が塞がらない。
いや、呆れたってわけじゃないけど。
スギナって、意外と商魂、たくましかったんだ・・・
スギナはあたしたちを黙らせると、悠々とマックロクロを振り返った。
「偽物じゃないぜ?
ほら、ここ。
この判は、お前らの大王サマのもんだろ?
俺たちにたてついてもいいけど、それって、大王サマに逆らうってことだぜ?
それって、お前のご主人サマも、困ったことになるんじゃねえの?」
スギナは揶揄うようににやにや笑った。
マックロクロは悔しそうに目を細めたけれど、その書類を偽物だと断じることはできないようだった。
スギナは、くんくん、と鼻をうごめかして、顔をしかめた。
「なんか臭うな。
この臭い、どっかで嗅いだ気がするが。
さて、どこだったか・・・」
何度か首を捻ってから、おお、そうだ、とわざとらしく手を打った。
「あれは、大臣の屋敷だった!
秘薬を横流ししろ、っつーから、適正な価格でお買い上げを、って、交渉に行ったんだ。
もちろん、大臣様も、ちゃんとお買い上げくださったとも。
どんな毒も消せる秘薬が、是非とも必要だったらしいね?」
スギナはにやりと笑う。
そういう笑い方すると、いかにも妖狐らしく、思い切り意地悪そうに見える。
「しかし、大臣はなんのために、毒消しなんてご入用だったんだろう?
近々、毒でも飲むご予定だったのかな?
ムイムイなら、ただで治してくれるんだろうけど。
あぁんな大金を支払ってまで、どうしても毒消しが必要だ、ってね。
万に一つ、ムイムイが間に合わなかったときのために、ってかい?
流石、出世する方ってのは、用意周到だねえ。
俺たち妖狐もびっくりだぜ。」
スギナの言葉を聞きながら、マックロクロはわずかに顔を歪めた。
「もちろん、有難く、こっちも足元見させてもらったけどね。
大事なご子息のお命の値段だ。
いくら払っても、惜しくはなかろう?
それにしても、あぁんな高値でお買い上げいただくなんて。
今後とも、是非ともいいお付き合いを願いたいね。」
それ以上スギナの話しを聞いていても、なんの利もないと悟ったのだろう。
マックロクロは、突然、姿を消した。
コヤタは、スギナをただ呆然と見ていた。
毒殺騒ぎはコヤタを陥れるための、大臣の自作自演。
それを暴いたスギナに、もう何も言えないようだった。
スギナはあたしのほうをむいて、にやっと笑った。
「おう、お前、今、都じゃ、化け狐が子どもかどわかして逃げたって、大騒ぎなんだが。
なんか事情、知らねえか?」
「ば、化け狐?」
事情は、多分、よく知ってます・・・
「なんでも、王の館でも、出たらしいぜ?化け狐。
こう、小娘の格好して、綺麗なべべ着て、おいでおいで、したんだってよ?
そんでもって、近づいていくと、こう、にかーーーっ!」
スギナの顔は突然、耳まで口が裂けた。
妖狐に慣れてるあたしだけど、ぎょっとして一瞬、息が止まった。
いや、これ、怖いわ。
でも多分、スギナの顔のほうが、あたしの百倍怖い。
「あんま、狐の評判、落とさないでくれよ?
俺が商売、しにくくなるからな?」
スギナは、その顔のまま、にかっと笑った。




