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花恋物語  作者: 村野夜市
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ムイムイは大王が少し落ち着くまで、そのままじっとしていた。

大王は、だんだんと落ち着きを取り戻すように、泣き声も小さくなっていった。

するとムイムイは、優しく大王を抱き起こして、その唇にゆっくりと口づけた。

大王の目尻から、大きな涙の粒が、ぽろりと零れて落ちた。

青白い喉が、ごくりと一度だけ動く。

ムイムイは口伝えに大王になにか飲ませたようだった。


ムイムイの腕のなかで目を閉じた大王は、そのまま目を閉じて、静かに寝息を立て始めた。

大王が眠ったのを確かめてから、ムイムイは、そっとそのからだを床に下ろした。

ムイムイの手が離れた瞬間、大王は、なにか不服そうに呟いたけれど、目は閉じたままだった。


注意深く大王を床に下ろしたムイムイは、そこで力尽きたように、ふわり、と上体を揺らした。

そうして、大王の隣に崩れるように倒れこんだ。


「ムイムイ!」


あたしは思わず駆け寄った。

抱き起こすと、ムイムイのからだは、羽みたいに軽かった。

抵抗もせず、ただ、されるがままになっている。

目を開ける力もないのか、閉じたままの瞼の先で、長いまつ毛がふるふると震えていた。


もしかして、毒?

あたしはさっきの大王の言っていたことを思い出して、大王とムイムイの様子を確かめた。

施療院の治療師さんたちみたいな診療はできないけど。

それでも、何年も、治療師さんたちのすることは見てきたから、多少のことは分かる。


けれど、そもそも、からだが薬液で満たされているムイムイには、毒は効かないはずだ。

ムイムイのからだからも、毒の匂いはしなかった。


なのに、どうしてこんなに弱っているんだろう。

ぐったりと横になっているムイムイはひどく弱っている。

それだけは、あたしにもよく分かった。


大王のからだも調べてみた。

息や胸の音に異常はない。

すやすやと、よく眠っているように見える。

寝息からは、かすかに薬液の匂いがした。

さっき、ムイムイが大王に飲ませたのは、薬液だったのだろうか。


それで、あ、と気付いた。

ムイムイのからだのなかは、薬液で満たされているけれど。

もしかして、大王にそれを飲ませたんだろうか。


郷にいた頃、ムイムイは食事等は一切摂らなかった。

ただ、ときどき、薬液を飲んでいた。


だけど、ここは郷ではないから、薬液は手に入らないだろう。

あれは、郷の山吹の花と泉の水を妖力で混ぜて作る。

余所の地では、同じものを作るのは難しいと思う。


ムイムイは、大王の具合が悪くなるたびに、薬液を飲ませているのかもしれない。

だとしたら、ムイムイのからだのなかにある薬液は、減る一方なんじゃないか。

薬液が、ムイムイのからだにとって、どんな役割を果たしているのか詳しくは分からないけれど。

減る一方で補給できないことが、もしかしたら、ムイムイの不調の原因かもしれない。


詳しい話を聞きたくて、あたしは、童子を探そうと部屋を飛び出した。


縁に出るとすぐに、庭に控えていた衛士が気付いて、こちらに近づいてきた。


「大王様は?」


「あ・・・っと、大王様は、疲れちゃったみたいで・・・

 今は、ムイムイと一緒に眠ってます。」


嘘ではない、と思う。


「それより、あの・・・さっきの、童子・・・」


えっと、さっき、名乗ってたよね・・・なんだっけ・・・


「小弥太殿か?」


「ああ、そうそう。

 そのコヤタ、殿?は、どこに?」


「小弥太殿なら、自室におられる。」


「あの、その部屋って、どっちですか?」


「ご案内いたす。」


衛士はそう言って先に歩き出した。

あたしは助かったって思った。

こんな広いお屋敷で、迷うたびに、衛士さんに言い訳をするのは大変だ。


長い長い廊下をいくつか歩いて、次第に部屋の区切りが細かくなっていった頃。

ようやくたどり着いたのは、お屋敷の端っこにある、意外なくらいに粗末な部屋だった。

元は、馬小屋か何かだったのか、床も張ってなくて、剥き出しの土間だった。


「ここ?」


衛士の指さした部屋に、あたしはまさかと目を丸くした。

あの童子ってば、身形もまあまあだし、何より態度が偉そうだし。

もっといい暮らししてんのかと思ってた。


あたしをそこへ置いて戻ろうとする衛士さんに、あたしはお礼と一緒に言った。


「あ。大王様とムイムイに、なにか、夜具をかけてあげてください。

 風邪ひくといけないから。」


衛士は、心得た、とだけ言って引き返して行った。


ひとり残されたあたしは、もう一度童子の部屋の戸口をしげしげと見た。


入口には、古ぼけた筵が一枚かけてあるだけだ。

恐る恐る筵をめくって覗くと、桶を前に黙々と土を捏ねる童子がいた。


「こんばんは。」


びくびくしながら声をかけると、童子はこっちを振り返ってぎょっとした顔をした。


「どうした?もう手打ちにされたのか?」


「いやいやいや。幽霊じゃないし。」


入っていいとも言われなかったけど、あたしは、ずかずかと勝手に部屋に入って行った。


「まだ泥遊びしてたんだ?」


「遊んでいるわけじゃない。」


童子はむっとしたように返したけれど、あたしが座れるように桶を避けてくれた。

あたしは土間に敷いてあった筵の上に遠慮なく腰を下ろした。


「それ、何、作ってんの?」


「君。」


は?と聞き返すと、童子は何も言わずに脇を顎で示した。

そこに立っていたモノを見て、あたしは思わず、うぉっ、と叫んでいた。

それは、あたしにそっくりな人形だった。


思わず立って、傍に行ってしげしげと眺める。

顔立ちといい背格好といい、あたしと瓜二つだ。

そっと触ってみたら、肌は柔らかくて、ほんのり温かかった。


人形はあたしと同じ衣を着せられて、化粧も同じように施されていた。

どこからどう見ても、あたしとそっくり。

いや、ちょっとあたしよりも美人かも。


童子は懐から紙と筆を取り出すと、さらさらと札を書いた。

その札を人形にむかって投げると、ぼっ、と札は火を上げて燃え上がった。


「こんばんは。」


突然、人形はそうしゃべった。

あたしはびっくりして、思わず飛び退いてしまった。

人形はあたしのほうを指さして、あはははは、と楽しそうに笑った。


「え?いや、ヒトを指さしたら、ダメだよ?」


あたしは思わず人形の指を握っておろさせた。

それから童子のほうを振り返った。


「なに、これ?」


「君の身代わり人形。」


「あたしはここまで無作法じゃないよ?」


「・・・微調整はこれからなんだよ。

 それでも、君の髪と爪をちゃんと仕込んであるから。

 素人にはちょっと見抜けないくらい、いい出来だろ?」


まあ、そっくりなのは認める。

それにしても、髪と爪なんて、いつの間に、とったんだ?


あ。あの化粧されてたときか。

あたしは、化粧されている間、脇で土を捏ねていた童子を思い出した。


「ゆっくりやれば、こんなもんだよ。

 もっとも、もう手遅れかもしれないけど。」


「手遅れって?」


「それは・・・その・・・」


童子は言いにくそうに口ごもってから、小さく舌打ちをして言った。


「大王はその、君にはもう手をつけたの?」


「は?手?

 いや、話してたら、急に叫びだして、それで、ムイムイが薬液を飲ませたら、寝たよ?」


「あ。・・・そう。」


童子は小さくため息を吐いた。


「なら、よかった、のかな?

 とりあえず、間には合った、か。」


「なにに間に合ったの?」


「いや。・・・いい。」


童子は面倒臭そうに手を振ると、ああ、そうだ、と思い出したように言った。


「念のために聞いておくけどさ。

 君は、直接、大王に会ってみて、どう思った?

 もしも、君が大王の寵愛を望むってんなら、身代わりなんてのは・・・」


「ちょうあい?」


「あの大王の妻・・・の、ひとり、に、なりたいか、って。」


あたしはあの青白い顔をした王様を思い出して即答した。


「それは、ない。」


「だろうね。」


童子は苦笑して頷いた。


「なら、こいつの出番だ。

 明日からは夜伽にはこいつを行かせる。

 なあに、ばれやしないよ。

 大王が寵姫だと思っているなかには、泥人形が何人もいるからね。」


「そうだったんだ。」


あたしは目を丸くした。

童子はつまらなさそうにため息を吐いて言った。


「大王は、ヒトの心なんて、まったく考えずに、自分の都合だけ押し付けるからね。

 これまでも何人も、こうやって身代わりを作ってあげたんだよ。

 ああ、気にしないで。

 これは、ボクにとっても、復讐だから。」


「ふくしゅう?」


「そうだよ。」


そう応えた童子の瞳は、暗い色をしていた。

こういう目をしたヒトを、何度か見たことがある。

これは、あれだ。

恨み、憎しみ、後悔、絶望・・・

そういうものに心が染まったときになる色だ。


「大王は、あなたに、何をしたの?」


思わずそう尋ねていた。

童子はちょっと驚いたようにこっちを見てから、ふっ、と小さく笑った。


「狐ってのは勘がいいんだね。

 野生の勘、か?

 けど、余計な詮索はしないほうがいい。

 怪我、したくなかったらね。」


怪我はしたくない。

だから、もうそれ以上、聞くのはやめにした。


それにあたしには童子に聞きたいことがあって、ここに来たんだ。


「ムイムイなんだけどさ、ここに戻ってから、なにか食べたり飲んだり、しているの?」


童子は、あからさまに、何をバカなことを、という顔をした。


「蠱毒はもう飲んだり食べたりはしないよ。

 あれは生き物じゃないんだから。」


やっぱり、とあたしは頷いた。


「ムイムイが不調なんだとしたら、それが原因かもしれない。

 そうだね、簡単に言うとさ、ムイムイは、お腹がすいているんだよ。」


はあ?と童子は思い切りバカにしたようにあたしを見た。


「お腹がすいただって?

 さっきも言ったけど、妖物はものを食べたりは・・・」


「郷にいたころ、ムイムイは薬液を飲んでいた。

 ムイムイは、治療術を使うんだよね?」


あたしは童子の台詞を遮って尋ねた。

童子は、ああ、それは、まあね、と曖昧に頷いた。


「そのとき、自分のなかにある薬液を使ってたんだと思う。

 郷にいれば、使ってもすぐ補給できるけどさ。

 ここじゃできないから、薬液がどんどん少なくなっていったんだよ。」


「なら、その薬液ってのを補給すれば、あいつのからだはよくなるって言うのか?」


「多分。」


ふむ、と童子はため息を吐いた。


「それで、その薬液というのは、どうやって作るんだ?」


「花と水を妖力で混ぜるだけだよ。」


「花と水?

 君はその作り方は知っているのか?」


「知ってる。

 郷では毎日作ってた。」


「じゃあ、それさえ用意すれば、ここでも作ることはできるのか?」


「作れないことはないと思うけど・・・。

 あれは、郷の山吹の花と、泉の水を使わないといけないんだ。

 その材料を取りに行くくらいなら、郷で作った薬液をここに持ってくるほうが早いと思うよ。

 なんなら、あたし、ちょっと戻って、取ってきてあげようか?」


軽い気持ちで言ってみたんだけど。


「君を郷に返せって?」


童子は思い切り難しい顔をして、それはできないな、と呟いた。







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