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花恋物語  作者: 村野夜市
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童子とあたしを包んだ玉は、広い広い庭の池にゆっくりと降り立った。

水面に着くと同時に、玉はゆっくりと開いていく。

それはゆらゆらと揺れる舟になって、そのまま池の畔に進んでいった。


そこはとても美しい庭園だった。

庭のあちこちには、赤々と篝火が焚かれている。

ぱちぱちと、松明の火の粉が弾ける音がしていた。


黒い影のような人間がふたつ、こちらに近づいてくる。

胸につけた鉄の鎧が、カシャカシャと音を立てていた。


「誰か。」


槍先がふたつ、あたしたちのほうにむけられていて、その刃が松明の灯を映して赤く光った。

短く誰何する声に、面倒くさそうに童子は応えた。


「小弥太が帰還した。

 大王にそうお伝えを。」


「小弥太殿?

 何故このような場所に?」


明かりのなかに顔を出した衛兵は、驚いたように童子を見ていた。


「なになに。今宵は門番殿も祭りの酒に興じておられるだろうから。

 面倒は省略して、直接、来ただけだよ。」


童子は悪びれもせずに、へへへっ、と笑った。


そのとき、微かな、ぶぶぶ、という音と共に、ほんのり金色に輝く光が見えた。


「ムイムイ?」


あたしがその名を呼ぶのと、金色の腕のなかに抱きすくめられたのは、ほとんど同時だった。

へえ、と隣で、童子が感心したように呟くのが聞こえた。


「これほどとはねえ。

 ボクの恋煩いって診立ても、あながち、間違ってはいなかったようだね。」


童子が得意げに呟いた。


「コドク!コドク!」


どこかで誰かが何度もそう叫んでいた。


「ムイムイ。大王様を放り出しちゃダメだよ?」


たしなめるように言う童子に、ムイムイはそっちをむいた。

閉じ込められていた腕の力が少し抜けて、あたしは身じろぎできるようになった。

ムイムイの細い腕の隙間から、こっちを見てにやにやしている童子の顔がちらりと見えた。


そこへ、コドク!コドク!という呼び声と、衣擦れの音、板張りの床を踏み鳴らす音が近づいてきた。


「コドク!世の許を離れてはならぬ。」


厳しく叱りつける声と共に、その人間は、素足のまま砂利の上に飛び降りた。


ああ、とも、おお、ともつかぬ声がして、一斉にそちらに人が集まっていく。

ええい、離せ離せ、とそのなかでもがく声がした。


ムイムイは、小さなため息を吐くと、あたしからそっと手を離して、騒ぎのほうへと近づいていった。

ぶぶぶ、という音が微かに聞こえて、ムイムイの足は、地面すれすれを滑るように進んでいた。


「コドク!」


騒ぎの中心にいた人物は、近づいてきたムイムイを、がばりと抱き寄せた。

大きな衣のなかに包まれて、ムイムイの姿はほとんど見えなくなってしまった。


「もう・・・どこへも・・・いくな・・・」


そう言って、ムイムイの肩に顔を埋めるようにする。

ムイムイはされるがままになって、ただ、じっとしていた。

けど、あんなに力任せにされたら、その細いからだがぽきりと折れるんじゃないかと心配になった。


「あれが、大王様。

 ボクらのお仕えしている方だよ。」


隣で言った童子の声は、これまでで一番、冷ややかだった。


大王はムイムイをぴたりと抱き寄せながら、こちらへ歩いてきた。

いつの間に履かされたのか、足にはちゃんと沓を履いていた。


童子は小さくため息を吐いてから、あたしの肩を押さえつけるようにして膝をつかせた。

それから、顔を伏せて、鋭く、叱るように言った。


「大王様を直接、見てはいけない。」


あたしは慌てて童子の真似をして顔を伏せた。

童子は袖で顔を隠しながら、頭のてっぺんから出すような声で告げた。


「小弥太。ただいま帰還してござりまする。」


「よう、戻った。」


そう言った大王の声は、意外によく響くいい声だった。

この声の主はどんな顔をしてるんだろうと思わず見ようとしたら、童子に頭を抑えつけられた。


「構わぬ。

 所詮、獣のすること。

 面をあげよ。」


う、ん?見てもいいの?

どっち?

迷っていたら、いきなり髪を掴まれて、無理やり顔を上げさせられた。


あたしの髪を掴んでいたのは、青白い顔をした人間だった。

目が合うと、ほう、とそいつは、口だけ動かして言った。


「人に化けた妖狐は、妖艶な美人だと聞いておるが。

 これは、狐ではなく、狸だったのではないか?」


う、ん?

それって、もしかして、悪口、言われてます?


あたしは髪から手を離させようと、ぶるぶると頭を振った。

髪に刺していた簪が、そいつの手に当たって落ちた。


「ちっ。」


そいつは舌打ちをして、簪の当たった手を引っ込める。

簪の先に当たって手を傷つけたのか、僅かに血の匂いがした。

まあ、せいぜい引っ掻いた程度の、ほっとけば治るくらいの傷なはずだけど。


「こやつ!

 大王様に歯向かうか!」


横に控えていた衛兵が鋭い声を上げる。

一斉に、槍の穂先が何本も、あたしのほうへむけられた。


ムイムイははっとしたように大王の手を取ると、とっさに傷ついたところを、自分の口に含んだ。

すると、怒りに燃える目をしていた大王が、恍惚の表情を浮かべた。


「・・・コドク・・・やはりお前は、素晴らしい・・・」


大王は反対側の手でムイムイの頭をゆっくりと撫でた。

ムイムイは目を閉じたまま無表情だった。


あれは息に乗せて治癒術をかけたんだろう。

あたしたち妖狐は、仔狐や、親しいヒト相手のときに、よくやるんだけど。

ムイムイってば、そんなところまで、花守様から習っちゃったんだなあ。


「大王様。

 この娘は蠱毒の病を癒す鍵となる娘。

 寛大なご処置を。」


すかさず、童子が隣で言った。


大王は、あたしを見下ろして、鼻を鳴らした。


「コドクのためとあらば、仕方がない。

 その獣臭い衣は焼き捨て、からだの隅々まで清めさせて、香油をすりこんでおけ。」


それだけ言うと、くるりと後ろをむいて、去って行こうとした。

その背中を、視線だけ上げて見据えながら、童子は声を潜めてあたしに言った。


「気に入られるな、とは言ったけど、怒らせろとは言ってない。

 さっきは、ムイムイのおかげで助かったけど。

 あいつは、人の命なんか、なんとも思ってないんだから。

 いきなりその場で手打ちにされるようなことだけは、避けてほしいな。」


どうも、すみません、とあたしは頭を下げる。


そのとき、行きかけていた大王は、なにか思い出したように、いきなり足を止めた。

それから、こちらを振り返りもせずに言った。


「今宵の夜伽、そちに命ず。」


「はあ?!」


叫んだのはあたしじゃなくて、隣の童子だった。

童子は、しまった、と小さく呟くと、慌てて地面にひれ伏した。


「この娘、獣でありますれば、大王様の御前に侍るには、いましばし、磨き上げる時も必要かと・・・」


焦って早口でまくしたてる童子に、大王は冷たく返した。


「花の香は嗅ぎ飽きた。

 たまには、獣臭いのも、趣向が変わってよいかもしれぬ。」


「えっ?いや、あの、ちょっ・・・」


しどろもどろになる童子をその場に残して、大王は悠々と去って行く。


ずっと余裕綽々だった童子が、あたしたちと同じように焦る姿が、あたしには珍しかった。

この童子もこんなふうに焦るんだなあ、と妙なところに感心していた。


「ちょっと、君!

 そんな余裕な顔してるけどさあ。

 夜伽の意味、分かってんの?」


童子は八つ当たりするようにあたしに言った。


さあ?

素直に首を傾げたら、思い切り、深いため息を吐かれた。




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