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花恋物語  作者: 村野夜市
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あたしたちが乗り込むと、アザミさんは舟を出した。


屋形のなかに入っていくと、中には先客がいた。


「わぁい。可愛らしいお姉さんだ。」


そう歓声を上げたのは、うちの弟たちよりも幼い童子だった。

付き添いらしきオトナの姿はなくて、童子はひとりきりだ。

着ている衣は立派なもので、髪も綺麗に整えられている。

姿勢もよくて、それなりにいい家の子息のように感じられた。


「どっちをむいても、おじさんおばさんばっかりで、ボク、どうしようかと思ってたんだ。」


童子は無邪気に言い放った。


「お、おば・・・?」


藤右衛門、じゃなくて、青紅葉の額がぴくぴくと動く。

あたしはなんとか笑いを堪えた。

普段、若作りだから、若く見える自信、あったのかなあ。


でもまあ、こんな子どもから見たら、立派なおばさんでしょうよ。

いい加減、そこんとこ諦めないと。

あたしみたいな、大きな娘もいるんだし。

あ。いや、本当は、おじさんだけどね。


屋形のなかには、膳や高坏が所せましと並べてあった。

そこには、見たこともないような食べ物や飲み物が、華やかに盛り付けられていた。

思わずあたしは歓声を上げていた。


「うわあ。すごいご馳走だ。

 ・・・鱧ってのは、どれだろう?」


あたしは柊さんから聞いたことを思い出して尋ねてみた。


「鱧なら、これだよ。」


童子は、自分の前にあった大皿を指さした。

そこに盛り付けられていたのは、真っ白い花のような綺麗な食べ物だった。


童子は、自分の隣の床をぽんぽんと叩きながらあたしに言った。


「こっちおいでよ、お姉さん。

 こっち来て、一緒にご馳走、食べようよ。」


「まあまあ。

 こんなガキ臭い小娘に、大事なお客様のお相手は任せられませんよ。」


青紅葉はそう言って自分がそっちへ行こうとしたけど、童子はえ~、と顔をしかめた。


「ボク、隣は怖いおばさんより、優しそうなお姉さんがいいなあ。」


あたしはたまりかねて噴き出した。

青紅葉は、口元には微笑を貼り付けたまま、視線だけこっちにむけて、じろっと睨んだ。


なんだか大事そうなお客様なんだけど。

やっぱり、童子だからか、ついつい、気安くしてしまう。


どのみちどこかには座らないといけないんだし。

あたしは言われるままに童子の隣に腰を下ろした。


「窮屈だから、あとのヒトはそっちね。」


童子はそう言って無造作に反対側を指さす。

青紅葉とスギナは顔を見合わせてから、仕方なさそうにそちらに座った。

ふたりとも素直に言うこときくなんて、よほど大事なお客様なんだろうか。


あたしが隣に座ると、童子は甘えるように、すり寄ってきた。


「お姉さん、鱧、食べてみる?

 はい。あ~ん。」


そう言って、自分の箸で取って食べさせようとする。


「あ。いや。それは・・・」


遠慮して逃げようとしたけど、いかんせん、狭い舟のなかで、逃げようにも逃げられない。


「いいから、いいから。はい、あ~ん。」


子どもに迫られると断り切れなくて、あたしは仕方なく口を開けた。


「ふふっ。美味しい?」


童子は嬉しそうに笑うけど。

うーん、緊張して、なんか、味、分かんない。


ちらっと前を見ると、スギナは、開けたままの口を、何か言いたそうにぱくぱくと動かしていた。

青紅葉は、苦虫を噛み潰したような顔をして、あたしたちをじっと見ていた。


童子はそんなふたりには知らん顔で、あたしの手を取ると、いきなり自分の頬に当てた。


「えへ。ボク、顔が熱くなっちゃった。

 お姉さんの手って、ひんやりしてて、気持ちいいね。」


「・・・そ、そうかな・・・」


あたしは手を引っ張って取り返そうとするけど、童子はなかなか離さない。


「お姉さんって、やわらかくて、ふわふわしてる。

 このまま持って帰って、ボクのにしたい。」


「・・・いや、あの、それは・・・」


だめ?と童子はあたしの顔を下から覗き込んだ。


困っていると、いきなり前にいたスギナが、鱧の大皿を取り上げた。


「うん。うめえ!流石だぜ。」


そう言いながら、スギナは、がつがつとご馳走を頬張り始めた。

呆気に取られて見ているうちに、あっという間に皿の上のものは食べつくされていく。

童子はさも嫌そうに顔をしかめた。


「無粋なヒトだ。

 ヒトの恋路を邪魔するやつの末路、教えてやろうか?」


スギナは知らん顔をして、一皿、からにすると、また次の大皿にとりかかった。

あたしは流石に引き留めた。


「・・・ちょっと・・・

 それは、あまりにも、お行儀・・・」


「かまやしないよ。」


ぼそり、と言ったのは、青紅葉だった。


「行儀がなってないのは、今夜のお客人のほうだ。

 こんな忌々しい料理なんか、さっさと全部、食べておしまい。」


スギナは、うっす、とだけ言うと、そのまま皿を掻きこみ続けた。


「やれやれ。

 これだから、獣臭い輩は嫌なんだ。」


オトナのようなため息が聞こえて、振り返ると、童子はつまらなさそうにスギナと青紅葉を見ていた。

童子は嘲笑するように冷たく笑った。


「折角、祭りに招待したのに。

 狐さんってのは、もう少し、賢いかと思ったんだけどね。

 意外に熱くなりやすいんだ?」


え?今、狐、って言った?

ってことは、この童子は、あたしたちのこと、妖狐だって、知ってるってわけ?


目を丸くするあたしの肩を、童子はいきなり、ぐい、と引き寄せた。


「今日は喧嘩をしにきたわけじゃなかったんだけど。

 そちらがお望みなら、こういう話し方でも、ボクは構わないよ?」


スギナと青紅葉は同時に立ち上がる。


怒りを含む二組の目に見下ろされても、童子は平然としていた。

あたしを捕まえているのとは反対側の手に、童子は何か丸い玉のようなものを掴んでいた。

それを、青紅葉とスギナとに、みせびらかすように差し上げた。


「この玉には、唐渡の火薬が詰められていてね。

 ここで投げ落とせば、こんな舟くらい、一瞬で木っ端みじんに吹き飛ばしてしまう代物さ。

 そんな重たい衣を着て水に沈んだら、いくらおばさんだって、大変だよね?

 器用に術で見せかけてるけど、その手、実はまだ、動かないんでしょう?」


なんでそれを?

あたしは、童子の顔をじっと見つめた。

童子はそのあたしを見て、ふふっと笑った。


「ああ、心配しないで?

 お姉さんのことは、ボクがちゃんと守ってあげる。」


にっこり微笑まれても、それじゃあお願いしますとは到底言う気にはなれない。


ちっ、と青紅葉は聞こえるくらいの舌打ちをした。

悔しそうに睨みつけるスギナに、童子は楽しそうに言った。


「ああ。術は効かないよ?

 ボクがそんな間抜けはなずはないだろう?

 妖狐のなかにたったひとり、乗り込んできたんだもの。

 ちゃんと手は打ってある。」


直後に、ぴん、と固いものを弾いた音がして、いちっ、とスギナは顔をしかめた。

スギナの頬には、なにか鋭い刃物で切ったような筋が、赤くひとつ走っていた。


「ほら、だから言ったのに。」


童子は気の毒そうに首を振ってみせた。


「念のため、忠告しておいてあげるけどさ。

 腕力に訴えて、ボクからこれを奪おうってのも、やめておいたほうがいい。

 これは衝撃を与えれば爆発するようになっている。

 僕がこれを叩きつけるより早く、君たちがこれを奪うのは、ほぼ、不可能だ。」


「喧嘩するつもりじゃなかったにしては、ずいぶん、用意のいいことだね。」


青紅葉はスギナを自分の後ろに回すと、童子を見据えて冷たく言った。

童子は、あはっ、と一見無邪気な子どものように笑った。


「だって、音に名高い妖狐族との交渉なのだもの。

 このくらいの用心は、必要でしょう?

 このボクに、これだけのことをさせるなんて。

 君たち、それ、誇ってもいいよ?」


それはむしょうに相手を逆撫でする笑顔だった。


「でも、こぉんな獣臭い連中なら、ここまですることなかったかなあ。

 えへ。ボク、反省。」


笑って肩を竦める仕草に、むしょうにイライラする。

だけど、童子の手のなかにあの玉がある以上、下手な真似はできなかった。


「そうそう。

 そこに隠れて様子を伺っている君。

 君も、ここにその間抜けな面を並べておいてよ。

 下手なことされると、ボク、うっかりこの玉、落としちゃうかもしれないからさ。」


童子はにこにこしながら、障子の外にむかってそう言った。

すると、するすると障子が開いて、そこからアザミさんが現れた。


くそっ、というスギナの悔しそうな声が聞こえた。

一人前の妖狐が四匹、こんな子どもに手玉にとられている。

けど、悔しいことに、この場の主導権は、かっちり、この童子の手に握られていた。


「さてと。

 茶番はもう、このくらいでいいかな。」


童子は面倒臭そうなため息を吐くと、あたしの顔を見てにっこり微笑んだ。


「ねえ、お姉さん。こんな連中に付き合うのはやめにして、ボクと行こう?

 ボクの友だちがね、お姉さんに、とっても会いたがっているんだ。

 お姉さんに恋焦がれるあまりに、病みたいになっちゃってるんだよ。

 あいつのために、ちょっと来てやってくれないかな?」


「・・・友だち?」


聞き返すと、童子はにんまりと微笑んだ。


「そう。憶えてないかな?金色の虫。」


「金色の、虫?!」


「ああ、そうだよ?君たちは、ムイムイ、って名付けたらしいね。

 まったく、ヒトのモノに、勝手に名付けないでほしいんだけど。」


「ムイムイ!」


あたしは、まじまじと、童子の顔を見返した。

童子はそのあたしと視線を合わせると、ふふっ、と笑った。


「でもそれも納得だよ。

 お姉さんなら、ボクだって、恋焦がれちゃうなあ。」


「おふざけは、そのくらいにして。

 今日は交渉にまいられたはず。」


冷ややかに遮った青紅葉に、童子は、ふふっ、と笑みを漏らした。


「コウショウ?って、なにそれ?美味しいの?」


ふざけた口調に、その場の全員がむっつりと黙り込む。

童子はひとりだけ楽しそうに、へへっと笑った。


「しっかたないなあ。

 こちらの条件は、このお姉さんだよ。

 このお姉さんを、持って帰る。」


「最初の話しじゃ、一目会わせろって、それだけだったと思うんだけどねえ。」


青紅葉は冷ややかにそう言った。

その目は油断なく、童子の隙を伺っていた。

けれど、童子には、戦師の頭領ですら手を出しかねるほどに、まったく隙がなかった。


「うん。そうだね。

 だけど、こうして本人に会ったら、どうしても連れて帰りたくなっちゃったんだ。

 だって、お姉さんってば、こんなに可愛いんだもん。

 ボクの気が変わったのは、お姉さんのせいだよ?」


童子はわがままを言う子どものように、口を尖らせてみせた。

わざとらしく童ぶっているのに、逆にぞっとする。

それから、にたっと気味の悪い笑みを浮かべた。


「そちらにとっては、安い条件じゃないかな。

 娘狐一匹と、郷の平和とじゃ、くらべものにもならないよね?」


「郷の、平和?」


あたしは思わずそう聞き返していた。

童子はそのあたしに、それはそれは優し気に微笑んでみせた。


「大王は、もう、妖狐の郷に対して、敵対しない。

 妖狐はまつろわぬモノではなく、大王の盟友だと認める。

 君さえ、ボクと一緒に来てくれるなら、それを約束するよ。」


それって、さっき川原で、いつかそうならないかなって、あたしが思ってたことだ。

それが、こんなに早く、叶うっていうの?


あたしが心を動かされかけたことに気付いたのか、童子は重ねて言った。


「大丈夫だよ。

 持って帰っても、大事にする。

 牢屋に閉じ込めたりするもんか。

 綺麗なべべ着せて、美味しいもの食べさせて。

 毎朝毎晩、ボクみずから、髪を梳いてあげるよ。」


「いや、それはいらないけど。」


思わず即答してしまった。

童子はちょっと意外そうに目を見開いて、おや?気に入らない?と尋ねた。


「女の子ってみんな、お姫様扱いが大好きだって、思ってたんだけど?」


「それは個人差があるというか・・・

 あたしにはむいてないというか・・・」


「へえ?じゃあ、どうしたい?」


「どうしたい、って聞かれても困るけど・・・

 それって、あたしのこと、ヒトジチにする、ってこと、だよね?」


ずばり尋ねたら、やだなあ、と童子は苦笑いした。


「ヒトジチなんて、そんな物騒なものじゃないよ。

 君は大王の大事なお客様さ。

 おとなしくこちらの言うことを聞いている限り、身の安全はもちろん、保証されるし。

 都の贅の限りを尽くした、素敵な暮らしも約束するよ。

 もっとも、いつ帰れるかの、保証はないけどね?」


それって、もう二度と郷には帰れないかもしれない、ということか。


少しだけ。ほんの少しだけ、迷った。

郷には、懐かしくて、あたしの大事なものが、いっぱいある。

だけど、応えは最初から決まっていた。

郷には、懐かしくて、あたしの大事なものが、いっぱいあるから。


花守様のこと、傍にいて支えるのは、あたしには力不足。

だけど、遠くからでも、花守様のいる郷を護れるなら、本望だ。


「おい、楓!

 そんなやつとは、もうそれ以上、話すな!」


突然、そう叫んだのはスギナだった。

けど、それを聞いた童子は、にんまりとほくそ笑んだ。


「へえ。それが君の真名なんだ。

 いい名前だね?」


青紅葉は聞こえるくらい大きな舌打ちをした。

童子は構わずに続けた。


「なら、真名を呼んで、命じてあげてもいいよ?

 そのほうが、君が決心をしやすいのならね。

 まあ、無理やりってのは、ボクの主義には反するから。

 なるべくなら、君の方から、来たい、って言ってくれると嬉しいけど。」


優しく言っているようだけど、それって、遠まわしの強制だ。

なにより、術者に真名を呼んで命じられたら、あたしたち妖狐には逆らうことはできない。


これでもう、すべては決まった。




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