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並んだご馳走に、あたしは目を丸くした。
すごい。こんなご馳走、見たことない。
木の実に草の実。根っこに蕾。木の皮もある。
遠い沢からわざわざ獲ってきたお魚まであった。
それから、郷の名物、シノダオバサンの稲荷寿司。
山のように積み上げられた金色のお寿司に、思わず悲鳴が出た。
集まっていたのは、白い筒袖の衣のヒトだけではなくて、普通の格好のヒトもいた。
筒袖のヒトは、花守様と同じ、ここの治療師らしい。
普通の格好をしているヒトは、どうやら、療養中の患者さんみたいだ。
治療師も患者さんも分け隔てなく、みんな仲良くて、楽しそうに話していた。
花守様とあたしが行くと、一斉に拍手が沸き起こった。
こんなに大勢から、拍手とかされたことないから、なんだか照れ臭い。
花守様はけろっとして、やあ、有難う、って手を振っている。
横から飲み物の入った盃を手渡された。
この色と匂いは、野ブドウの汁を絞って水で薄めたやつだ。
よっぽどよっぽど、特別なときにしか飲めない、特別な飲み物。
あたしの大好物。
わざわざこれも用意してくれたんだと思ったら、すっごく嬉しかった。
からだに障る患者さんや、あたしには、野ブドウの汁。
花守様や、治療師さんたちには、多分、お米のお酒。
それぞれの飲み物の行き渡ったところで、年かさの治療師さんがひとり立ち上がった。
「それでは。
我らが花守様の、初めての導師就任に、乾杯いたしましょう!」
え?初めて?
今、初めてって言った?
あたしは隣の花守様を見たけれど、花守様はにこにことあっちをむいている。
いやいや、まさか。そんな、初めて、なんてことはないよね。
治療師さんたちだって、あんなに大勢いるんだし。
花守様ってば、かなり、けっこうな、お年のはずだし。
もっとも、花守様の見た目は、ここの治療師さんたちと並んでも、うんと若く見える。
さっき乾杯の音頭をとってたヒトと比べたら、どっちが師匠か分からないくらいだ。
かんぱ~い、と声を揃えて、みんな盃を持ち上げた。
あたしも真似して持ち上げる。
花守様はお酒を一口すすると、にこにことこっちを振り返った。
「お寿司を取ってあげましょうか?」
「ああ、いえ。自分で行きます。」
こういうところで遠慮するあたしではない。
その辺は、先生の家でも鍛えられている。
花守様はにっこりして、たくさん食べてくださいね、とだけ言った。
いざ、山盛りのお寿司に突撃!
せっせとお寿司の山崩しに勤しんでいると、後ろでひそひそと話しをする声が聞こえてきた。
「あれが、花守様の?」
「ぱっと見た感じ、どうということのない、普通の仔狐のようだが。」
「しかし、花守様が、たって、と願われたそうだし。」
「何か、特別な力でもあるのだろうか。」
あたしは、くるっと振り返ると、精一杯愛想よく話しかけた。
「それって、あたしのこと、ですか?」
にこにこにこ。
とりあえず、初っ端からここのヒトたちともめるようなことはしたくない。
けど、後ろでこそこそ噂されてるってのも、あまりいい気はしない。
「なにか言いたいことがあるなら、どうぞ、直接言ってください。」
にこにこにこ。
満面の笑みだけは、とりあえず、維持。
すると、噂話をしていたなかのひとりが、こちらへ近づいてきた。
それを見た残りのヒトたちも、ぞろぞろとついてくる。
あっという間に、あたしは、十匹ほどの妖狐に取り囲まれていた。
「いえね、花守様は、これまで、どんなに頼まれても、導師をお引き受けにならなくてね。」
「それなのに、お前様には、自分のほうから、導師になりたいとおっしゃったというから。」
「いったいまた、どうしたことなんだろう、ってね。」
そのヒトたちは、代わる代わるあたしに言った。
けど、それ、あたしに言われても、困ります。
「さあ、それは、あたしにも・・・」
にこにこにこ。
とりあえず、語尾は濁して首を傾げる。
「お前様は、なにか、特殊な能力をお持ちなのかい?」
いきなり、ずばり、と切りこまれた。
「いえ、これと言って、思い当たる節はありません・・・」
「特技は?」
「特になにも・・・」
「なら、お好きなことは?」
「食べることと、寝ることと、走ること、くらいでしょうか?」
はあ~~~、といっせいにため息を吐かれた。
どうもすいません。
思わずあたしは、頭を下げてしまう。
だいたい、なんであたしなのか、あたしが一番謎に思ってるくらいだから。
何かの間違いなら、さっさと判明してくれないかな、と思う。
とりあえず、この状況は、居心地の悪いこと、この上ない。
だけど、それって、あたしだけじゃない、みんな思うんだ、ってちょっと思った。
やっぱりこれは、いろいろと異常な事態だってのは、間違いなさそうだ。
「あの、花守様が導師を引き受けられたのはこれが初めてだ、ってのは本当なんですか?」
今度はあたしのほうから質問してみた。
すると、周囲の妖狐たちは、いっせいに頷いた。
「毎年、驚くほど優秀な見習いたちが、どうか自分の導師になってほしいって、頼みにきてね?」
「花守様は立派な方だから、それは不思議でもなんでもないのだけれど。」
「治療師志望の仔狐も大勢いたんだよ?」
「けれども、花守様は、自分は導師の器ではないから、っておっしゃって。」
「いつも断ってしまうんだよ。」
それはあたしも不思議だった。
あたしなんて、治療を見ただけで逃げ出してしまうような腰抜けだ。
あたしより花守様に導師になっていただくのに相応しい仔は他にもっといそうだった。
「じゃあ、ここの治療師のみなさんも、花守様に導師をしていただいたというわけではなく?」
「そんな幸せなやつは、ひとりもいませんよ。」
そう言ったヒトは、心底残念そうなため息を吐いた。
「元は患者か、その身内。
もしくは噂を聞きつけて、どうしてもと頼み込んで手伝わせていただいている者。」
「皆、一人前になってからここに来て、半分強引に花守様を手伝わせていただいているんだ。」
へえ~、とあたしは感心した。
「もしかして、花守様は、治療師としては、あまり腕はよくない、とか?」
導師の器でない、って断るってことは、そうなんじゃないか。
そう思って尋ねたら、周囲の妖狐たちは、いっせいに色めき立った。
「なんてこと言うんだろ、このバカ娘。」
「本当に、花守様は、この娘を指名したのか?」
「人違いじゃないのか?」
いきなりバカ娘になってしまった。
「花守様は、どんな怪我でも治す、治療の達人だよ。
そんなことも知らないのかい?」
思い切り冷たい目を向けて、ひとりがそう言った。
「命さえあれば、どれほどの傷を受けていようと、全部、元通り治してくださる。
花守様は、そういう治療師だよ?」
「どう見ても助からないほどの大怪我をしていても、花守様なら、助けてくださる。」
「ここにいる俺たちは皆、花守様に命を拾っていただいた者ばかりだよ。」
それはまた、花守様、すごいヒトらしい。
なのに、どうしてあたし? となると、ますます分からない。
「わたしの大事な方を、そろそろ返していただきましょうかね。」
そこへ人垣に割り込むようにして入ってきたのは花守様だった。
こうして大勢のオトナたちに囲まれると、花守様は小柄で華奢に見える。
けれど、周囲のオトナたちは、一斉に花守様の前に道を開いた。
「楓さん?今日はもうお疲れでしょう。
この辺りで庵に戻って、お休みなさい。」
花守様は知らん顔をして、あたしのほうへ手を差し伸べた。
「夜更かしはからだに毒と言いますからね。
あなたの健康を守るのも、わたしの大事なお勤めです。
さあ、庵に戻りましょう。」
「あの、花守様!」
割り込むように話しかけたのは、さっき真っ先にあたしに話しかけてきた治療師さんだった。
「花守様がお引き受けになった見習いは、本当にこのお嬢さんで間違いないのですか?」
一応、バカ娘はお嬢さんになっている。
けど、その口調は、バカ娘と言ったときと、そう変わらなかった。
すると、いつもにこにこしている花守様の顔から、すぅっ、と笑みが消えた。
いっつも笑ってて、瞳を見せない目を、ほんの少しだけ開く。
花守様の瞳は山吹色をしていたんだ、って、そのとき、あたしは初めて気づいた。
笑顔でない花守様には、ぞくりとするほどの凄味があった。
「わたしは一応名目上は、楓さんの導師ということになっておりますけれど。
実際には、わたしが楓さんを導いて差し上げられることなど、なにもありません。」
「しかし、花守様のほうから、導師をお申し出になった、と・・・」
「道場を卒業したばかりですから、ここに来ていただくには、それが一番、自然だっただけです。
けれど、楓さんには見習いではなく、わたしの世話をしていただきたい、と申し入れました。」
ああ、そうだった!
最初、先生も、始祖様のお世話役に選ばれた、って言ったんだ。
「確か、お世話役は、毎年ひとり、選ばれる、って・・・
だったら、去年とか、一昨年とかにも、いたんじゃ・・・?」
先生も、確かそう言ったよね?
すると花守様はややバツが悪そうに下をむいた。
「すみません。それは、方便です。
あなたが最初だと言うと、警戒されてしまうかと思いまして・・・」
え?
いやなんで、そんなとこ嘘ついて?って、あたしも思ってしまうよ?
「あの・・・よもや、まさか、とは思いますけど・・・
一部の者が、その、こういう心配をしておりまして・・・」
脇からもうひとり、口を挟んだ。
「花守様は、その、変わったご趣味の持ち主で・・・この方は、花守様の、その・・・」
「恥を知りなさい!」
きっぱりと遮った花守様の声は、凛としていて、思わずあたしも背筋が真っ直ぐになった。
「そのように口さがないこと、いったい、どなたがおっしゃっているのです?
わたしをどう言おうと構いませんが、楓さんを貶める言動は、見逃すことはできません。
楓さんは、先のある若い方です。滅多なことは口になさいませんよう。」
言葉遣いは丁寧なのに、そこからはびりびりと冷たい感じが伝わってきた。
花守様は、本気で怒ってるんだ、って思った。
そんな花守様にもう誰も、何も言わなかった。
花守様は、そんな皆に、はっきりと宣言するように言った。
「決してそのようなことはありません。
ただ、わたしに思うところがあって、楓さんにここへ来ていただきたかっただけです。
それはむしろ、楓さんより、わたし自身のため。
楓さんには貴重な時間をいただくことになって、本当に申し訳ないと思っています。
だからせめて、見習い期間の一年に、この時間をあてていただこうと、そう考えたのです。」
花守様は、ひとつ深呼吸をすると、札を返すように、またいつもの穏やかな空気を纏った。
「さあ、楓さん。参りましょう。」
こっちに差し出された花守様の手を、だけど、あたしは握るのを躊躇った。
花守様は、ちらっと微笑んで、その手をすぐに引っ込めた。
花守様は先に立って歩く。
その前のヒトたちは、みんな一斉に道を開ける。
あたしは大人しく、その花守様についていった。




