1
は?じじぃのお世話?うそでしょ?
思わずそう叫びそうになったけど、あたしは叫ぶ寸前でそれを飲み込んだ。
やばいやばい。
ここでそんなことを叫んだら、また、お説教を食らう。
けど、目の前の先生は、あたしの言いたいことなどお見通しの目をしてにやりと笑った。
「花守様のお世話役は、毎年、選ばれたひとりしかなれないのだから。
栄えある名誉なのだよ?」
「いやいやいや。
名誉なんかいりませんから。
それに、あたし、お年寄りとのんびりお茶とか、そういう柄じゃないんで。」
じゃ、と後ろ手に手を振って去ろうとしたけれど、そうはいかない。
あたしの足は根が生えたみたいに、その場から動かすことができなかった。
「え?ちょっ、やめてくださいよ。」
あたしは恨めし気に先生を見上げて、精一杯抗議する。
悔しいけど、こんな簡単なものでも、先生の妖術は、あたし如きには解呪できない。
「もうそろそろ、このくらい解いてもらわねば、ならないんだけどねえ。」
先生はにやにや笑ってそんなことを言う。
ええ、まあ、そうですよ。
あたし、妖術は苦手ですよ。
「花守様は、妖術はとてもお得意だ。
お前さんも、一年間、しっかりお仕えして、その間にたっぷり習うといい。」
「妖術なら道場でも学べます!
それとも、先生、あたしのこと、修行の途中で放り出す気ですか?」
脅すように睨んだら、先生は嫌そうに目を細めてこっちを見下ろした。
「人聞きの悪いことをお言いでないよ。
それに、これはもう決まったことなんだよ。
なになに、花守様のお世話役に、のんびりお茶をしている暇なんぞあるものか。」
「ええっ!
手間のかかるじじぃのお世話とか、もっとごめんなんですけど!」
思わずそう叫んだら、あたしを見下ろす先生の視線は、真冬の氷みたいに冷たくなった。
「なんてことを言うんだろう、このはねっかえりは。
花守様にそんな失礼なことを言うのは、どの口かね?」
先生にほっぺたをつねられそうになって、あたしはあわてて背中をそらせてよける。
足は釘付けにされてるけど、頭を地面に着くくらいに背中をそらせたら、それは上手くよけられた。
「・・・ったく、すばしっこさだけは、相変わらずだね。」
先生は空振りした指をわぎわぎさせながら、それ以上は追いかけてはこずに、小さく笑った。
「あの森じゃ、さぞかしその能力は役に立つだろうよ。
いいから、つべこべ言わずに、とっとと、花守様のところにご挨拶に行くんだよ?」
「ええっ?」
「ええっ、じゃない、ええっ、じゃ。
とにかく、これはもう、変えられないことだから。
いいから、さっさと行きなさい。」
めっ、と睨まれて、あたしは、むぅ、と口を尖らせた。
これだから、おとなは嫌いだ。
強引に言い張れば、こどもはなんだって言うことをきくと、思っているんだから。
返事をせずに睨んでいたら、先生は、ふっ、と力を抜くように笑った。
「大丈夫、楓。心配いらないから。
一年経つころには、お前さんのほうから、もっと花守様のところにいたいって言うようになるよ。」
「なんでそんなこと、分かるんですか?」
「そりゃあだって、わたしはお前さんを、うんとうんと小さいころから世話してきたのだもの。」
先生はそう言ってにっこり微笑む。
その笑顔に、あたしは、じんわりと涙が浮かんできた。
くそっ、泣くな、あたし。
今は泣いてる場合じゃない。
「花守様なんて、昔話に出てくるだけのひとじゃなかったんですか?」
花守様ってのは、郷の始祖になった狐だ、って、そんな昔話は郷の子どもはみんな知ってる。
小さいころ、寝る前に何度も何度も聞かされるやつだったから。
「いいや。今も現実に郷の花園を護っておられる。
とても、立派な方だよ。」
「立派な方なら、お世話なんかしなくていいでしょ?
先生、いっつも、一人前ってのは、自分のことは自分でできることだって言ってるじゃないですか。
お世話されないといけないんだったら、花守様は、一人前じゃないってことですか?」
「・・・なんとまあ、屁理屈をこねることだ。」
先生は困ったようにため息を吐いた。
あたしだって、先生を困らせたいわけじゃない。
でも、ここを放り出されて、そんなわけのわからないところに行くなんて、絶対の絶対に嫌だった。
「それとも・・・先生も・・・あたしのこと、邪魔だ、って思って・・・」
いけない。
泣くな、泣くなと、自分に命令するのに。
涙が零れそうになって。
それを必死に堪えたら。
ずずっ、と鼻が垂れてきた。
先生はそんなあたしを見て、さっきより優しく笑った。
「分かったよ。
仕方ない。
そんなに嫌なら、今日は行かなくていいよ。」
「うわ。やったあ。」
思わず叫んだら、我慢してた涙と鼻水がいっぺんに出た。
顔はぐちゃぐちゃになったけど、構うもんか。
あたしは、先生にありったけの感謝を込めて抱きついた。
「有難う、先生。有難う。」
すりすり、と胸に顔を押し付けるあたしを、先生は一瞬避けようとしたけど。
仕方ないね、とため息を吐いて、そのまま受け止めてくれた。
「この着物、洗い立てなんだよ?
鼻水はつけないでおくれよ?」
「・・・もう、手遅れです。」
はあ、と先生が深いため息を吐くのが聞こえた。
「先生なら、術できれいにできるでしょ?」
「妖術できれいにするのと、水で洗うのはまた違っていて・・・
あーあ、せっかく、清水を使って洗い上げたのに・・・」
「じゃ、あたし、洗っておきます!」
先生の着物を引きはがそうとしたら、先生は慌てて胸元を両手で抑えた。
「ちょっ、この子はまた、なんてことをするんだろ。
いいから、今日の朝の行はまだ終わってないんだろ?
とっとと、行っておいで。」
しっしっ、と追い払うようにされたけど。
はーい、とあたしは上機嫌で、いつもの朝の行へと出かけていった。